新聞や雑誌、中吊り広告で変な文を見るたびにメモ
本で取り上げられている日本語の用語例がいちいち面白い。
たとえば、「こんばんは事件」。
国際プロレスのレスラー、ラッシャー木村が新日本プロレスに殴り込みをかけたとき、固唾をのむ観客を前に彼が発した第一声が、「こんばんは」だった。
プロレス史に残る珍事件として長く語り伝えられるが、なぜこのときの「こんばんは」が観客をあそこまでズッコケさせたかを、言語学的に検証していく回は抱腹絶倒だ。
ダチョウ倶楽部上島竜兵の持ちネタ「絶対に押すなよ」をAIに理解させるのがいかに難しいかだったり、自身の記憶違いをきっかけに、ユーミンの名曲、『恋人がサンタクロース』がなぜ「恋人は」ではなく「恋人が」なのかを考察したりする回もある。
「面白い用例は、見つけるたびにメモしますね。たぶん言語学者はみなさん、新聞や雑誌、中吊り広告なんかでちょっと変な文や気になる文を見るたびに、メモしてるんじゃないでしょうか」
いまは自宅にテレビがなく、「実家に帰って見るぐらい」だそうだが、『オレたちひょうきん族』など、子どものときに見ていたテレビ番組を、よくこんなに、と思うほど詳細に記憶している。
観察対象としてカバーする範囲も幅広い。好きなプロレスはもちろんのこと、音楽や芸能、「主語が大きい文」や、笑いを「w」で表す「草生える瞬間」など、インターネットやSNSにも目配りする。
思わず読んでみたくなる導入から、あっと驚く仮説に導かれ、ああでもないこうでもないと暴走ぎみに妄想が膨らんでいく。思索の道すじを読み進めるうちに、言語学者の思考回路が、そもそもエッセイ向きなのかもしれない、と思う。
子ども時代は天文学者をめざしていたという。言語学者になるきっかけは、大学の文学部に入って、研究室を決める際に、言語学の先生とかわした会話にあった。
「先生と話していて、『あの、お天気が下り坂って言いますけど、なんで上り坂って言わないんですか』って私が聞いたんですね。そしたら先生が、『ああ、あなた言語学に向いてるかもしれないね』とおっしゃって」
そのひとことで、言語学の道に進むことになったそうだ。
「たしかに、ラッシャー木村さんの『こんばんは』でも、『変だ』で終わったらそこまでなんですけど、なんで変なのかを考えて、似たような、『こんばんは』『こんにちは』と言うのがおかしい例はないだろうかと探して考えるというのは、言語学者としていつもやっていることなんですよね」