鴻海出身・戴正呉社長の実力は(写真/時事通信フォト)
「下請けとしていいように使われて終わり」──台湾の鴻海精密工業の傘下に入ったシャープの行く末を、多くのメディアはこう予想した。しかし、同社は2017年3月期の業績が大幅に改善する見通しで、東証一部への復帰も間近と見られる。このV字回復を主導したのが、親会社となった鴻海から送り込まれた戴正呉社長だ。果たしてシャープは本当に「再建」されるのか。家電業界を長年取材する立石泰則氏がレポートする。
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経営難に陥ったシャープが本社の土地建物を売却して、大阪市から堺市へ本社を移転させたのは、昨年の七月のことである。その三カ月前には、自主再建を断念し、台湾の鴻海精密工業(以下、鴻海)へ「身売り」する決断をしていた。
新しい本社へのアクセスは、JR大阪駅を起点にするなら、最寄りの市営地下鉄御堂筋線「梅田」駅から「大国町」駅まで乗車し四つ橋線に乗り換えて「住之江公園」駅まで約二十八分、そこから南海バスに十数分揺られて終点の「匠町」のバス停に着く。
しかしそこは、太陽電池工場や液晶パネル工場などが集まる「グリーンフロント堺」のゲート付近に過ぎない。ゲート入り口で受付を済ませ、シャープ本社まで一直線に続く舗装された歩道を十数分歩いてようやく敷地の端に辿り着く。
「シャープ株式会社」のプレートがなければ、おそらく私は、外見からだけでは他の工場棟と見分けられなかっただろう。
正面玄関に立つと、海のすぐ傍のせいか、ほのかに潮の香りがした。企業取材を始めて四十年近くになるが、初めての経験だった。
「液晶のシャープ」の名をほしいままにし、世界の液晶テレビ市場を牽引してきたかつての勢いは、もはや感じられなかった。
数千億円の最終赤字を計上したとか、債務超過に陥るといった数字上の「経営危機」を頭で理解してきた私にとって、目の前のシャープ本社の姿は「会社の経営がダメになるということは、こういうことなのだ」と改めて実感させられた。