この頃に作った曲の中に、デビュー曲となる『旅立ち』も含まれていたと富澤さんは言う。
「千春は高校時代の成績はかなり優秀だったようですが、家庭の事情で大学に進学せず、高校卒業後は北見市に出て、叔父が経営する小料理屋やクラブのバーテンダー、ストリップショーの照明係などをしながら生計を立てていました。その間も曲作りはしていたようですね」(富澤さん・以下同)
だが、しばらくすると父の手伝いをするために、足寄に戻っている。
「故郷に戻った彼は、“歌いたい”という思いが、堰を切ったように湧き上がり、父の仕事を手伝いながら、曲作りにさらに精を出していったようです」
(第2回につづく)
【プロフィール】
中島みゆき(なかじま・みゆき)/1952年2月23日生まれ、北海道札幌市出身。本名・中島美雪。1975年『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。同年、『時代』で世界歌謡祭グランプリ受賞。現在までに46枚のシングル、43枚のオリジナルアルバムを発表している。テレビや映画などの主題歌のほか、ほかのアーティストへの楽曲提供も行っている。
松山千春(まつやま・ちはる)/1955年12月16日生まれ、北海道足寄町出身。1977年『旅立ち』でデビュー。1982年の5万人コンサート『大いなる愛よ夢よ1982』が大きな話題を呼ぶ。昨年10月27日に通算82枚目のシングル『敢然・漠然・茫然』をリリース。今年、デビュー45周年を迎えた。北海道在住。
参議院議員・鈴木宗男さん/1948年、北海道出身。松山千春と同じく足寄生まれで、松山とは40年以上家族ぐるみのつきあいをしている。代表を務める『新党大地』は、松山が命名した。
音楽評論家・富澤一誠さん/1951年、長野県出身。著書に『松山千春─さすらいの青春』(旺文社)、『ユーミン・陽水からみゆきまで?時代を変えたフォーク・ニューミュージックのカリスマたち~』(廣済堂新書)があり、中島、松山の取材を重ねている。
喫茶店「ミルク」オーナー・前田重和さん/1947年、北海道出身。学生時代から中島みゆきと交流を持つ。札幌市で経営する喫茶店「ミルク」は中島の曲『ミルク32』のモデルといわれる。
取材・文/廉屋友美乃 取材/北武司
※女性セブン2022年2月10日号