診療所は狭い。入ってすぐの壁には「革命尚未成功、同志仍須努力(革命なおいまだ成功せず、同志よってすべからく努力すべし)」と書かれた孫文のミニポスターが貼られていた。台湾の中国国民党がタイの同胞向けに配ったグッズらしく、同党元主席の洪秀柱(ホン・シュウヂュー)の名前がある。かつて中国の民主化と憲政の実現を目指していた顔伯鈞や公盟が、革命の先駆者だとされる孫文に敬意を払っていたのを思い出した。
「顔さん、僕は肩こりがひどいんですがなんとかなりませんか?」
「ちょっと後ろを向いて触診させてくれ。……ふむ、君は肩よりも頸椎の調子があまり良くない。マッサージが必要だ。あと、家で使っている枕を変えたほうがいい」
妥当な指摘だ。彼は宗教信仰を禁じられていた元中国共産党員にもかかわらず、古代中国の易占書である『周易』に詳しく手相見もできる。伝統思想と親和性が強い中医のマッサージ師は、意外と適職なのかもしれない。他の店員たちと言葉を交わす様子を見ても、診療所ではそれなりに尊敬されているようだ。
「ここの経営者は、私よりずっと以前に中国から逃亡してきた年配の中国人医師だ。従業員たちも、一部の人は私の事情を知ったうえでつき合ってくれている。ありがたいよ」
就労資格はグレーな状態で働いている。だが、華人コミュニティの奥深くに潜ってしまえば、たとえ亡命者でも生きてはいけるのだ。
*『もっとさいはての中国』(小学館新書)を一部抜粋のうえ再構成。書中ではそんな顔伯鈞が新天地で復活するまでを描く。同書刊行イベント「中国ワンダーランドに魅せられて」(安田峰俊氏×星野博美氏対談)が10月13日に旭屋書店池袋店にて行われます。(詳細→https://www.asahiya.com/shopnews/)