衝撃の訃報から時間が経過しても、多くの人々の頭の中から深い悲しみと「なぜ?」という思いは消えない。
「9月27日未明、渋谷区の自宅で変わり果てた姿になった竹内結子さん(享年40)を、夫の中林大樹さん(35才)が見つけました。30日に都内の斎場で密葬が営まれましたが、出席したのは中林さんと14才の長男、8か月の次男のほか、親族数人と一部関係者のみ。国民的女優のお別れの場としては、あまりに寂しいものでした……」(芸能関係者)
公私とも順風満帆に見えた竹内さん。今年1月に次男を出産し、7月に出演映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』が公開されたばかりだった。急死した晩も家族と食卓を囲み、いつもと変わらない様子で談笑していた。
「結子ちゃんには6才年上の姉と2才年上の姉がいて、3人とも仲がよかった。中村獅童さん(48才)と離婚したときなどは、身の上相談に乗っていました。彼女の死後もお姉さんは“最近の結子は普段と変わらず、いたって普通だった……”と動揺を隠せない様子だった。いつも結子ちゃんの近くにいたお姉さんにとっても、あまりに突然の旅立ちだったようです」(竹内家をよく知る知人)
親族でさえも気づくことができなかった竹内さんの心の闇。しかし、芸能界に身を置く者であれば、共感するところがあるのかもしれない。10月4日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、ダウンタウンの松本人志(57才)はこう語った。
《たぶんおれも周りからは仕事順調そうに見えてんねんやろなと思うけど、40年ぐらいやってるけど順調だと思ったことは一回もない》、《何度か、おれもちょっと自分で終わらしたると、よぎることって、実は何度かおれもあるのね》──。
絶やすことがなかった全方位への気遣い
竹内さんは中学卒業後に東京・原宿でスカウトされて芸能界に入り、1999年にはNHK連続テレビ小説『あすか』のヒロインに抜擢された。2000年代には3年連続で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得するなど、日本を代表するトップ女優のひとりとして活躍していた。
「彼女は若い頃から、“物言う女優”でした」
こう振り返るのは、竹内さんと仕事を共にしたことがあるテレビ局関係者だ。
「竹内さんは20代半ばから、演じる内容に疑問があれば、その思いを監督やプロデューサーにぶつける女優さんでした。撮影を中断して、“このヒロインは芯が強く、自分の意思で物事を決めるから、こんな受け身のせりふはおかしい”などと主張することもあったんです。
若手の頃は今後のオファーを考えて使いやすい俳優であろうとする人が多いなか、しっかりと自分の意見を伝える人だったので、印象に残っています」