石原慎太郎一覧

【石原慎太郎】に関するニュースを集めたページです。

(写真/山崎力夫)
参院選出馬・猪瀬直樹氏が語る 「作家が政治を志す理由」
 生前の石原慎太郎氏に面会した際、「日本を頼む」と3度も繰り返し頼まれたという作家・猪瀬直樹氏。今夏の参院選出馬を決めた猪瀬氏が、国政の場で目指すものとは何か。猪瀬氏本人が語る。(写真/山崎力夫) * * *「なぜ作家の人が政治をやるんですか」と聞かれることがあります。僕は「じゃあ、何の人が何をやるんですか」と逆に問いたい。政治の人が政治をやるのだというなら、それは選挙活動で忙殺されて、極言すれば「地域で受かりやすい人」が当選することになります。すると、2世や3世の政治家が現れる流れができる。 その結果、代々お菓子屋さんをやる家とか、代々工場をやる家があるように、政治家も「家業」のようになります。でも、政治家は政策が正しいからこそ正当性があるはずです。「お父さんが、おじいさんが政治家だから」正当性がある、というのは錯覚にすぎない。 家業としての政治家に正当性があるとなると、民意は政策にどう反映されるというのか。そういう根本的な問いを持たなければいけません。 僕は政治家ではなく、作家です。作家の副業が政治家なわけですが、副業が求められる今の時代、それでいいのです。 例えばアメリカだったら、実業家が政治家になることは珍しくありません。その人が政治家を辞めてまた実業家に戻って、今度は政府の高官か補佐官などを務めたり、シンクタンクの研究員になったりします。政治の場にいろんな回転ドアがあり、そこをぐるぐる回っていく。 だからこそ、たくさんの知識とか発想が出てくるわけです。日本の企業社会が体現するように、年功序列・終身雇用でずっと1つのところにいたら、やがて情報が閉じられて、発想の転換はなかなか起きません。 転職をしたり起業したりするように、いろいろなキャリアを積んだ人が民間でも官僚の世界でもポジションを得ていくことで、広い視野や多様な発想が生まれるわけですが、日本はそれが乏しい。 霞ヶ関の官僚は優秀です。ただ、やっぱり一本道なので、限られた思考方法にとらわれがち。職場に押し寄せてくるいろいろな業界団体に配慮するようになり、どうしても癒着が生じてしまいます。 先に述べた回転ドア式に、官僚が民間企業に行って、今度は作家になってもいいし、それからまた官僚に戻る。そんなフレキシブルな動き方をすればいいのに、それをやってこなかったのが、平成の30年の失敗だと思うのです。 例えば石原慎太郎さんは、作家から参議院議員になって衆議院議員になって、運輸大臣や環境大臣(環境庁長官)をやったりして、それから都知事になりました。辞めて国政に戻り、その後はまた作家として仕事をされていましたね。 そうした例は外国にも多い。フランスの作家アンドレ・マルローは、カンボジアで捕まって収監されたけれど、フランスに戻って作家活動をした後、ド・ゴール政権の文化大臣になりました。イギリスの有名作家ジェフリー・アーチャーも、作家として政治家になり、引退後は作家に戻っています。 さらに遡れば、19世紀フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーも作家で政治家でした。『神曲』で知られるダンテは、政治家としてフィレンツェを追放されて、それから作家になった人です。 自分の発想を活かしていくには、当たり前のようにポジションを変えていかなければならない。日本で言えば、参議院がその場所にふさわしいのではないでしょうか。戦後の参議院には『路傍の石』で知られる山本有三をはじめ、作家や評論家、新聞記者出身の議員が何人もいます。参議院とは、日本における最後の、文化的な拠点としての政治参加の場所だと思います。 巷間よく言われる日本人の発想の固定化とか、オリジナリティのまずさといったものは、一本道の路線、生き方しか残されていないような社会で、停滞した結果。かつての高度経済成長の時代は創業者の時代でした。戦争で全部廃墟になったところから、本田宗一郎とか、ソニーの井深大とか盛田昭夫といった世界的経営者が出てきた。 現代もユニクロの柳井正やソフトバンクの孫正義などの創業者がいます。彼らはやっぱりユニークなことをやります。ただ、そのポジションが固定化していって、起業家の時代から守りの時代に入り、そして大企業になって硬直してしまう。そこに潜む、現代日本の病理の根本を衝かなければ、政治も社会も改革はできないと考えています。【プロフィール】猪瀬直樹(いのせ・なおき)/1946年長野県生まれ。作家。1987年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞。1996年『日本国の研究』で文藝春秋読者賞。東京大学客員教授東京工業大学特任教授を歴任。2002年、道路公団民営化委員。2007年、東京副知事。2012年、東京都知事。2015年、大阪府・市特別顧問。主著に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」(全16巻)』があるほか、近著に『日本国・不安の研究』『公(おおやけ) 日本国・意思決定のマネジメントを問う』『カーボンニュートラル革命』など。2022年夏の参院選に、日本維新の会の公認候補として全国比例に出馬予定。
2022.06.14 16:00
NEWSポストセブン
石原慎太郎さんの遺産相続問題 「4兄弟と婚外子」大豪邸の行方は
石原慎太郎さんの遺産相続問題 「4兄弟と婚外子」大豪邸の行方は
 時代を代表する作家であり、豪腕を振るう政治家であり、繊細な父親でもあった石原慎太郎さんが亡くなった。残されたのは、2億円をゆうに超えるとされる田園調布の豪邸だ。石原さんには、長男・伸晃(64才)、次男・良純(60才)、三男・宏高(57才)、四男・延啓(55才)の4人の息子たちがいる。はたして遺産相続問題はどうなるのか。【前後編の後編。前編を読む】【写真8枚】若き日の石原裕次郎さん。他、慎太郎さんの20代の頃や典子夫人なども 実は石原さんは、豪邸の処遇について希望を持っていた。「4兄弟に対しては厳しくも愛情を持って接していましたが、特に、晩年の自身の身の回りのことに気を配ってくれた良純さんと延啓さんに信頼を厚くしていたようです。一方、伸晃さんと宏高さんに対しては、同じ政治家の道を選んだこともあり、“努力が足りん”と厳しい評価を下すこともあったみたいですね。だからでしょうか、自宅不動産については、『良純さんに受け継がせたい』という希望があったそうです」(政治ジャーナリスト) もちろん、ほかの相続人たちが納得すれば話はまとまる。「ですが、伸晃さんも宏高さんも、今後政治活動を続けていくためにはまとまった資金が必要ですし、やすやすと受け入れることはできない」(前出・政治ジャーナリスト) 司法書士法人ABC代表の椎葉基史氏が語る。「1人の相続人が不動産を相続する場合には、『代償交付金』と言って、ほかの相続人が受け取れるはずだった分を現金で“精算”することも可能です。ただし、不動産価値が高い場合、多額の現金が必要になるので、そう簡単ではありません」 不動産を相続すると、今後長期間にわたって固定資産税も課されることになる。だからなのだろうか、「当の良純さんは不動産をもらうことに二の足を踏んでいるようだ」(前出・政治ジャーナリスト)という。 さらに意外な落とし穴もある。それが、弟の裕次郎さんが大スターだったことだ。「映画の衣装や実際に使用したグッズなど、裕次郎さんの遺品にはプレミアがついていることも少なくない。ただほとんどの遺品は、北海道にあった記念館(2017年に閉館)に展示された後、一部が美術館などに寄贈された程度です。 実は慎太郎さんは、裕次郎さん亡き後、“物書きだから”という理由で形見の筆記具を受け取っていたそうです。裕次郎さんが使い、芥川賞作家の慎太郎さんが使ったとなれば、価値を感じる人もいる」(石原家を知る人物) 椎葉氏によると、希少価値があり「時価」として扱われるものは、法律上も税務上も、相続財産に含まれる。「裁判まで発展すると、鑑定評価が必要になるケースもあります。その評価をもとに分割の話し合いが進められますが、時間の経過とともに価値が再認識されて値上がりする可能性を相続人が感じていたりすると、話がまとまりにくくなります」(椎葉氏)婚外子である“5人目の息子”にも相続の権利 相続の話し合いがスムーズに進むためには、何より相続人同士の関係性が重要だ。石原さんの死去当日、自宅前で4兄弟が揃って報道陣に対応するなど、少なくとも表面上は友好的な関係に見える。だが、事態を複雑にするのは、石原さんには“5人目の息子”が存在することだ。「石原さんには、1980年代に銀座の高級クラブに勤めていた女性との間に男の子が生まれています。つまり婚外子となるわけですが、1994年に認知しています。成人するまで毎月20万円を養育費として支払っていたと聞いています」(ベテラン政治記者) この婚外子をAさんとする。1999年4月、都知事に当選したあとの会見でAさんに関する質問が飛び、石原さんは次のように答えていた。「事実です。20年前のことで、私にとって若気の至りというか、私の不徳というか」 Aさんは、幼少期を東京で過ごし、その後、母親の出身地である新潟に転居。大学入学を機に再び上京したという。「大学卒業後、都内ホテルで働いていたと聞いています」(前出・ベテラン政治記者) 現在30代のAさんとは、石原さんは金銭的な支援はしていながらも、ほとんど交流はなかったという。それでも認知しているということは、法的には親子関係にある。「つまりAさんにも、相続する権利があるということです。その権利は、ほかの4人の子供と同等です。長らく関係がなかったとしても、遺産分割協議の場には参加しなければなりませんし、Aさん抜きで話を進めることはできません。また、成人するまで金銭支援をしていたということですが、それは扶養義務の範囲とされ、Aさんの相続分に影響することもない」(椎葉氏) 血を分けた“5人の息子たち”のことを、石原さんは天国から見つめている。(了。前編を読む)※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.21 07:01
マネーポストWEB
芥川賞の選考委員を務めていた頃の石原慎太郎氏(左から石原、北方謙三、阿刀田高、浅田次郎の各氏/時事通信フォト)
石原慎太郎氏、若手作家への叱咤「書き手自身の感性が感じられない」
 2月1日に亡くなった石原慎太郎氏(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。本誌・週刊ポストにだけ語っていた言葉を振り返る。 * * * 一橋大学在学中、『太陽の季節』で昭和生まれとして初となる芥川賞を受賞した石原氏は、文学界の将来を憂いていた。 2012年には、都知事をしながら続けていた芥川賞の選考委員を辞任した。その理由について、石原氏はこう語った。「芥川賞の選考委員をしながら、自分の足をすくう新人が出てくることを期待していたが、目を見張るような作品はほとんどなかった。そのうち他の選考委員が『そろそろこの人に賞を取らせたほうがいい』なんていう政治的な選び方をするようになって、あまりに面白くないから委員を辞めてしまった」(週刊ポスト2015年1月30日号掲載) 石原氏が小説家の衰退の理由として挙げたのは、「エゴの欠如」だ。特に若手は「周囲がどう思おうがこれだけは書きたい」というエゴが決定的に足りず、画一的で薄っぺらな小説ばかりになったと嘆いた。「作家が世間に媚びるためのマーケティングばかりしているから、実際に起きた事件や流行りの社会問題をとらえた作品だらけになり、『これを書きたい』という書き手自身の感性が感じられません」(同前) 文壇の劣化についても嘆息していた。石原氏の若かりし頃は、三島由紀夫、小林秀雄、江藤淳ら文壇のスターが遠慮なく意見をぶつけ合い切磋琢磨したが、古き良き時代は終わったと考えていた。「かつての文壇は、サロンとしてよくできていたし、侃々諤々の議論から友情が芽生えたり尊敬もあったりした。それが今はすっかり甘い時代になってしまって、何かふやけてしまったみたいでね」(週刊ポスト2002年4月5日号掲載) 一方で自身の執筆意欲は老いても衰えず、政界引退後にかつての政敵・田中角栄の生涯を「角栄目線」で振り返る『天才』(幻冬舎)を執筆してベストセラーになった。 その時の心境をこう語った。「これまで政治家であることで自分の文学に申し訳ないことをしてきたと思っていたけど、これは政治家を経験しなければ書けなかった。本当に皮肉な取り合わせだと思うね」(週刊ポスト2016年2月12日号掲載) 政治家としての人生経験をライフワークである文学に注ぎ込み、良い作品を残そうと奮闘した石原氏の執筆活動は死の直前まで続いた。根っからの小説家であった。※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.10 11:00
週刊ポスト
石原慎太郎さんの過去のインタビューなどを振り返る
石原慎太郎氏「やっと死んだ。ざまあみろといわれて死にたい」と語っていた
 2月1日に亡くなった石原慎太郎氏(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。『週刊ポスト』にだけ語っていた言葉を振り返る。 * * * 若者に苦言を呈する一方、石原氏は自らの「老い」にも向き合った。 70歳を前に上梓し、ベストセラーとなった『老いてこそ人生』(幻冬舎)についてのインタビュー(2002年7月19日号掲載。以下同)では、人生の晩年について大いに語った。 若い頃からヨットやテニスなどのスポーツを好んでいた石原氏だが、55歳を過ぎてから体力の衰えを感じ始めた。 古稀が迫る頃には、「死」について思いを巡らせるようになった。「人生に死があることは普遍の原理で誰もよく知ってはいるが、自分が死ぬことは不思議に信じてはいない。が、私のような年齢になれば、そろそろ『死』を信じなくてはいけない。いつかは死ぬ可能性があるんだ、いかにも年をとってきたなとか思うと、誰しも悩みも焦りもあるだろう。でも、実は、それが人生の面白いところだろうと思います」 可処分所得と可処分時間が十分にある年長者こそ、悩みや焦りを抱きながらも人生を楽しむべきと石原氏は主張した。 そして、長寿化が進む社会を生きる上で必要なこととして、「趣味」を持つことが大事だと主張した。「俳句でもテニスでもジョギングでも、全く仕事に関係ない趣味を持てばいい。何かに夢中になると、絶対に新しい発見があるし、工夫が生まれてくる。仕事の書類にいくら精通しても、つまらない人間にしかならない。せいぜい役人か政治家ですよ(笑い)」「老害」と言われることもある昨今の高齢者だが、年長者には豊かな人生経験がある。それゆえ、若い世代と年長者たちが積極的に交流することを石原氏は望んだ。「若い人たちは年長者に物怖じせず、いろんなことを聞けばいい。高齢者にしても、若い人から物を聞かれるのはうれしいし、それに答えることで活性化されることもあるでしょう」 インタビューの最後、石原氏は自らの人生の締めくくり方について、笑みを浮かべてこう語った。「本音をいえば、憎まれながら年をとりたいね。死んだときに、『あいつまだ生きてたのか』といわれるのは嫌だねえ。『早く死なないかなァ』と思われながら生きつづけて死ぬのが一番いい。『やっと死んだ。ざまあみろ』といわれて死にたいと念願していますよ」※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.09 16:00
週刊ポスト
都内の高校を視察することもあった(写真は2000年、時事通信フォト)
石原慎太郎氏の発言から振り返る「無気力な若者」に感じていた危機感
 石原慎太郎氏が2月1日に亡くなった(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。『週刊ポスト』にだけ語っていた「金言」「暴論」を振り返る。 * * * 石原氏が日本を憂いたのは、「どんどん若い人がダメになってきた」(2012年1月13・20日号掲載。インタビュアー・吉田豪氏)からでもあった。 日本の若者たちが堕落した理由を石原氏はこう語った。「日本のアイデンティティは何かと問われると、今は『我欲』しかない。金銭欲、物欲、そして性欲。それは衝動的な感情にすぎないが、それを増幅し、媒介しているのが携帯、あるいはパソコンです。テレビでは、温泉、グルメ、お笑いばかり。これは好ましいことではない」(2011年2月25日号掲載) 戦後日本では、公的な欲求より私的な欲求を満たすことが優先された。その欲求は個人的なツールである携帯やマスメディアによって増幅され、画一化された個人が肥大化する時代になった。特に心配なのが若者の元気のなさだ──そう指摘する石原氏は、なぜ無気力で画一的な若者が増えたのかを問われて、こう答えた。「端的にいうと、60年間戦争がなかったからですよ。戦争がないのは有り難いことだけど、つまり国や社会全体が緊張した瞬間が一度もなかった」(2005年1月14・21日号掲載。インタビュアー・田澤拓也氏) 戦後、アメリカの核の傘に入って経済成長を謳歌した日本は、国全体に「平和の毒」が回って緊張感がなくなり、若者を中心に無気力ムードが蔓延したとの見解である。 では、我欲ばかりの若者をどう教育すればいいか。石原氏の掲げる対策は刺激的だった。徴兵制のある韓国の若者と日本の若者は人生に対する積極性がまるで違うと主張した上で、次のように語った。「若者を救うためには、軍役に就かせるか、あるいは警察、消防、海外協力隊でもいいが、連帯作業の役務に就かせて修練させる制度が効果的だ。 携帯、テレビ、パソコンのバーチャルな対人関係によって、あまりにもひ弱になってしまった者たちには、意思に反して強いられる肉体的制約が必要なのです」(2011年2月25日号掲載) 自民党が野に下っていた1994年、自民党の国会議員だった石原氏は党の政策大綱案として、「二十一世紀への橋」という論文を書いた。そのなかでも石原氏は、高校を卒業した年齢の子供は、1年間か2年間、軍隊か警察か消防に入る義務を課すべきと記した。 権利や自由ばかり尊重されるなか、義務と責任を通じて若者を成長させるべきとの主張は、個人主義が進んで連帯感を失った今日の日本社会に痛烈に響く。「新スパルタ教育論」と題したインタビュー(2012年1月13・20日号掲載)では、体罰を絶対悪とする世の風潮に反し、「しつけとは体罰だ」と主張した。「体罰はいいんだ。身にしみるからね。残虐行為とは全く違う。立たせるとか男のお尻をたたくとか、せいぜい平手打ちを食らわすぐらいあったっていいと思うな。やっぱり、しつけですよ。しつけっていうのは刷り込みなんです。たとえば九九算ですよ。あれは計算じゃなくて、刷り込みで暗記してる。それをやらなきゃダメです。それをある年齢まで来たときに、とにかく半ば強制的にやれるのは集団生活しかないから」 こうした「暴論」は今の若者にどう届くだろうか。※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.08 16:00
週刊ポスト
石原慎太郎さんの過去のインタビューなどを振り返る
過激だった石原慎太郎さんの発言「テポドンが日本に落ちればいい」の真意は
 作家としてはもちろんだが、これほどまでに「自分の言葉」を持っていた政治家はいまい。数々の過激発言で物議を醸した石原慎太郎氏が2月1日に亡くなった(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。本誌・週刊ポストにだけ語っていた「金言」「暴論」を振り返る。 * * * 1968年の参院選で自民党から出馬し、史上最多(当時)の300万票を得て初当選した石原氏は、政治家として歯に衣着せぬ言動で注目を集めた。1971年に38歳で本誌に初登場した際も、弁舌が冴えわたった。「派閥次元で中国問題を考えているんですからね。それが党内の溝をふかめ、政局は混乱する。それぞれ本当に熱心に国をまもるために論争しているかというと、そうじゃない。みんな、次元の低い政治的な利益をとげるために物をいっている」(週刊ポスト1971年9月24日号掲載) 中国とどう対峙するかをめぐる自民党内の議論に嫌気が差し、自らの政治理念を実現するために衆議院議員への転身を表明した際の発言である。 現在にも通じる中国問題について、石原氏は50年以上前から警鐘を鳴らしていた。その根底にあったのが、“日本を憂う気持ち”だ。 国の将来に危機感を持たず、有権者に対する責任感を欠き、保身と私利私欲に走る政治家を石原氏は蛇蝎のごとく嫌った。 東京都知事時代のインタビュー(週刊ポスト2000年12月29日号掲載)では、当時の政治家がディーゼル車の排ガス規制を遅々として進めない理由について、こう語った。「結局、意識の問題、使命感の問題です。もっと平たくいえば、政治家が“俺は本当は偉いんだ“とうぬぼれてかかったらいいんだ」 国民から信託された政治家は各省庁の意見の食い違いや業界団体の圧力を乗り越え、使命感を持って堂々と政策を遂行すべきとの見解である。 近年も批判される「決められない政治」の急所を突いた石原氏は、2000年に国に先がけてディーゼル車の排ガス規制に取り組んだ。「政治家は恫喝されたら恫喝で返すくらいじゃないとダメだね。役人だって恫喝すれば動くんですよ」 盟友・亀井静香との対談(週刊ポスト2017年2月17日号掲載)では、そう豪語したこともある。「国家ビジョンが見えない日本人」への危機意識 安全保障も国士たる石原氏の主戦場だった。1989年にはソニーの盛田昭夫会長(当時)との共著『「NO」と言える日本』において、日本人が自己を主張して、対米従属から脱却することを訴えた。 2003年のイラク戦争時、米ブッシュ大統領の求めに応じて小泉純一郎首相(当時)が自衛隊を派兵した。この時、「人命は尊いから反対する」との声が世にあふれた。 だが、こうした考えは危険ではないか。この先、中国や北朝鮮が日本人の生命と領土を危険に陥れた際、イラク問題の構え方によってアメリカが「米国人の人命尊重」との考えで日本の面倒を見なくなるのではないか。その時、日本は単独で危機に対処できるのか──。 そう主張する石原氏は、国を愛する同志・中曽根康弘元首相との対談(週刊ポスト2004年1月16日号掲載)でこう語った。「だったら日本は完全な自衛軍事国家になって、軍事的にアメリカから独立する、積極的防衛で領土も領海も領空も守るということまで論じてもいい」 日米安保はまやかしと言い続けた石原氏は、平和ボケした日本人の目を覚ますため、時にはこんな過激な発言をした。「僕は今、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のミサイル・テポドンが日本に落ちればいいと思っている。どこでもいい。なんなら、東京の僕の家でもいいよ。そうしなければ日本人は、アメリカ信仰から目覚めないよ。日米安保でアメリカが必ず日本を守ってくれるなんて幻想なんだ」(1999年1月15・22日号掲載。インタビュアー・伊藤博敏氏) 対米独立を訴える石原氏が国家戦略の中心に据えたのが、日本国憲法だ。 護憲、改憲、解釈改憲など憲法に対する意見が分かれるなかで、「現憲法は破棄した方がいいんです。破棄というと乱暴そうだけど、これはいかん、直そうということになったら一応、憲法そのものを否定する」(2000年1月14・21日号掲載)が石原氏の持論だった。 敗戦後にアメリカに押しつけられた憲法を破棄し、自主独立の理念を持つ新しい憲法を制定する。それこそが石原氏が政治生命を懸けて追求した夢だった。実際に都知事の職を辞し、「最後のご奉公をしたい」と80歳で国政に電撃復帰したのも、自主憲法制定を実現したいとの思いからだった。 国会議員、都知事時代を通じて、政治家や官僚、国民を叱咤した石原氏。度重なる過激発言の背後にあったのは、「国家ビジョンが見えない日本人」への危機意識だった。「日本がどういう国になろうとしているのかさっぱりわからないね。僕は僕なりのひとつの国家ビジョンがあった」(週刊ポスト2000年12月29日号掲載) 若い頃から自主独立の精神を持ち、確固たる国家ビジョンをもとに発言を続けた石原氏は、国家論を避ける戦後日本において稀有な政治家だった。※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.07 16:00
週刊ポスト
「週刊ポスト」本日発売! 厚労省はなぜバカなのか?ほか
「週刊ポスト」本日発売! 厚労省はなぜバカなのか?ほか
 2月7日発売の「週刊ポスト」は、2つの袋とじが付いたグラビア大増ページの向春プレミアム合併号。新連載が目白押しで、好評のジャンボ宝くじプレゼント企画も。特集では、歯止めの利かないコロナ危機を招いた政治と行政の責任を明らかにし、墜ちた二つの巨星、石原慎太郎氏と水島新司氏の名言を振り返る。そして日本経済復活のカギを握る100人の経営者がついに決定!今週の見どころ読みどころ◆コロナ対策で迷走する厚労省は、どうしてこんなにバカなのか?思えば昨年秋、日本ではコロナがほとんど姿を消し、いよいよアフター・コロナ時代に入ることを期待させた。恵まれたタイミングで誕生した岸田政権は、その猶予期間になにもせず、オミクロン株が襲ってきたら右往左往。それもこれも、前政権では官邸主導だったコロナ対策が厚労省の手に戻ったことに起因していた。検査キットなし、ワクチンなし、病床なし、そして大規模接種会場を撤収していたのも、すべてこの三流官庁の仕業だった!◆<追悼>石原慎太郎「憂国の言霊」作家として、政治家として一時代を築いた石原慎太郎氏が逝った。本誌は半世紀以上にわたって氏のインタビューや対談を続けてきたが、そのなかから政治、教育、文学、そして老いにいたるまで語り尽くした珠玉の金言、名言、そして時に暴言だと物議を醸した言葉たちを紹介する。現代の日本のアイデンティティは「我欲」しかないと喝破し、国民が目を覚ますためには「僕の家にテポドンが落ちてもいいよ」と語った。◆石原良純らが語る「石原軍団」鉄の結束慎太郎氏の死に先立って静かに幕を下ろした「石原軍団」を振り返る。日活から飛び出して石原プロを設立した故・石原裕次郎氏と盟友・渡哲也氏が歩んだ軌跡が数々の証言で明らかにされる。父を亡くしたばかりの石原良純氏は、厳しくも楽しかった軍団の「鉄の結束」を追憶し、「仕事も遊びも一生懸命。遊ぶ時は腹をくくって本気で遊ばないと面白くない」と懐かしんだ。◆水島新司マンガ「珠玉の名言&名シーン」『ドカベン』『あぶさん』など故・水島新司氏の代表作品の名言と名シーンを集めた。コアなファンでも改めて驚く山田太郎の“ブチギレ”発言や、読者も涙したあぶさんの引退セレモニーなどがよみがえる。◆田原総一朗x藤井聡「中国は台湾・尖閣に仕掛けてくるか」ジャーナリスト・田原総一朗氏と元内閣官房参与の藤井聡氏が緊急対談。北京五輪後にも動きがあるのではと懸念されている中国の台湾侵攻の可能性を論じた。藤井氏は、「その時」には日本の尖閣諸島も標的にされると警告し、田原氏は岸田政権が「大きなカードを用意している」と暴露した。◆韓国が「日本の桜を伐採する」と騒ぐワケ大統領選挙を間近に控えた韓国では、特にリベラル派の与党サイドが人気取りを狙って日本叩きをエスカレートさせている。ついには日本統治時代に植えられた全国のソメイヨシノを伐採して韓国産の桜に植え替えようという運動まで始まった。かつては「ソメイヨシノは韓国発祥」と嘘を広めていた国だが、遺伝子検査でその虚言がバレた腹いせに、今度は罪のない桜を葬り去ろうという。◆「個人の力量」でセンバツ落選した野球部監督「高野連に抗議はしないが……」2年前には県大会を制し、昨秋は東海大会で準優勝した静岡・聖隷クリストファー高校がセンバツ出場を逃した。選考委員会は代わりに出場する大垣日大(東海大会ベスト4)のほうが「個人の力量に勝る」からだと説明したが、これでは勝利のために一丸となって戦ったチームも選手も報われない。上村監督を直撃すると、悲痛な心中を語り始めた――。◆ドラマとは大違い!「新聞記者」は死んだ日本の新聞の劣化が止まらない。部数減、広告減でアップアップの各紙は、社会の木鐸としての役割をかなぐり捨てて、とにかくネットで「バズる」ために奔走しているようだ。取材する前から予定稿を作って「速報」を競い、ネタは足ではなくSNSで探す。「タレント記者」「ガンダム報道部」「ほっこり強化」など、貧すれば鈍す内情を暴露する。◆セックス産業で稼ぐ現役女子東大生「裸で稼ぐのは受験と似ている」本誌取材に答えた東大2年生の女性は、入学直後に「エロ動画配信」で小遣い稼ぎを始め、今では学業の傍らデリヘル嬢もこなす。なぜ最高峰の学歴を手にしたのに裸で稼ぐのか。赤裸々な性遍歴と、いまどき東大女子たちの下半身事情を告白した。今後の夢は「ソープ嬢と官僚になること」と語る人生観は特殊なのか、いまや普通なのか。◆高梨沙羅、カー娘ほか日の丸オリンピアンを支える「用具職人」たち冬季五輪の競技は、いずれも「用具」の戦いでもある。しかし、夏季五輪と違って、たいていは競技人口が少ないため、メーカーはその戦いに勝っても商売にはつながりにくい。それでも世界一の技術で選手たちを支え続ける職人たちに焦点を当てた。なんとスキーのワックス・メーカーは、「選手が勝っても宣伝できない」のだという。なぜなのか?◆ついに決定「最強の経営者」100人ランキング有識者32名が「現役」「5年後」「歴代」の名経営者100人を選んだ。現役部門では1位・孫正義、3位・柳井正、4位・豊田章男に挟まれて、2位にはあの剛腕トップが選ばれた。歴代部門には経済史に金字塔を残した偉人たちが並んだが、そこには「紙のグーグル」を作り上げた天才や、朝ドラになった「あの人」も。◆中学受験「二月の勝者」になるための父親たちの長い戦いコロナ禍は中学受験をヒートアップさせているという。リモート授業などに対応できる体制が重視されていることや、在宅勤務の親たちがサポートしやすくなったことが影響しているという。これまであまりプレーヤーとなってこなかった父親の役割もかつてなく高まっている。有名校の入試が集中する「運命の2月1日」を迎えた父親たちの奮闘ぶりをリポートする。◆<カラーグラビア>時代小説で味わう江戸料理食い道楽でもなかなか食べ歩きには出かけにくいご時世だから、せめてグラビアでグルメ探訪を。時代小説に登場する伝統料理を現代でも味わえる名店の一皿を集めた。池波正太郎が書いた「白魚の卵とじ」や「浅蜊のぶっかけ」、髙田郁の「牡蠣の宝船」など、コロナが去ったらぜひ食べに行きたいメニューがズラリ。◆高血圧を自分でケアできる「ゴキブリ体操」解禁!好評をいただいているグラビア健康特集は高血圧にフォーカス。簡単エクササイズでは、イスを使ったスクワットやかかと上げとともに、「ゴキブリ体操」が紹介される。名前のインパクトもさることながら、コミカルな動きにもご注目を。※全国の書店、コンビニで絶賛発売中!
2022.02.07 07:00
NEWSポストセブン
三島由紀夫もUFOに興味を示していた(時事通信フォト)
三島由紀夫、UFO研究団体に参加していた 望遠鏡持参し熱心に夜空を観測
「空飛ぶ円盤」という言葉が登場して70年余り、UFO(未確認飛行物体)は多くの人々の知的好奇心をかき立ててきた。わが国初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」が発足したのは1955年7月のこと。それから1年ほど経ったある日、主宰者・荒井欣一氏(故人)の自宅に入会希望の青年から1本の電話が入った。 青年の名は三島由紀夫。言わずと知れた若き文豪は、代表作『金閣寺』の連載と同時期に、研究会の一員となった。生前の荒井氏と親交があった科学問題研究家、竹本良氏が語る。「初期メンバーである三島氏は、UFOの観測会が開催されるたびに高価な望遠鏡を持参して熱心に夜空を観測していたそうです」 三島は同会の機関誌に寄せた随筆で、熱海にUFO観測に出かけた日々をこう綴っている。〈毎夜毎夜、いはゆるUFOが着陸しないものかと、心待ちにのぞいていましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした〉 米国から帰国し、報道陣に熱く語る場面もあった。〈アメリカでは円盤を信じないなんてのは相手にされないくらい一般の関心も研究もさかんですよ─中略─(ラジオの深夜番組では)見た人の報告や科学的な検討や解説がされるんです〉 三島と同時期に、研究会のメンバーとして名を連ねたのが若き日の石原慎太郎だった。ただ、三島のような熱心さはなかったという。 石原は都知事時代(2007年)の定例会見で、当時、永田町で盛り上がっていた日本政府の「UFO論議」について問われ、こう述べている。「私も(UFOを)見たいとは思うけど、特段の思い入れはないね」 三島は会を退会した直後の1962年、宇宙人をテーマにした異色のSF小説『美しい星』を発表した。「三島氏は、科学で説明のつかないUFOや宇宙人に純粋な興味を抱いていたのでしょう。生きていれば、より壮大な宇宙の物語を描いていたのでは」(竹本氏)※週刊ポスト2021年11月5日号
2021.10.25 19:00
週刊ポスト
小池知事の父の夢支えた浜渦元副知事「百合ちゃん幸せか?」
小池知事の父の夢支えた浜渦元副知事「百合ちゃん幸せか?」
 小池百合子氏(67才)が東京都知事に再選された。そのルーツは“政治好き”だった父の勇二郎氏を抜きには語れない。石油関係の事業を営んでいた1922年生まれの勇二郎氏は、石原慎太郎氏が1968年の参院選全国区で出馬すると、関西地区の責任者となってトップ当選させ、自分も1969年の総選挙に旧兵庫2区から立候補する。しかし結果は惨敗した。小池氏が甲南女子高校2年のときだ。このとき、勇二郎氏の選挙を手伝ったのが、後に自民党から選挙に出て防災担当相となる鴻池祥肇氏と、石原氏の秘書から副知事を務める浜渦武生氏だった。 小池父娘の貴重な実像を知る浜渦氏だが、築地移転問題をめぐって小池氏に厳しい追及を受けたこともある。これまで沈黙を貫いてきたキーパーソンが、ついに重い口を開き、小池都知事について話し始めた。●聞き手/藤本順一(政治ジャーナリスト)──今回の圧勝をどう見ますか。浜渦:入れる対象が彼女しかいないのだから、勝って当然でしょう、自粛選挙なのに、コロナ対策で彼女だけ毎日テレビに出続けられる。政務と言いながら実際には選挙活動ができるわけですから。ただし、彼女の都政でいったい何が変わったのか。築地の移転問題にしても、煽って煽った結果、何も変わらなかったじゃないですか。──彼女との関係は50年以上前に遡る。浜渦:彼女はかつて、私が「家に居候をしていた」と言っていましたが、それは嘘。私は関西大学の学生だった頃、「日本の新しい世代の会」という石原さんの政治団体で学生部のリーダーをしていた。 関西担当の専務理事をしていたのが父親の勇二郎さんで、1969年に旧兵庫2区から衆院選に出るというので、石原さんから「彼には何もないみたいだから、君が学生を集めて手伝ってくれよ」と言われたんです。選挙事務所すらないので、その団体の尼崎支部長だった鴻池祥肇さんの事務所を使うことになり、私はそこで寝泊まりするようになった。プレハブがあって、私が集めた学生たちもそこに詰めていました。 あの頃の勇二郎さんは中曽根康弘さんに心酔していて、息子の勇くんに一時期「康弘」と名乗らせていたほど。それなのに選挙になって中曽根さんに支援を頼んでも全く相手にもされず、頼れるのは石原さんの人気だけでした。私が車上運動員、いわゆるカラスをやっていると、勇二郎さんはこう言えと。「石原慎太郎! 石原裕次郎! 小池勇二郎!」って(笑い)。 呆れたことは何度もあります。中曽根さんが海軍少佐だったのに憧れて、勇二郎さんは「自分は中尉だった」と言うんです。でも、私の父も偶然、海軍学校から終戦の間際にようやく海軍大尉になっていたので、「父より10歳も年下で海軍学校も出ていないのによくなれましたね」と言ったら、ケッケッケッと独特の笑い方をしながら、「君ね、嘘も100回言えば本当になるんだ」と。そういう人なんです。──その頃、甲南女子に通っていた百合子さんとは?浜渦:選挙事務所に来ていたのは兄の勇くんだけで、1歳年下の彼とは国家や政治について何度も議論しましたが、5歳年下の百合ちゃん、当時のことなのでそう呼びますが、彼女とはそんな話をしたことがない。芦屋の小池家は線路近くにあって、実際には「芦屋のお嬢さん」と呼べるほどの家ではなかったんですが、お母さんは彼女をそのイメージで育てたかった。 彼女自身が言うように、百合ちゃんの顔にはアザがありますが、実はお母さんの顔にも同じようにある。お母さんはそのことを気にしていたようで、だからこそ特別、娘を大切にしていた。当時の百合ちゃんはほんわかした印象で、その後の政治家・小池百合子とは全くの別人です。◆「百合子の応援をしてくれ」──結局、勇二郎さんは落選します。浜渦:選挙戦の最終日、勇二郎さんと鴻池さんと私の3人で、尼崎のガード下の焼き肉屋に入った。勇二郎さんはタスキを掛けたままで、まだ周囲に頭を下げている。鴻池さんと「もう止めましょう」と言いましたが、さすがにあれは感心しました。 ただ、勇二郎さんは「選挙のせいで会社が傾いた」と言っていましたが、実際には会社が傾いてきたから選挙に出たんです。勇二郎さんがやっていた三昌物産という貿易会社に、衆院議員になった佐藤文生さんがいたことがある。 その文生さんが運輸政務次官になった時に、「自分も当選したら通産政務次官になれる。そうしたら三昌物産がアラブの石油を一手に引き受けて、日本一の会社になる」と豪語していました。それが政治ですかと意見したら、「ポリティクス・イズ・ポリティクス、ビジネス・イズ・ビジネス」と言われました。政治とビジネスは分けていると言いたかったんでしょうが、私には政治を利用しているとしか思えなかった。──選挙後は交流がなくなったんですか。浜渦:その後、会社が潰れてエジプトに行ったと聞きましたが、たまに連絡が来ました。石原さんの事務所にいたときに電話があって、「百合子をカイロ大学に通わせるんだ。ただしアラビア語が全く分からないから、向こうの教材を全部日本語に訳して、丸暗記させる」と言っていました。勇二郎さんはビジネスでも政治でも挫折した経験から、息子の勇くんにはビジネスでの成功を託し、娘の百合子さんには政治家としての成功を託すようになったのではないでしょうか。 勇くんはその後、ODA関連の仕事をするようになるし、百合子さんも日本にいたときはお母さんの影響が強かったのに、エジプトに行ってからはお父さんの影響が濃くなって、政治家を目指すようになっていった。彼らがあちらで体験した苦労が、より絆を強くしていったのでしょう。──彼女とはいつ再会したんですか。浜渦:キャスターになったあと、一緒に番組をやっていた竹村健一さんは石原さんと仲が良かったから、その縁で会いました。その後しばらくして、今度はお父さんが訪ねてきて「百合子の応援をしてくれ」と言う。参議院選に日本新党から出馬するから、応援してくれと。しかし、私はその頃、自民党の鴻池さんのお手伝いをしていたので、「私は鴻池さんに恩義があるからダメです」とはっきり言いました。──なぜ小池百合子本人が頼みに来ないのか。浜渦:私からしたら、小池百合子はお父さんが作り上げたものですから、お父さんも同体のつもりだったんでしょう。勇二郎さんの考えは、今利用できる、もっと言えば騙せる人に近づくということ。私はそう思われたから、彼にとって必要になったときだけ連絡が来た。それは彼女も同じです。 彼女と私に関して、過去の因縁などと言う人がいるが、彼女は常に過去を否定し、今がどうあるか、どうすべきかだけを考える人。それもお父さんから徹底的に教え込まれたものだと思います。──1992年の参院選に当選した彼女は、翌年には衆院選に鞍替えし、鴻池さんのいる旧兵庫2区から出馬。彼女は土井たか子に次ぐ2位で当選し、鴻池さんは落選します。浜渦:本当にひどいと思いました。鴻池さんの落胆は大きかったでしょう。ただし、鴻池さんにも私にも、3人してガード下で焼き肉を食べた思い出はある。だからこそ鴻池さんは小池家について最期まで黙っていたし、私も語ってこなかった。◆石原家への恨み──その後、自身も都知事になった彼女の標的になりました。浜渦:前任者の活動を全否定するのが新しい人の在り方だし、過去の否定こそが小池家の教えです。まず石原慎太郎がターゲットにされ、そのあとに一番いじめやすい私が選ばれたんでしょう。 彼女には慎太郎さんではなく都連会長だった石原伸晃さんに対する恨みつらみがあった。都連の会合に呼ばれないと。伸晃さんに言わせると彼女が来ないということになるが、2人の関係が悪かったから、都知事になったあとに石原批判が始まったんです。彼女の標的は、慎太郎さんだけでなく石原家全体だった。──かつては石原さんから、「小池さんを後継に」という話もあったと聞いています。浜渦:実際に石原さんが辞めた後にその話はありました。石原さんから直接「どうか」と言ったと。百合子さんからも聞きました。しかし彼女のほうから断わったと。 実は彼女が都知事選に出馬する前に、私に電話があったんです。選挙を手伝ってほしいというお願いだったようですが、電話に出ませんでした。私は石原さんに恩義がある。石原さんがOKと言えば手を貸したでしょうが、許可がないのに勝手なことはできません。 その都知事選で石原さんは百合子さんを「厚化粧」と言って批判を浴びましたが、アザのことは知らなかったんです。──2013年に勇二郎さんは亡くなり、彼女の過去を知る人はいまやほとんどいません。現在の彼女をどう見ていますか?浜渦:メディアは彼女の言うことが虚偽だとしても、改めようとしません。言うことが少しずつ変わっていっても、過去のことを知らない若い記者たちは誰も指摘しない。 その結果、彼女の言いたい放題になってしまい、イメージが膨らんでいく。今の彼女は、メディアが作り上げた“虚怪”だと思います。だからこそ、そろそろ過去のことも含め話さなければと思うようになりました。 彼女には政治家としてやりたいことなどなく、ただ目の前の小石を拾い上げているだけに見えます。近くで支えてくれる人もいないのでは。果たして今、百合子さんは幸せなんでしょうか。【プロフィール】浜渦武生(はまうず・たけお)/1947年生まれ。石原慎太郎氏、鴻池祥肇氏の秘書を経て、東京都副知事、東京交通会館副社長、東京都参与を歴任した。2017年、築地市場移転問題に関して百条委員会から偽証罪で告発されたが、その後不起訴処分となった。※週刊ポスト2020年7月24日号
2020.07.12 07:00
週刊ポスト
「孤独な女帝」の謎に迫る(共同通信社)
小池百合子氏 「孤独な女帝」のしたたかさ、逞しさのルーツ
“異端の政治家”小池百合子氏(67)が東京都知事に再選された。4年前の知事選でブームを起こし、勢いを駆って前回総選挙では小池新党「希望の党」を立ち上げて国政に挑む大博打を打ったものの、大負けしてすってんてん。「小池は終わった」と思われていた。 それが今回はメディアあげての批判の嵐の中、新型コロナ対応で再び風をつかんで圧勝してみせたのだ。 政界では“勝負師”の彼女がこのまま4年間、おとなしく知事任期を全うすると考える者は少数派だ。次はいつ、総理をめざして国政に転じるかと与党も野党も戦々恐々としている。 群れず、頼らず、敵をつくるのを厭わない。だから嫌われ者だが、バッシングさえ逆手にとって何度挫折しても蘇る。この「孤独な女帝」のしたたかさ、逞しさのルーツはどこにあるのだろうか。 小池氏は世襲政治家ではない。だが、そのルーツは“政治好き”だった父の勇二郎氏を抜きには語れない。 勇二郎氏は戦時中、日本の皇室は中東のシュメール文明の末裔だとするスメラ学塾に参加し、「民族独立運動」など超国家思想に傾斜していた。戦後は貿易商を営んでアラブ諸国に人脈を広げた。〈大正十一年に神戸で生まれた父は、戦争中海軍に身を置いた。終戦後は、ペニシリンで一儲けした後、重油を関西電力に卸す商売やガソリンスタンド経営など石油がらみの仕事をベースに、三十代で関西経済同友会の幹事を務めるなど派手に立ち回ったようだ〉 小池氏は文藝春秋2008年6月号の「オヤジ」という表題のエッセイでそう書いている。大風呂敷を広げるのが好きな破天荒な人物だったようだ。交友があった右派の政治団体関係者の話だ。「自称・元海軍将校で戦争中は『アジア解放』の使命を軍部から命じられ、戦後は政治家の密命を帯びて世界中を飛び回っていたと。すべてがそんな調子で、娘がカイロ大学を出たのも、『自分が新たな大東亜共栄圏建設のために世界を歩いた結果のコネクション』なんだという。 ただ、地に足はついていないが、本人なりに真剣に政治のことを考えていた人だった。唐突に電話をかけてきて、『いま私が総理大臣だったらこうする』という話を延々と聞かされた」 石原慎太郎氏が1968年の参院選全国区で出馬すると、勇二郎氏は関西地区の責任者となってトップ当選させ、自分も1969年の総選挙に旧兵庫2区から立候補する。 自民党の公認は得られず、石原氏の政治団体「日本の新しい世代の会」を看板に無所属で戦ったが、結果は約7000票で惨敗した。泡沫候補だった。小池氏が甲南女子高校2年のときだ。 このとき、勇二郎氏の選挙を手伝ったのが、後に自民党から選挙に出て防災担当相となる鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)氏と、石原氏の秘書から副知事を務める浜渦武生氏だった。◆父の人脈を蹴落とした 世襲議員は選挙に出るにあたって親から地盤、看板、カバン(政治資金)を受け継ぎ、世襲でなければ有力政治家の秘書を経験したり、地方議員から国政をめざすなど、いずれも地縁血縁人脈をフルに使って当選を目指すのが常識である。 小池氏は違った。1992年の参院選比例区で日本新党から当選した小池氏は、翌1993年の総選挙で衆院に鞍替えし、父と同じ旧兵庫2区(定数5)から出馬する。そこには鴻池氏が現職代議士として地盤を築いていたが、そこに割って入った小池氏は土井たか子氏に次ぐ2位で当選、鴻池氏は落選する。父の人脈を利用するのではなく、逆に戦って蹴落としたのだ。 もう1人の浜渦氏も、小池氏が都知事に就任すると石原都政時代の築地移転問題で都議会の百条委員会にかけられて厳しい追及を受けた。 国会議員となった小池氏は、日本新党時代は細川護熙氏、新進党と自由党では小沢一郎氏、自民党入党後は小泉純一郎氏と時の有力者の側近となり、頭角を現わしていく。 永田町の“出世の方程式”は、実力政治家の子分となり、下積みを経験しながら政治キャリアを積む。自民党であれば、派閥組織の中で政務官、副大臣、大臣とサラリーマンのように年功序列でポストがあてがわれる。ここでも小池氏のやり方は型破りだった。政治評論家・有馬晴海氏が語る。「閨閥を持たない小池氏は、世襲議員と違って組織の中では出世が遅れてしまう。だから有力者に引き立ててもらったというより、自分から有力者に積極的にアイデアを売り込んだ。サラリーマン政治家ではなく、ベンチャーなんです。だから有力者の力が衰えたり、情勢が変わると踏み台にして別の有力者に乗り換え、自分の力でステップアップしていくしかなかった」 組織の中で出世したわけではないから、決まった後見人もいないし、子分もできない。自らの政治勘だけを頼りにリスクを取って勝負に出る。「孤独な女帝」はこうして生まれた。 自民党が閨閥なき異質の政治家の国政復帰を警戒するのは、父譲りの破天荒な血で政界秩序をかき回されることを恐れているのかもしれない。※週刊ポスト2020年7月24日号
2020.07.10 07:00
週刊ポスト
【与那原恵氏書評】1964年東京五輪の「神話」の呪縛を解く
【与那原恵氏書評】1964年東京五輪の「神話」の呪縛を解く
【書評】『五輪と戦後 上演としての東京オリンピック』/吉見俊哉・著/河出書房新社/2600円+税【評者】与那原恵(ノンフィクションライター) 東京オリンピック開催の一年延期が決定し、その開催が無理な場合は、中止となる情勢だ。安倍晋三首相は「人類がコロナに打ち勝った証として」この五輪を成功させると言うが、そんな一年後はやってこない、と国民の大方は予想しているだろう。 二〇〇五年、石原慎太郎都知事(当時)が五輪の東京誘致に乗り出したものの、当初は都民の支持率さえ低かった。しかし東日本大震災からの復興のシンボルとしての開催を掲げたことが功を奏したのか、二度目の東京五輪開催が決定。しかしゴタゴタ騒動が続いた。そのうち「復興五輪」のスローガンは薄れていき、いったい何のために開催するのか、よくわからないまま事態は進行した。 それでも国民が五輪への期待を抱くようになったのは、メディアを中心に繰り返し語られた一九六四年の東京五輪の「成功体験」であったと、社会学者の著者は指摘する。この五輪を契機に日本は敗戦の痛手から立ち上がり、自信を取り戻し、高度経済成長を実現させたという戦後日本の「神話」だ。 しかし一九九〇年代半ばを境に、日本は高度成長期が反転した。身をもってそれを実感する国民は、二〇二〇年東京五輪開催への懐疑を、ゴタゴタ騒動のたびに呈してきたともいえるだろう。それは明確な五輪NOではなかったかもしれない。しかし私たちはコロナ禍を体験し、意識が変わった。〈人々が二〇二〇年に期待するのは、成長への夢ではなく、生活の質の充実や様々なリスクに対する回復力、そして末永い持続可能性への信頼である〉という著者の言葉がまっすぐに届いてくる。 六四年五輪の「神話」、その呪縛を解く意味でも改めて見直されるべきだという著者は、近代日本の歩みとともに検証していく。五輪の舞台となった東京の変容。米軍施政下の沖縄から出発した聖火リレー。そして活躍した選手たちを生んだ社会的背景(女子バレーと繊維産業)など、当時の日本を浮かびあがらせる。今、読まれるべき五輪史だ。※週刊ポスト2020年7月10・17日号
2020.07.09 16:00
週刊ポスト
(時事通信フォト)
小池都知事の「夜の街を見せしめに」的手法が孕む問題点
 投票終了からわずか4秒で「当確」の文字がテレビに躍った。圧倒的な勝利で終わった7月5日の東京都知事選。再選した小池百合子都知事(67才)はにやりと笑って、こう語った。「緊張感を持って、新型コロナに対応していきたい」 都内の新型コロナウイルス感染者数は7月2日から連日100人を超えた。「感染者が増えても小池さんは『夜の街に行かないで』と繰り返すばかりで、感染拡大対策はほぼゼロ。その最大の理由はお金がないから。9000億円以上あった”都の貯金”の財政調整基金の残高はコロナ対策で807億円まで激減した。資金不足で補償できないので、休業要請を出し渋らざるを得ない。そのため、とにかく『夜の街』を連呼して悪者にし、そのほかの東京は安全だと印象づけたいのです」(都政関係者) 確かに新規感染者は、接待を伴う飲食の場など「夜の街」の従業員やその客が目立つが、それには理由がある。「新宿区長と歌舞伎町のホストクラブ経営者らは協議を重ね、無症状でも従業員に積極的に集団検査を受けさせました。ホスト店側も“感染していない”ことがはっきりすれば、従業員も客も安心できますから。つまり、夜の街で感染者が増えたのは、彼らが積極的に検査に協力した結果なんです」(前出・都政関係者) 昭和大学客員教授(感染症)の二木芳人さんが言う。「緊急事態宣言の解除以降、当時から夜の街に問題があるのに都は有効な手を打てず、感染が拡大しました。夜の街での集団検査にこぎつけ、感染者を把握できるようにしたのは、都ではなく新宿区や経営者らの功績です」 実際は、夜の街対策ほど簡単なことはない。元大阪府知事の橋下徹さん(51才)はテレビ番組でこう指摘した。《補償をしっかり出す代わりに、営業停止をやる。それが政治の役割です。ボヤはボヤのうちに消さないと、一気に火が広がるんです》 限られた地域の、限定業種への補償は、いまの財政でも充分にできる。だが、小池都知事は「夜の街に行かないで」と呼びかけるのみ。そこには彼女の思惑が透けて見える。「営業停止にしてしまったら、『コロナは夜の街だけで流行している』という言い逃れができなくなります。そもそも小池さんの政治手法は、次々に“敵”を作って勢いよく攻撃し、世間を味方につけるというもの。過去には、石原慎太郎元都知事や森喜朗元首相を悪者に見立てた。コロナでも最初はパチンコ店を敵視し、次が夜の街だったわけです。“敵は生かさず殺さず”が彼女のやり方です」(全国紙社会部記者) 医療ガバナンス研究所理事長の上昌広さんは「夜の街を見せしめにするのは2つの面で大きな問題」と指摘する。「夜の街を袋叩きにしたら、『陽性になったらそこまで叩かれるのか』と思った人が、陽性がわかったときの非難や経済的被害などを恐れ、感染の可能性があっても検査を避けるようになる。その結果、感染はどんどん拡大します。経済活動を再開すれば感染者が増えるのは当然で、どの職種でもコロナに感染する可能性があります。それなのに夜の街だけ吊るし上げたら、ほかの本当に危険な感染拡大スポットを見落とす恐れがあります」※女性セブン2020年7月23日号
2020.07.09 07:00
女性セブン
五輪は電通にとって最大規模のイベント(AFP=時事)
電通の最大イベントが「五輪」、組織委は電通に頼るのが前提に
 国の持続化給付金事業の再委託などで、にわかに注目を集めることになった大手広告代理店・電通。今回の問題がなぜ国民の怒りを買っているかといえば、電通が“濡れ手に粟”で懐を潤わせている国家事業の予算が、公金で賄われているからだ。 そんな電通が手がける中で、最大規模のイベントが「五輪」だ。『電通巨大利権』などの著書がある博報堂出身のノンフィクション作家・本間龍氏が言う。「電通はIOC(国際オリンピック委員会)をはじめ、FIFA(国際サッカー連盟)や国際陸上連盟、国際水泳連盟などと密接な関係を保っている。とりわけIOCとは、史上初の民間運営方式で行なわれた1984年ロス五輪以降、太いパイプを築いている」 それゆえ、東京五輪では招致段階から電通が大きく関与してきた。 招致活動中の2009年3月、当時の石原慎太郎・東京都知事は、招致活動の基礎調査などの特命随意契約を電通と結び、「電通が持っている影響力は、他の広告会社では及ばない。(電通を)選ばざるを得ない」と語った。前出・本間氏が語る。「東京五輪では国内外の企業約80社と総額3500億円に上るスポンサー契約を成立させた。大規模なスポンサー集めは“素人”の組織委員会には到底できないので電通に頼るのが前提だった」 東京五輪でも政府や都からのカネが大量に電通に流れている。非営利系シンクタンク「構想日本」や、ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」などが、政府や官公庁が公表する統計や予算をデータベース化した「JUDGIT!」というサイトによれば、2016年以降、内閣官房から「東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部経費」として電通へ支出していることが確認できる。「組織委員会は、開閉会式の企画・運営、出演者の調整や、聖火リレーについても、公募と専門家による審査の上で、電通に業務委託すると決定しました。東京都聖火リレー実行委員会による、聖火リレーランナーの募集業務なども電通が3億3981万円で落札しています」(前出・本間氏) 来夏の五輪開催が危ぶまれている中、6月16日付の日刊スポーツでは、組織委員会理事で電通元専務の高橋治之氏がインタビューに答え、「中止は絶対に避けなければならない」と語り、新型コロナの感染状況が改善しない場合は「もう一度、延期を働きかけるべきだ」とも言及した。 組織委員会が「再延期はない」との公式見解を示す中、電通OBの高橋氏がそれに真っ向から対立する発言をすることが、電通にとっての五輪の大きさを物語っているともいえるだろう。※週刊ポスト2020年7月3日号
2020.06.25 07:00
週刊ポスト
議論に終止符が打たれるか(時事通信フォト)
小池百合子都知事 コンプレックス抱え、背伸びしてきた半生
 前回の東京都知事選で「崖から飛び降りる覚悟で」と演説した彼女は、290万票超の得票で圧勝した。あの熱狂から4年。無風状態といわれた都知事選の風向きに変化が訪れ始めた──。 滑らかな堂々たる口調で、万能感溢れる雰囲気が一変、厳しい表情に変わる。緊張と動揺からか一瞬表情が揺らぐが、すぐ立て直す。久しぶりにマスクをとってのぞんだ小池百合子東京都知事(67才)の都知事選出馬会見。その“素顔”が垣間見えた瞬間だった。 7月5日投開票の都知事選で再選をめざす小池知事にふってわいた学歴詐称疑惑。5月末に発売された話題の書『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋刊)が発端となった。「カイロ大学の卒業証書の原本を出すことは可能かという記者の質問に、正対して答えないまま会見は終わりました。小池知事が疑惑を否定した形ですが、長年にわたる取材を基に書かれた“真実”は無視するにはディテールがありすぎる。その証書が本物かどうかなど裁判をして紙の古さを確認するなどしない限り、もう誰にもわからない。このまま『女帝』が問題提起した『学歴詐称疑惑』は藪の中でしょうね」(都政担当記者) 小池知事が前回の都知事選に立候補したのは2016年6月。自民党東京都連の意向に背いて、いち早く出馬を表明した小池知事は、孤立無援の状態で選挙に挑んだ。 前回の都知事選で小池知事が一気に勢いを持った一幕がある。石原慎太郎元都知事から「大年増の厚化粧がいるんだな、これが」とこき下ろされたときのことだ。「この発言に対し、小池さんは『顔のアザを隠すためです』と怯まず冷静に切り返しました。以降、『女性のコンプレックスを攻撃する旧態依然の男社会に立ち向かうヒロイン』という印象が小池さんにつきました。女性票を集め、都知事選の圧勝劇が生まれました」(前出・都政担当記者) 圧倒的なカリスマ性で支持を集めた小池知事。日本初の女性総理との呼び声も高く、“ガラスの天井”を初めて破るかと期待された。 だが『女帝』では、学歴に関する疑惑だけでなく、これまでのパブリックイメージを覆す半生が綴られている。 東京在住50代の女性は困惑してこう話す。「初めは男性陣がよってたかって小池知事を攻撃している図式にみえたので、彼女を応援していた。ただ、なぜすぐに証書を見せてくれなかったのか。彼女の半生がもし嘘だらけだとしたら何を信じていいかわからない。怖いです」 別の60代の女性の話。「本、読みましたよ。ちょっと信じられない気持ちです。コロナでもテキパキ、活躍されているでしょう。見た目もオシャレでかっこいいですし。その辺りの男性政治家より決断力も度胸もあって好きでした。ただ、そういう目で見ると、前回の都知事選の待機児童ゼロや満員電車ゼロなどの公約は全然守られていないし、いったい本当はどういう素顔なのだろうと…」◆アザと父に翻弄された知られざる少女時代 小池知事は1988年にテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代キャスターに就任、語学力とトーク力を武器としてテレビを中心に活躍。だが、1992年には億単位のキャスター収入を捨て、細川護熙氏(82才)が結党したばかりの日本新党から参院選に出馬し、初当選した。「その後も節目節目で抜群の嗅覚を発揮、細川さんだけでなく小泉純一郎さん(78才)や小沢一郎さん(78才)ら大物政治家の寵愛を受け、環境大臣や防衛大臣という要職を歴任しました。“政界渡り鳥”と揶揄されてきましたが、半面、男社会の永田町を生き抜いて、都知事にまで上り詰めた稀有な女性政治家であることは否定できません」(政治ジャーナリスト) 過去に本誌が「政界渡り鳥」といわれることへの感想を尋ねると、小池知事はこう答えた。「私が権力者のところに渡るのではなく、私のサポートでその人が権力者になるんです(笑い)」 これまで、逆風の中でも崩さなかった強気の姿勢。だが、明かされた彼女の半生は悲哀の道だった。『女帝』には右頬のアザを気にしながら幼少期を過ごしてきたこと、父の嘘や期待に苦しめられたこと、学生時代に親しいと呼べる友人がいなかったことが丹念に描かれている。また、カイロ時代に学生結婚し、1年もたたずに離婚したことを極力他言せず過ごしてきたとも。「小池知事は育ちのよい“芦屋の令嬢”というように振る舞ってきたが実態は違う。豪邸でないことを隠すように過ごし、有名なお嬢様学校では成績もよくなく目立たず、アルバイトをしながら糊口をしのいでいた。そんな少女時代のエピソードを耳にすると、堂々と振る舞えば振る舞うほど、彼女のマスクの下にある本当の姿を垣間見てしまった気持ちになります。彼女は小さい頃の話は本当に口にしないんです」(小池氏を知る永田町関係者) 小池知事は生まれつきの右頬のアザをいつも気にしていた。「石原さんに“厚化粧”と揶揄されたときには当意即妙に切り返しましたが、右頬のアザは実際長い間彼女のコンプレックスだった。容姿や経済状況など彼女はコンプレックスを抱えていたからこそ、その反動で自分を大きく見せようと背伸びして振る舞ってきた人。堂々と陽の当たる場所を歩いてきた人ではないんです」(前出・永田町関係者) 小池知事はそのアザについても、「すべてのエネルギーのもと」と嘯く。《母は私には何も言わなかったけれど人に言っているのを聞いたことがあるの。百合ちゃんは女の子なのに可哀相って……。コンプレックスではなかったけれど、でもそれがあるからこんなに頑張ってこれたと思う》(『AERA』1992年11月10日号) マスクの下に隠された素顔を明かされて、彼女はいま何を思うのか。 冒頭の記者会見から3日後、小池知事はカイロ大学の卒業証書を報道陣に公開した。「政策論争よりも卒業証書の話ばかりが出てくるのは(選挙戦に)ふさわしくない」 と公開の理由を明かし、いつものように余裕の笑みを浮かべた。 この日は、山本太郎・れいわ新選組代表も立候補を表明し、無風だとみられていた都知事選が混沌としてきた。運命の投開票は7月5日だ。※女性セブン2020年7月2日号
2020.06.18 16:00
女性セブン
大泉逸郎の「孫」が26歳に 反抗期経て今も2日に1回は電話
大泉逸郎の「孫」が26歳に 反抗期経て今も2日に1回は電話
 1970年代に大ブームになった『ノストラダムスの大予言』によれば世界が滅亡するはずの1999年、57歳の新人歌手・大泉逸郎の『孫』が発売、ヒットして翌年には大泉が紅白歌合戦に出場した。当時も現在も山形でさくらんぼ農家を営みながら、歌手活動を続ける大泉に、名曲『孫』誕生と、成長する孫への思いを聞いた。 * * * 山形でさくらんぼ農園をしながら、民謡歌手や結婚式の司会もして、趣味で歌も作っていたんですよ。平成6(1994)年、初孫の慎太郎が生まれた時に同じ集落の荒木良治さんに1日で詞を書いてもらって、私が曲をつけた。結婚式で歌ったら、欲しいと言う人がいたから、自分で吹き込んだカセットテープを配ったりしていた。 ところが、孫が1歳の時にウチの息子が急性骨髄性白血病で倒れた。無菌室で寝ている横で、孫がガラス越しに「パパ、パパ」と泣き叫んでさあ、涙が出たなあ。私の骨髄を移植して、なんとか助かった。失敗したら、『孫』はボツにしていたね。 平成8(1996)年に徳間ジャパンから8000枚自費出版したら、結構売れたんですよ。その2年後、地元のカラオケイベントで課題曲に選ばれて、そこからテイチクに話が持ち込まれ、次の年に57歳でデビュー。200万枚売れたの? 何枚とかあんまり関心ないんだよなあ(笑い)。何十曲も出したけど、俺はあくまで農家の人間だし、基本『孫』だから。 ステージに上がる時もお客さんに「あ、“孫”がきた!」と言われるし、歌っている途中もじいちゃん、ばあちゃんが舞台にきて、「これ、ウチの孫だ」と上げて寄越すんですよ(笑い)。ファンレターも「山形県 孫様」「宮城 孫を歌う歌手様」で届きますもん。郵便局にお礼に行ったら、「山形県のために、もう少し頑張れよ」と言われたね。ははっは。 孫には、反抗期もありましたよ。話し掛けても、ムスッとして返事しなかったりね。26歳の今は、2日に1回くらい電話を寄こしますよ。年金からお小遣いあげてるからな。はははっは。女房に「おまえなんぼやるの? じゃあ俺は少し高くする」と競ってる(笑い)。曾孫を見たいと言ったら、プレッシャーになるからね。まあ、著作権は死んでから70年続くから、孫の孫までお小遣いが届けばいいな。●おおいずみ・いつろう/1942年4月17日生まれ、山形県出身。1999年4月発売の『孫』は660枚から始まり、2年後に200万枚を突破した。現在も朝4時に起き、さくらんぼの手入れをしている。新曲『ありがてぇなあ』が6月10日発売。【1999年の出来事】石原慎太郎が都知事に就任/松坂大輔が16勝で新人王/犬型ロボット「アイボ」発売/「ダンス・ダンス・レボリューション」大ヒット/「チョコエッグ」ヒット/映画『鉄道員(ぽっぽや)』『アルマゲドン』『マトリックス』ヒット/「カリスマ」「ヤマンバ」「2000年問題」が流行語に。※週刊ポスト2020年6月12・19日号
2020.06.11 07:00
週刊ポスト

トピックス

最近は工場勤務だった山上容疑者(中学生の頃の容疑者。卒業アルバムより)
山上徹也容疑者の母親は会見で何を語るのか 伯父の家を出て「大阪の支援者」のもとで過ごす今
NEWSポストセブン
「安倍氏の後継者にふさわしい人物は誰か」というテーマで識者26人にアンケート(写真は萩生田光一氏/時事通信フォト)
【緊急アンケート】安倍晋三氏の後継者 1位・萩生田光一氏、2位・高市早苗氏
週刊ポスト
起用でも二転三転が目立ち、ファンから戸惑いの声(時事通信フォト)
最下位低迷の中日 立浪和義監督の采配に「目指す野球の方向性が見えない」の指摘
NEWSポストセブン
語学力抜群の小島瑠璃子
小島瑠璃子が中国留学を発表 語学レベルは「北京・清華大学も射程圏内」の驚異
NEWSポストセブン
渋野日向子
渋野日向子「調子の波、大きすぎ?」 予選落ち連発から全英3位で、スイング改造の是非に議論再燃
NEWSポストセブン
戸田さんを『地獄の黙示録』の字幕翻訳に抜擢してコッポラ監督とは長く親交が続く(時事通信フォト)
字幕翻訳家・戸田奈津子さん 根底にある「自分のことは自分で決める」という哲学
女性セブン
日本テレビの浦野モモアナに期待が集まる
ポスト水卜麻美アナに急浮上 日テレ2年目・浦野モモアナ、特技は「大食い」
週刊ポスト
姉妹でCMギャラに差も?(左から広瀬アリス、広瀬すず/時事通信フォト)
広瀬アリス・すず、上白石萌音・萌歌 妹のほうが“CMギャラが高い”理由
週刊ポスト
幹部補佐になっていた
「好きで好きで仕方なかったから」刺されたホスト、歌舞伎町で「幹部補佐」に昇進していた
NEWSポストセブン
松本若菜の姿を目撃
ブレイク女優の松本若菜「圧倒的美スタイル」と「意外な私服」に六本木が揺れた夜
NEWSポストセブン
中林大樹の姿を目撃
竹内結子さん三回忌 中林大樹が子供のために決断、家族3人新生活は「海辺の街」で
女性セブン
松田聖子を目撃
松田聖子、沙也加さんの初盆に“もう1つの遺言”と「新しいお墓」への願い
女性セブン