──舛添さんは新著の中で都政を「不思議の国」と表現しています。舛添さんも例外ではありませんが、青島幸男都政から数えれば、作家やタレント文化人の知事が続きました。
「青島さん、石原さん、猪瀬(直樹)さんで20年。ということは、22歳で都庁に入った職員が42歳。この間、異常なリーダーシップしか見ていないんです」
──なかでも石原都政は4期13年続きました。
「石原さんも国会議員をやったし、運輸大臣もやっている。大臣は行政官で、(行政の)基本的なしきたりはあるのに、それをまったく無視してやってきたんでしょう。ほとんど登庁しない。強面に命令する。猪瀬さんも朝寝坊で、昼からしか出てこない。つまり知事が朝登庁して夕方まで、あるいは夜まで公務をする当たり前のことが20年も行われていなかった」
石原都政下、週に2日ほどしか姿を見せない知事に代わって副知事の浜渦武生氏が権勢を振るっていたのはもはや有名な話であろう。強面の知事や副知事の意に沿わぬ者は次々左遷され、都庁幹部は戦々恐々としていたそんな話を私は幾人もの都庁職員から聞いた。舛添氏もこう明かす。
「霞が関はもちろんですが、役所というのは普通、職員の構造がピラミッド型になるんです。ところが都庁は櫛の歯が欠けたように異常な状態だった。恣意的な人事が行われていたからです。たとえば、非常に優秀な女性幹部も飛ばされていた。なぜかと聞けば、国際会議の時に石原さんが最前列じゃなくて3列目に座らされたからだという。私がカムバックさせましたが、そういうレベルの人事をやってきていたんです」