◆父の選挙を手伝った鴻池氏と浜渦氏
政治好きだった勇二郎氏は、青年作家の石原慎太郎氏が1968年の参院選全国区に出馬すると、石原氏の政治団体「日本の新しい世代の会」の関西地区の選挙責任者となり、過去最高の301万票で当選させた。
そして翌1969年の総選挙に勇二郎氏は自ら旧兵庫2区から出馬する。当時47歳。娘の百合子氏が17歳の時だ。だが、自民党の公認は得られず、「新しい世代の会」を看板に無所属での立候補だった。同じ総選挙で隣の旧兵庫1区から初当選した石井一・元民主党副代表が語る。
「本人は石原慎太郎との関係があるから選挙は大丈夫と楽観視していたが、私から見ても泡沫候補でした」
この勇二郎氏の「最初で最後の選挙」を手伝ったのが、鴻池氏と浜渦氏だった。しかし政治好きというだけでは選挙には勝てない。落選が濃厚になると、泥舟から逃げ出すように事務所からは1人去り、2人去りと淋しくなる。浜渦氏はこう振り返っている。
〈選挙戦の最終日、勇二郎さんと鴻池さんと私の3人だけになった。3人で尼崎のガード下で焼き肉を食ったのを今も忘れられません〉(週刊朝日2016年10月28日号)
結果は7000票しか取れずに落選。娘の百合子氏は、〈町の有権者相手に、アルジェリア情勢などを滔々と語る演説では勝てるはずもなかった〉(前出・文藝春秋)と書いている。
その後、百合子氏はカイロに留学、帰国して数年後に勇二郎氏の事業が傾き、芦屋の家を失う。それでも勇二郎氏はカイロに渡って日本料理店『なにわ』をオープンさせ、20年以上カイロに住んでアラブ人脈を温め、日本に帰国後、2013年に90歳で亡くなった。
※週刊ポスト2017年3月24・31日号