「残された時間が少ないことは、本人もよくわかっていたようです。亡くなる年、妻は『今年の年末年始はどうしても家に帰りたい』と強く言うようになりました。病院というのは、いろいろなルールがありますから、自宅とは全然違いますよね。私たちにとって自宅は、夫婦水入らずで過ごすことのできる特別な空間でした」
垣添さんは在宅用の医療機器や医薬品を準備し、12月28日に昭子さんを自宅に連れ帰った。
「起き上がるのもつらいはずなのに、妻は自宅のこたつに入ってくつろいだり、洋服の整理をしたりしていました。薬の副作用でひどく口と食道がただれていましたが、私が作ったあら鍋を『おいしい』とおかわりしていました。『家っていうのは、やっぱりこうでなくっちゃ』とうれしそうに話す姿を見て、連れて帰ってきてよかったとあらためて思いました」
住み慣れた家で過ごした昭子さんは、垣添さんに見守られながら、退院4日目の大みそかに息を引き取った。
「不思議なことに、ずっと意識がなかった妻が心肺停止の直前に体を起こして、私の目を見て、手をぎゅっと握ってくれました。『ありがとう』と伝えたかったのだとわかりました。最期にそうやって心を通い合わせることができたのも、自宅で過ごせたからだったのではないかと思っています」
垣添さんは「彼女が本当に満足して自宅で亡くなったのを見て、私も死ぬときは同じようにしたいと思うようになり、その準備を着々と進めているところです」とも話してくれた。
それから3か月、垣添さんは「死ねないから生きている」状態だったという。(26日午後4時配信の後編に続く)
◆垣添忠生(かきぞえ・ただお)
1941年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。同大学医学部泌尿器科文部教官助手をつとめながら、がんの基礎研究に携わる。1975年、国立がんセンター勤務。病院手術部長、病院長、中央病院長などを経て、2002年、国立がんセンター総長、2007年、同センター名誉総長となる。日本対がん協会会長。