松山千春一覧

【松山千春】に関するニュースを集めたページです。

写真は野口五郎さんのツイッターより
桑田佳祐、同学年コラボ曲が話題 さんま、所、郷、野田秀樹など、才能ほとばしる世代
 桑田佳祐が同学年の大物ミュージシャンたちとコラボしたチャリティ・ソング『時代遅れのRock’n’Roll Band』が話題だ。放送作家でコラムニストの山田美保子さんが、桑田と“同学年”の有名人たちについて分析する。 * * * 母校・青山学院大学の輝ける大先輩が、桑田佳祐サン(66才)。私は大学1年生のとき、桑田サンが所属していた音楽サークル『ベターデイズ』の1年生に頼み込み、部室を何度も覗きに行った経験があります。ですが、そこで桑田サンをお見かけしたことは一度もありませんでした。その代わり、通い詰めていたディスコで必ずかかったサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』で青学勢はつねに狂喜乱舞。DJが「いま、何時?」のところだけ音量を下げてくれて、全員でコールするのが当時の“お約束”でした。あぁ懐かしい。 このたび、その桑田先輩の呼びかけで集まった佐野元春サン(66才)、世良公則サン(66才)、Charサン(66才)、野口五郎サン(66才)を迎えたチャリティーソング『時代遅れのRockn’n’Roll Band』が初週ダウンロード数2万767を記録。6月1日発表の「オリコン週間デジタルシングル(単曲)ランキング」で初登場1位を獲得しました。 同作は、今年2月、久々に再会した桑田サンと世良サンが「同級生で協調して、いまの時代に向けた発信をできないか」と会話したなかから誕生したもの。“同級生”とは、1955年4月2日~1956年4月1日生まれの“同学年”を意味しています。 ほかの大物3人には桑田サン自らが手紙を書き、直接会いに行ったことで5人が初結集。そこから桑田サンがアッという間に曲を完成させ、わずか1か月でリリースに至ったといいます。“同学年”。なんてワクワクさせられる響きでしょうか。恐らく皆さんも、生まれ年よりも、遅生まれ、早生まれというワードを用いながら同学年であることに大きな意味を見出し、優先した経験がおありなのではないでしょうか。特に学校に通っている時代は、共通の経験を何年生のときにしたかがとっても大事。たとえばいまの子供さんたちなら、コロナ禍の第一波のとき何年生だったかというのは、この先いつまでも出てくる会話でしょう。 私の場合、「ピンク・レディーのミーちゃん(未唯mieサン・64才)とケイちゃん(増田惠子サン・64才)と同学年なのよ」と、これまで何度自慢してきたことでしょう。下の学年に「花の中三トリオ」(森昌子さん・63才、桜田淳子サン・64才、山口百恵さん・63才)や岩崎宏美サン(63才)らがいて、ウチの学年からはなかなか大スターが現れなかったのでピンク・レディーのお二人に対しては強い想いで応援。振り付けも覚えました。 実は母校も同じだったのです。2学年上には坂東三津五郎さん(享年59)を筆頭に、長唄の杵屋直吉さん(66才)、後に著名なCMディレクターになる李泰栄さん(66才)ら華やかなかたが揃っていらっしゃった。思えば、その学年がまさに、今回、桑田サンが招集した’55年(遅生まれ)~’56年(早生まれ)に誕生した皆さんなのです。 私の世代ですと、メンバーそれぞれに強い思い入れがあります。野口五郎サンはデビュー曲『博多みれん』や、芸名が「野口五郎岳」という山に由来することも“常識”として知っていました。 そして世良公則サン! 『ザ・ベストテン』(TBS系)に「世良公則&ツイスト」が出てくると、盛り上がりましたよね~。俳優さんとしても素敵なお仕事をたくさんされている世良サン。『マルモのおきて』(フジテレビ系・2011年)や、『カムカムエヴリバディ』(NHK・2021年)でのマスター役が特に印象に残っています。 Charサンは『ぎんざNOW!』(TBS系)ですね。私の同級生が同番組の「素人コメディアン道場」に出演した際、ゲストで歌われていたのがCharサン。ギターを抱えて歌うかたにセクシーさを感じた最初の男性がCharサンだったと記憶しています。 そして佐野元春サンは、ほかの皆さんより“出逢い”が遅くなるのですが、愛する稲垣吾郎サン(48才)が出演した『二十歳の約束』(フジテレビ系・1992年)の主題歌として『約束の橋』が使用されたことから、まさに「ヒューヒューだよ!」という想いで拝聴しつつ、いまに至ります。異業種でも同学年が大活躍していれば互いに惹かれあう 振り返れば、この学年は、日本の音楽界の黄金世代でもあるんですね。野口五郎サンとともに「新御三家」として大活躍された西城秀樹さん(享年63)、郷ひろみサン(66才)も同学年。 郷サンといえば、7月25日放送のドラマ『定年オヤジ改造計画』(NHK BSプレミアム、BS4K)での白髪まじりのヘアとメガネ姿をインスタで公開し、話題になっていますよね。でも実際の姿が若々しいので、画像だけだとコントで老け役に扮装したように見えてしまいます(苦笑)。郷サンがドラマに初出演したのはレコードデビュー前の大河ドラマ『新・平家物語』(NHK・1972年)ですから50年の月日が経っています。この学年には“歴史”がありますね。 実はこの学年に私が注目したのは、明石家さんまサン(66才)とお仕事を始めた1994年に遡ります。当時、さんまサンがたびたび口にしていたのは、所ジョージさん(67才)や松山千春サン(66才)、中村勘三郎さん(享年57)、江川卓サン(67才)らと同学年ということでした。あ、“さんまファミリー”の村上ショージさん(67才)もですし(苦笑)、後にいろいろしがらみがあった(?)野田秀樹さん(66才)もです。 異業種でも、これだけ華やかな同学年の皆さんが大活躍していれば、当然、互いに惹かれあうようになりますよね。実際、さんまサンは千春サンや勘三郎さんとは、プライベートでとっても仲よしでした。そして、所ジョージさんがMCを務める『1億人の大質問⁉笑ってコラえて!』(日本テレビ系)の年末特番には必ず出演。年齢を重ね、ほかの番組では収録時間を(意外と)気にするさんまサンが『~コラえて!』だけは5時間、6時間とカメラが回っても大はしゃぎしてしまうのは、所サンという同学年の友人がいるからだと思います。「さんちゃんさぁ」と困りながらも、所サンもそれを許していらっしゃる……。実にいい関係です。 1956年の早生まれ、つまり桑田サンや野口サン、佐野サンと同じなのは、大友康平サン(66才)、役所広司サン(66才)、小堺一機サン(66才)、榎木孝明サン(66才)、渡辺正行サン(66才)、竹中直人サン(66才)、北村晴男さん(66才)、そして島田紳助さん(66才)……と、それぞれのジャンルで、ほとばしる才能を生かしながらバリバリに動き回っている皆さんばかり。「次世代へのエール」や「平和のメッセージ」を届けたいという桑田サンの呼びかけで集まった皆さんのみならず、この学年の有名人男性から常に刺激をちょうだいしている私に新たな目標ができました。構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『1周回って知らない話』(日本テレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.11 16:00
女性セブン
《中島みゆきと松山千春》2人に共通する家族への深い思いと「社会への怒り」
《中島みゆきと松山千春》2人に共通する家族への深い思いと「社会への怒り」
 1970年代後半に彗星のごとく現れ、40年以上たったいまも日本の音楽シーンに強烈な印象を与え続けているシンガーソングライターの中島みゆき(69才)と松山千春(66才)。3才違いで同じ北海道出身。ほぼ同じ時代を生きてきた二人はどのように誕生し、数々の名曲を生み出すトップシンガーとなったのか。二人をよく知る人々の証言を基に、その軌跡を辿ってみよう(全3回の第3回)。活躍の場はテレビではなくラジオ 中島が『オールナイトニッポン』のパーソナリティーになったのは、1979年4月から。歌で見せるミステリアスで凜とした雰囲気とは違い、ラジオでは「ガハハ」と明るく笑い、軽妙な語り口で、「歌っている中島みゆきとホントに同一人物?」とファンを驚かせた。 1978年3月、中島と松山の二人はこのラジオ番組でついに共演を果たす。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんは、当時のやりとりをいまでも覚えているという。「千春の『オールナイトニッポン』に、突然、みゆきさんが乱入したんです。千春は『なんだお前!』って、みゆきさんは3才年上なのに呼び捨てにして、じゃれ合っているところがオンエアされたんです。ファンの間では二人が仲がよいことは知られていたのですが……」(渡邉さん・以下同) その仲のよさから二人の交際が噂され、「友情結婚」などと雑誌などで取り沙汰されることになる。これは中島がエッセイで否定しているが、実際のところはどうだったのか。「お互い人気があり、ラジオであれこれ言い合っていたから、メディアが二人の仲を囃し立てましたが、ぼくが思うに、仲がいいことは確かでしたが、交際に発展するまでではなかったんじゃないかな。音楽性も違うし、だから逆に何でも言いやすかったのかもしれませんね。同じ北海道出身で、詞の世界に共感・共鳴するものもあったのだろうと推察します」理想の相手、結婚 松山は、1982年に婚約発表を行い、札幌市内のデパートに勤めていた一般女性の金田孝子さん(当時28才)の存在を明かし、その3年後の1985年12月に結婚。娘1人をもうけている。 一方、中島は現在も独身を貫いている。謎に包まれた中島の“恋”について、中島と大学時代のフォークサークルの仲間だった、喫茶店「ミルク」オーナーの前田重和さんは次のように語る。「彼女がデビューしてからしばらくして、ぼくのお店に来てくれたことがあるんですよ。そのとき一緒にラーメンを食べに行ったのですが、『東京行って彼氏できた?』って聞いてみたんです。そしたら『こういう仕事をしてると一般の人とつながれないのよ〜』と言った後で、『私はね、彼氏に白馬に乗って来てもらいたいのよ。でもね、しばらくつきあっていると、空を飛んでほしいと思うようになるの。それは男性もつらいわよね、背中に羽は生えないもの』と言っていました」(前田さん・以下同) そして結婚については、次のように漏らしていたという。「彼女がまだ20才の頃、『結婚をするなら30才までにする』と言っていたんです。それ以上になったら子供を産むのに遅いからって。いまでこそ30代で出産するのは当たり前だけど、彼女は産婦人科医の娘だから、年齢と出産に関してはいろいろと思うことがあったみたい。まだ20才そこそこで、そんなことを考えているのか、と驚いた記憶があります」 いまもなお独り身でいるのは、中島なりに考え抜いた結論なのだろうか。家族への思い 中島が2014年に母を亡くしたことを、本誌・女性セブン(2020年9月10日号)が報じている。公の場で家族のことをほとんど語ってこなかった中島だが、『週刊宝石』(1982年10月16・23日号)の取材では、次のように答えている。《仕事はやはり東京が多いので、母親も年をとったし、1日でも一緒に住みたいっていうところです》 そして先述のとおり、中島は「ファザコン」を自認している。多くを語らずとも家族への思いは強かったことだろう。 その点は松山も同じだ。松山の両親をよく知る参議院議員の鈴木宗男さんは「千春さんも家族を大切にしていた」と話す。「彼のお父さんは80才で亡くなり、お姉さんは48才のときに舌がんでこの世を去っています。そして 2021年1月にお母さんを、同年9月に弟さんを亡くしています。お母さんは99才まで頑張ってこられて、認知症で何もわからなくなっていたけど、千春さんは『生きた証に100才のお祝いを盛大にやるんだ!』と張り切っていました。あと2か月というところで亡くなられて、私も無念でした。千春さんはよく言いますよ、『貧乏したけど、この両親で、この家族でよかった』って。彼はご両親を心から尊敬していました」 松山はいまだ北海道に住み、足寄町に住民票を置いている。社会への怒り 中島と松山の作品の根底には共通することがある。それは“社会への怒り”だ。「中島さんは、『ファイト!』や『宙船』に代表されるように、集団から孤立したり、いじめられたり、はみ出したりしているような人のための歌を書いていると思います。それは、彼女が10代の頃に歌を書き始めた頃から、ずっと変わっていないですね」(前田さん) 松山の場合は、世の中に対しての不条理や不平等に対抗するスタンスを貫いてきたと、渡邉さんは言う。「いまの給付金問題でも、子供たちに将来、こんな借金を残してどうするんだ、というような政治的な発言を常に逃げずに堂々としてきています。彼の根底にはおかしなものをおかしいとはっきり言う社会正義のような信念がありますね」 聴く人の心に寄り添い、時には弱者の代弁でもあるような歌を作り続けてきた中島と松山。大スターになっても貫いてきた信念があるからこそ、二人の歌は私たちの心にダイレクトに突き刺さるのだろう。【プロフィール】中島みゆき(なかじま・みゆき)/1952年2月23日生まれ、北海道札幌市出身。本名・中島美雪。1975年『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。同年、『時代』で世界歌謡祭グランプリ受賞。現在までに46枚のシングル、43枚のオリジナルアルバムを発表している。テレビや映画などの主題歌のほか、ほかのアーティストへの楽曲提供も行っている。松山千春(まつやま・ちはる)/1955年12月16日生まれ、北海道足寄町出身。1977年『旅立ち』でデビュー。1982年の5万人コンサート『大いなる愛よ夢よ1982』が大きな話題を呼ぶ。昨年10月27日に通算82枚目のシングル『敢然・漠然・茫然』をリリース。今年、デビュー45周年を迎えた。北海道在住。参議院議員・鈴木宗男さん/1948年、北海道出身。松山千春と同じく足寄生まれで、松山とは40年以上家族ぐるみのつきあいをしている。代表を務める『新党大地』は、松山が命名した。喫茶店「ミルク」オーナー・前田重和さん/1947年、北海道出身。学生時代から中島みゆきと交流を持つ。札幌市で経営する喫茶店「ミルク」は中島の曲『ミルク32』のモデルといわれる。芸能ジャーナリスト・渡邉裕二さん/1961年、静岡県出身。松山千春の自伝小説『足寄より』(扶桑社)を基に、ドラマやCD、映画、舞台などを企画、プロデュースした。取材・文/廉屋友美乃 取材/北武司※女性セブン2022年2月10日号
2022.02.01 07:00
女性セブン
《中島みゆきと松山千春》デビュー秘話 きっかけはともにコンテスト
《中島みゆきと松山千春》デビュー秘話 きっかけはともにコンテスト
 1970年代後半に彗星のごとく現れ、40年以上たったいまも日本の音楽シーンに強烈な印象を与え続けているシンガーソングライターの中島みゆき(69才)と松山千春(66才)。3才違いで同じ北海道出身。ほぼ同じ時代を生きてきた二人はどのように誕生し、数々の名曲を生み出すトップシンガーとなったのか。二人をよく知る人々の証言を基に、その軌跡を辿ってみよう。(全3回の第2回)。デビューのきっかけはコンテスト アマチュア時代、中島みゆきはさまざまなコンテストに出場しているが、彼女の人生を大きく変えたのが、ヤマハ音楽振興会主催の『ヤマハポピュラーソングコンテスト』。通称『ポプコン』と呼ばれたこのコンテストは、プロの歌手への登竜門となっていた。 中島は1975年の第9回に出場。この年は、八神純子(64才)や渡辺真知子(65才)、松崎しげる(72才)も出場していたが、見事に入賞を果たす。 当時、『ポプコン』のスタッフをしていた作編曲家の船山基紀さんは、彼女の才能に一瞬で魅了されたという。「『北海道にすごい新人がいるから、お前、アレンジしろ』と上司に言われて手がけたのが、彼女のデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』でした。 送られてきたデモテープを聴いたときは衝撃でしたね。まず、『アザミ嬢って誰ぞや?』と。そして曲を聴いて真っ先に、北海道の草原が頭にくっきりと浮かびました。草原の横には小川が流れていて、アザミの花はまだ蕾のままで。アザミ嬢はミステリアスな人だろうと勝手に想像して、冒頭でアルトフルートという変わった楽器を使うことにしたのです」(船山さん・以下同) だが、このとき中島に会うことはなかったという。「中島さんはまだ北海道にいて、ディレクターとの打ち合わせにも東京に来ることはなかったですね。だから初めて顔合わせをしたのは、2曲目の『時代』のとき。でも、何を話したのか覚えてないんです」 ちなみに船山さんが中島としっかり打ち合わせをしたのは2006年。TOKIOに楽曲を提供した『宙船』のときだった。「ぼくの事務所まで来てくれて、『船山ちゃん、よろしくね〜』って。ラジオで聴くような明るくケラケラ笑う中島さんでした。打ち合わせが終わって帰る方向が同じだったからぼくの車で送って行ったんです。そのときも音楽の話をしたわけではなく、共通の友人のことを『あの人、どうしている?』『元気にしているよ〜』といった、いわゆる世間話。それからは一度も会っていないんです」 同じく1975年、一方の松山千春は『全国フォーク音楽祭』の北海道帯広予選に出場している。こちらもプロへの登竜門といわれたコンテストだ(1972年には中島も出場し、入賞している)。 このとき松山は、『旅立ち』を弾き語りで歌っているが、審査員の評価はいまひとつだったという。「審査員から『ギターがひどい』と言われ、カチンときた彼は『おれはギターの品評会に来たんじゃない! 歌はどうなんですか!』と反論。そんな態度をとったことで望みはないと考えていたようですが予選を通過。北海道大会の本選へと進みます。このとき千春は19才。赤いニッカーボッカーにサングラスといういでたちでしたね」(音楽評論家の富澤一誠さん) この大会で人生を大きく変える人物と出会う。それが、このとき審査員をしていた、北海道のラジオ局「STVラジオ」のディレクターの竹田健二さん(享年36)だ。彼らの出会いについて、芸能ジャーナリスト・渡邉裕二さんは次のように話す。「竹田さんは、いち早く千春の才能を見出し、自分が担当するラジオ番組に起用。毎週2曲、新曲を作って紹介する『千春のひとりうた』というコーナーを持たせました。1年間で放送が48週あって、単純計算でも100曲近く作ることになります。だから、デビュー前にすでにアルバム何枚分にも相当する曲数を作っていて、その中に『大空と大地の中で』などがあったんです」 デビュー前に曲のストックがあるという点では、中島も同じだ。中島と大学時代のフォー期サークル仲間である、喫茶店「ミルク」オーナーの前田重和さんはこう話す。「アマチュア時代、中島さんは200曲くらい作っていましたね。10枚目くらいまでのアルバムには、アマチュア時代に作った曲がけっこう、入っています」 デビュー前に自作の歌を発表する場があったことが、彼らの歌手としての土台となったのだろう。北海道で大切な人との別れ、そして東京への旅立ち それだけ曲ができればすぐにでも東京に進出しそうなものだが、二人は北海道にとどまり、自らの力を熟成させた。「中島さんたちが出てきた1970年代半ばあたりは、ポップなニューミュージックの時代。ギターの弾き語りは時代遅れと言う人もいました。 ただ、それがかえってよかったんじゃないかと思います。というのも、あの時代はちょっとでも注目されるとすぐにデビューさせ、無理して曲を作らせ、すぐにツアーなどに出させるから、消耗して潰れていく人も多かった。特に千春の場合は、竹田さんの“北海道で力をつけさせてから全国区にしよう”という作戦が、功を奏したと思います」(前田さん) 中島は北海道を拠点にしながら、『アザミ嬢のララバイ』に続き、『時代』をリリース。この曲は当時の時点で、20万枚以上とヒットしている。 一方の松山は、ラジオ番組で人気に火がつき、一気に道内のスターとなり、コンサートを開けば2000人以上の観客を集めるようになる。 だが、二人は順調に歌手の道を進んだわけではない。 中島は、デビューした1975年に父が病に倒れ、52才の若さで亡くなってしまう。 松山も1977年の夏、悲しみに襲われる。二人三脚で歩んできた竹田さんが36才の若さでこの世を去ったのだ。心不全だった。 この悲しい別れによって、二人の人生はうねり始める。 まず中島。彼女は自身のエッセイに「私はファザコンである」と書くほど父への愛が深かった。最愛の父を亡くしたときのことを、前田さんはこう話す。「弟さんが医学部に進学していたこともあり、お父さんが亡くなってからは、中島さんが“自分が大黒柱にならなければいけない”と思ったのか、“プロとしてやっていかなくては”という気持ちが強くなったように思います。この頃から、本格的に東京に出て音楽を作っていこうという思いが、はたから見ても感じられるようになりました」 その後、中島は1977年に『わかれうた』で76万枚、1981年に『悪女』で83万枚を売り上げ、一時代を築く歌手になっていく。 他方、松山は相棒ともいえる竹田さんを亡くした悲しみに暮れ、「不安を抱いていた」と富澤さんは言う。「千春は所属事務所もなく、竹田さんがマネジャーのようなこともしてくれていたので、『手足をもがれたような思いだった』と、その後に語っています。大都会・東京にひとりポツンと出ていかなくてはいけない。その不安は、耐え難いものだったようです」(富澤さん) そんな松山に大きな仕事が舞い込む。若者に絶大な人気を誇るニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン』(水曜日第2部)のパーソナリティーに抜擢されたのだ。これをきっかけに知名度は全国区となり、1978年には1部に昇格。同年発表した『季節の中で』が、当時26才だった三浦友和(69才)が出演する『グリコアーモンドチョコレート』のCM曲に起用され、その人気が不動のものとなっていく。 この『オールナイトニッポン』は、中島にとっても大きな転換点となっている。(第3回につづく)【プロフィール】中島みゆき(なかじま・みゆき)/1952年2月23日生まれ、北海道札幌市出身。本名・中島美雪。1975年『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。同年、『時代』で世界歌謡祭グランプリ受賞。現在までに46枚のシングル、43枚のオリジナルアルバムを発表している。テレビや映画などの主題歌のほか、ほかのアーティストへの楽曲提供も行っている。松山千春(まつやま・ちはる)/1955年12月16日生まれ、北海道足寄町出身。1977年『旅立ち』でデビュー。1982年の5万人コンサート『大いなる愛よ夢よ1982』が大きな話題を呼ぶ。昨年10月27日に通算82枚目のシングル『敢然・漠然・茫然』をリリース。今年、デビュー45周年を迎えた。北海道在住。音楽評論家・富澤一誠さん/1951年、長野県出身。著書に『松山千春─さすらいの青春』(旺文社)、『ユーミン・陽水からみゆきまで〜時代を変えたフォーク・ニューミュージックのカリスマたち〜』(廣済堂新書)があり、中島、松山の取材を重ねている。作編曲家・船山基紀さん/1951年、東京都出身。1974年から編曲活動を始め、中島みゆきの『アザミ嬢のララバイ』や『悪女』、沢田研二の『勝手にしやがれ』など多くのヒット曲を手がける。4枚組CDボックス『船山基紀サウンド・ストーリー時代のイントロダクション』限定発売中。喫茶店「ミルク」オーナー・前田重和さん/1947年、北海道出身。学生時代から中島みゆきと交流を持つ。札幌市で経営する喫茶店「ミルク」は中島の曲『ミルク32』のモデルといわれる。芸能ジャーナリスト・渡邉裕二さん/1961年、静岡県出身。松山千春の自伝小説『足寄より』(扶桑社)を基に、ドラマやCD、映画、舞台などを企画、プロデュースした。取材・文/廉屋友美乃 取材/北武司※女性セブン2022年2月10日号
2022.01.31 16:00
女性セブン
《中島みゆきと松山千春》北海道が生んだ大物アーティストの対照的な幼少期
《中島みゆきと松山千春》北海道が生んだ大物アーティストの対照的な幼少期
 1970年代後半に彗星のごとく現れ、40年以上たったいまも日本の音楽シーンに強烈な印象を与え続けているシンガーソングライターの中島みゆき(69才)と松山千春(66才)。3才違いで同じ北海道出身。ほぼ同じ時代を生きてきた二人はどのように誕生し、数々の名曲を生み出すトップシンガーとなったのか。二人をよく知る人々のの証言を基に、その軌跡を辿ってみよう。(全3回の第1回)。正反対の幼少期 中島みゆきと松山千春はともに北海道出身。だが、二人の幼少期は対照的だ。 中島は両親と3才下の弟の4人家族。父は札幌で産婦人科を開業していたが、その関係で11才のときに帯広に引っ越しをしている。「幼少時代はかなりおっとりした性格だったようです」 そう語るのは、音楽評論家の富澤一誠さん。「彼女は自叙伝で自分を“トロイ子”と評していますが、ほかの子と比べて何をするのもワンテンポ遅れる、のんびりしていて引っ込み思案な子だったようです。ただ、比較的裕福な家庭で育った彼女は、子供の頃からピアノやバレエを習っていたそうです」(富澤さん) 一方、松山は姉と弟がいるが、幼い頃より家族の生活は困窮していたという。 父は松山が生まれる1年前に、自分ひとりでローカル紙『とかち新聞』を発刊。以来、細々とその新聞を出し続けていた。 松山は、生まれて2か月で股関節脱臼を起こして北海道大学病院に入院したことがあるが、父が借金をして治療費を払ったという。 松山が高校生の頃から家族ぐるみの親交があった参議院議員の鈴木宗男さんは、当時のことを次のように振り返る。「彼のお父さんは信念があり、町長であっても忖度なく批判するような人でした。足寄では、『町長さんに背くような人の新聞は買えない』と町民から購読を拒否され、生活はかなり苦しかったようです。そのため、お母さんが働いて生活を支えていたそうですし、千春さんも小学生の頃、アルバイトをして手助けしていました」 足寄は真冬になるとマイナス30℃近くになることもあった。そんな極寒の地で、家の中に吹きだまりができるようなボロ家で子供時代を過ごしたという。 育った環境はまったく異なる二人だが、導かれるように音楽の道へと進んでいく。10代で曲作りを始める 中学生になると、中島はギターを買ってもらい、作詞・作曲を始める。「帯広柏葉高校に進学。文化祭のステージでみゆきさんが自作の曲を披露したところ、拍手をもらえた。それが自信となり、引っ込み思案の性格が解消されたようです」(富澤さん) その後、札幌にある藤女子大学国文学科(当時)に入学。精力的に曲を作り始める。 大学では放送研究会に所属。ローカルラジオ局でアルバイトを始め、北海道大学のフォークサークルにも参加するようになる。その仲間で、喫茶店「ミルク」のオーナー・前田重和さんは、当時についてこう語る。「中島さんと出会ったのは彼女が18才の頃だったかな? ぼくは23才くらいで。 あの頃、ぼくはフォークの団体を主宰していて、北大のフォークサークルとも交流がありました。中島さんは『壊れた蓄音機』という女性ボーカル2人のバンドを組んでいて、『五つの赤い風船』のコピーをしていましたね」(前田さん・以下同) 1970年代に入ると音楽シーンに変化が起きる。「それまでフォークは英語の歌ばかりを歌っていましたが、東京や大阪で日本語のフォークを歌うグループの活動が活発になり、ぼくら北海道のサークルも合同の研究会を作って、自作の曲を気ままに発表するコンサートを札幌時計台近くの教会でしていました。10回くらいやってからかな……北大サークルの代表から、『うちの美雪(中島の本名)もオリジナル曲を作っているけど、歌う場所がないからそこで歌わせてくれないか』と頼まれました。『もちろん』と快諾したら、彼女はいまと同じ完成度で曲を作っていて、みんな、度肝を抜かれていましたね」 そのとき披露された曲の1つ、『踊り明かそう』は、後にアルバムに収録されている。 一方、松山が自ら作詞・作曲を手がけたのは高校生のとき。フォークの神様と呼ばれた岡林信康(75才)に影響を受け、バイトで貯めたお金でギターを買ったのだ。 この頃に作った曲の中に、デビュー曲となる『旅立ち』も含まれていたと富澤さんは言う。「千春は高校時代の成績はかなり優秀だったようですが、家庭の事情で大学に進学せず、高校卒業後は北見市に出て、叔父が経営する小料理屋やクラブのバーテンダー、ストリップショーの照明係などをしながら生計を立てていました。その間も曲作りはしていたようですね」(富澤さん・以下同) だが、しばらくすると父の手伝いをするために、足寄に戻っている。「故郷に戻った彼は、“歌いたい”という思いが、堰を切ったように湧き上がり、父の仕事を手伝いながら、曲作りにさらに精を出していったようです」(第2回につづく)【プロフィール】中島みゆき(なかじま・みゆき)/1952年2月23日生まれ、北海道札幌市出身。本名・中島美雪。1975年『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。同年、『時代』で世界歌謡祭グランプリ受賞。現在までに46枚のシングル、43枚のオリジナルアルバムを発表している。テレビや映画などの主題歌のほか、ほかのアーティストへの楽曲提供も行っている。松山千春(まつやま・ちはる)/1955年12月16日生まれ、北海道足寄町出身。1977年『旅立ち』でデビュー。1982年の5万人コンサート『大いなる愛よ夢よ1982』が大きな話題を呼ぶ。昨年10月27日に通算82枚目のシングル『敢然・漠然・茫然』をリリース。今年、デビュー45周年を迎えた。北海道在住。参議院議員・鈴木宗男さん/1948年、北海道出身。松山千春と同じく足寄生まれで、松山とは40年以上家族ぐるみのつきあいをしている。代表を務める『新党大地』は、松山が命名した。音楽評論家・富澤一誠さん/1951年、長野県出身。著書に『松山千春─さすらいの青春』(旺文社)、『ユーミン・陽水からみゆきまで?時代を変えたフォーク・ニューミュージックのカリスマたち~』(廣済堂新書)があり、中島、松山の取材を重ねている。喫茶店「ミルク」オーナー・前田重和さん/1947年、北海道出身。学生時代から中島みゆきと交流を持つ。札幌市で経営する喫茶店「ミルク」は中島の曲『ミルク32』のモデルといわれる。取材・文/廉屋友美乃 取材/北武司※女性セブン2022年2月10日号
2022.01.30 16:00
女性セブン
松山千春の母・ヨミさんが亡くなった
松山千春「コンサートよりワクチン」 接種会場提供の陰に苦渋の決断
「今年こそ大阪のファンに歌声を届けたい」──その思いは、またも叶わなかった。5月20~21日に大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で予定されていた松山千春(65才)のコンサート。チケットは完売し、ファンはその日を待ちわびていたが、直前に公演中止が発表された。 当時は緊急事態宣言が延長され、無観客開催が要請されていたが、最近になって、中止の理由が「宣言延長」だけではなかったことがわかった。発端は6月24日、小野寺五典元防衛相(61才)が、自身のツイッターに投稿した、こんな「つぶやき」だった。《ワクチン接種のためコンサートを中止し自衛隊に会場を提供下さいました。改めて千春さんに感謝とファンの皆様にお詫びを》 詳細を芸能関係者が語る。「新型コロナワクチンの大規模接種をスムーズに進めるため、千春さんが、コンサートホールを接種会場に提供した、という内容でした。宣言が延長されたとはいえ、チケットは完売していたので、コンサートを強行、あるいはリモートで行うなど、中止以外の選択肢もあったはず」 この松山の“神対応”は、すぐさまインターネット上で拡散され、Yahoo! JAPANのリアルタイム検索で「松山千春」がトレンド入り。《千春さん 漢ですねえ!!》《国民の為に会場を譲る心意気。素晴らしいですね》 などの称賛の声が相次いだ。「千春さんの男気あふれるエピソードは過去にもあります。故郷の北海道をこよなく愛する彼は2007年、財政破綻した北海道夕張市を盛り上げるために地元商店街を訪れ、100万円相当の商品を“大人買い”。しかもこのとき購入した商品は、毎年千春さんが慰問で訪れる札幌市内の児童養護施設に寄付したんです。その後、夕張市民を元気づけるために無料コンサートも開きました」(前出・芸能関係者) だが、今回は美談というには、あまりに心苦しい心境だったようだ。「実際は、うちが決断してやめたわけじゃないんですよ」 と、明かすのは松山の所属事務所の担当者だ。「防衛省の指示によって、大阪府がグランキューブ大阪をワクチン接種会場に指定したんです。われわれは、それに従うしかなかった。なんとか代替公演の可能性なども探りましたが、日程や会場の問題で諦めるしかありませんでした。もちろん最終的に自衛隊に協力すると、こちらが決断したのは事実ですが……昨年1年間コンサートができず、春からようやく歌える場を与えられたところだったので、松山はとても残念そうでした」(松山の事務所の担当者) 中止の発表があったのは5月9日。その後、松山は自身のラジオ番組「松山千春のON THE RADIO」(FM NACK5)で、度々悔しさをにじませていた。「印象的だったのは、千春さんの歌が生きがいだというファンの声がラジオで紹介されたとき。そのファンは、中止と聞いてショックで号泣したそうです。でも、“持病のある千春さんを東京や大阪にこさせてはいけない。千春さんには元気でいてもらいたい”と綴っていたのです。珍しく千春さんも“まいったね……”と神妙な声になっていましたね」(別の芸能関係者) 男気や美談の一言では語り尽くせない、苦渋の決断があった。※女性セブン2021年7月15日号
2021.07.03 07:00
女性セブン
松山千春の母・ヨミさんが亡くなった
松山千春、99才の母逝く 息子の顔は忘れても歌は忘れなかった
 松山千春(65才)の隠れた名曲『あなたが僕を捜す時』は、父親が認知症を患ったときに作った曲だ。そして母親も長年、同じ症状と闘ってきた。極貧時代から闘病にいたるまで、つらいはずなのになぜか心温まる、家族の物語。 北海道・足寄町の春は短い。町花に指定されているエゾムラサキツツジが野山を埋め尽くす4月下旬まで春はなく、その空気を深く吸い込めば、吐く頃には緑色の夏がやってくる。道内でも雪が少ない十勝平野に位置するが、1月は、あたり一面が銀世界となり、刺すような寒さが襲う。 この町の人に「特産品は?」と尋ねると、皆が口を揃えて「松山千春が生まれ育ったことだね」と答える。地元に愛され、そして地元を愛する歌手・松山千春(65才)の母・ミヨさんが1月16日に亡くなった。享年99。老衰だった。過去に千春の両親や関係者への取材を基にした評伝を著した、音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠氏は、「この母あっての松山千春だと思います」と語る。 千春の父・明さん(享年80)は地元で、『とかち新聞』というローカル紙を創刊し、取材から植字、印刷まですべてを1人でやっていた。発行は10日に1回程度で収入にならない。家計を支えたのはミヨさんだった。「ミヨさんは土木作業をしていたんです。彼女は一言で言えば豪快な人。子供3人と夫を養うため、長期間、家に帰らず泊まり込みで働き、お金を置いて、また働きに行く。自宅近くのゴミ捨て場を漁って使えそうなものを拾うこともあったと話していました。かといって、取材をしていても陰を感じない、ユニークなタレント性を持つ人でした。千春の唯一無二の空気感は母親から継いだものでしょう」(富澤氏) そうしたミヨさんの姿を町の人たちも見かけていた。「この町にお金のある家なんてないけれど、当時の松山さんのところは特に貧しかったね。リヤカーに千春さんを乗せたお母さんが、ゴミ捨て場で銅線や椅子などを拾っているのを見たことがありますよ。それでも、お母さんは明るい人でね、堂々と胸を張っているんですよ。一度、お母さんに『大変ですね』って声をかけたら、『好きになった人がああいう人だから仕方ないわよ』って笑っていました」(千春の実家近くの商店主) リヤカーに乗った千春は恥ずかしそうにうつむいていたというから、幼心にも家の困窮ぶりを自覚するところがあったのだろう。冬場は、雪で現場仕事がなくなる。それでも、ミヨさんが家に居ることは少なかった。「あの人はとにかくトッパ、このあたりでは花札をそう言うんだけれど、トッパが大好きでね。大昔には、警察沙汰になったほどです。それでもやめなかった。春から秋にかけて稼いだお金で、冬場は花札。いろんなところでやるから、“花札ツアーに行く”って言って、長い間、家に帰らないんですよ。 それだけ聞くと、とんでもない母親に聞こえるけど、家族を支えていたのはミヨさんだったし、何よりも持ち前の明るさで家族からもご近所さんからも、本当に好かれていましたね」(足寄町民) 一家を支え続けたミヨさんを、千春は喪主としてこの世から送り出した。「千春さん、お母さんの棺の中に、何を入れたと思います? 花札です。やっぱり、大好きでしたからね。本当は麻雀牌も入れたかったんだけど、燃えないっていうので諦めて。お母さんも、大好きなものと一緒に天国に行けて、喜んでいると思いますよ」(別の足寄町民)果たせなかった約束 冬は花札に興じたミヨさんだが、千春の少年時代、必ずクリスマスには家に居た。「12月は16日に千春さんの誕生日があるから、それも一緒に祝おうとケーキを買って。家族5人でケーキを囲んで、近況報告をし合ったそうですよ」(千春の実家近くの人) 千春の高校時代の後輩の1人は、ボロボロに破けたジャージーを着ていた千春が、クリスマスのあとから緑色の新品のジャージーを着てきたことを覚えていると話す。「どうしたんですかって千春さんに聞いたんですよ。そうしたら『母さんが花札で勝ったから買ってくれた』って。すごくサイズの大きなジャージーでね。千春さんは『こんな大きなものどう着るんだ』なんてブツクサ言いながらも、とてもうれしそうでした」 同じ場所で時間を共有することは少なかった親子だったが、母の苦労の上に自らの生活があったことを千春は理解していた。そして、音楽の才能を開花させた千春は母への恩返しを果たす。ミヨさんは、もともと歌と踊りが大好きな人だった。「ミヨさんは、流行歌に合わせて踊る新舞踊の名取で、若い頃は旅回りの一座に属していました」(前出・富澤氏) 1986年、すっかりスターになった30才の千春は、北海道出身の力士・保志(現・八角理事長)の優勝を祝う会のステージ上にいた。会場には何百人と集まっている。「千春さんは数ある自身のヒット曲ではなく、村田英雄さんらが歌い継いできた『人生劇場』を歌っていたのを覚えています。傍らには、男装をして踊るミヨさんの姿があったんです。『自分の歌しか歌わない』ってとんがっていた千春さんが、ミヨさんが知っている流行歌を熱唱し、還暦を過ぎた小柄な体をミヨさんがうれしそうに動かす。いまでも記憶に残っています」(前出・足寄町民) 千春がミヨさんをステージ上にあげたのは、このときが初めてではなかった。「千春さんが足寄町で凱旋コンサートを初めてやったときに、お母さんがステージで踊ったんです。そのときのお母さんが本当にうれしそうで、親孝行ができたなって思ったって、ご本人が話していました。それまでずっと土木作業で苦労してきたからね。自分たちを育ててくれたことに千春さんはすごく感謝していてね。お母さんにはたくさん楽しい思いをしてほしいと話していました」(芸能関係者) が、いつの頃からかミヨさんの姿はステージ上で見られなくなる。「15年ほど前に認知症であることがわかり、千春さんの義兄さんと甥っ子さんが一緒に暮らして面倒を見ていたんです。それでも3年前に大腿骨を骨折して入院したことで、症状がぐっと進行してしまいました」(前出・芸能関係者) 千春もラジオで時折語ることだが、ミヨさんはここ数年、千春の顔を息子と認識できなくなっていた。それでも、ミヨさんは、変わらず千春の母であり続けた。「お見舞いに来た千春さんのことは誰だかわからないんですが、自分の息子が千春という名前の有名なフォークシンガーだということはわかっていて、それをうれしそうに周りに自慢するんです。しかも、『大空と大地の中で』は、歌詞を見ずに、ミヨさん独特の歌いまわしで歌えていました。息子を誇りに思う気持ちは、最期まで消えることがありませんでした」(前出・足寄町民) 記憶が失われていく母とその息子の間には、ひとつの約束があった。「千春さんはお母さんと、『母さんの100才の誕生日には盛大なパーティーをするから』と約束していました。この約束は、お母さんの認知症が進行する前の、最後の約束だったんです。ですから、千春さんはその約束をとても大切にしていました。お母さんだって、楽しみにしていたと思います」(前出・足寄町民) その約束は、あと2か月という目前で、果たせぬものになってしまった。葬儀の日は、連日の暖かさが嘘のようにグッと冷え込み、マイナス21℃。頬を伝う涙も凍る一日だった。※女性セブン2021年2月11日号
2021.01.30 07:00
女性セブン
断った人たち(時事通信フォト)
桜を見る会と芸能人、ぼやく出席者と断って株あげた人々
「憲政史上最長の総理」となった安倍首相が国民に栄耀栄華を見せつけてきたのが盛大な「桜を見る会」だ。大勢の文化人、芸能人、タレント、アスリートが出席して花を添えたが、その“新宿御苑の花見”が各界に混乱を巻き起こしている。 政治家とタレントはどちらも名前を売ってナンボの世界。総理は「桜を見る会」に著名人を招待して話題づくりに利用し、呼ばれた側は「総理の招待」をステイタスアップに利用する。だから著名人は原則ノーギャラで出席してきたのだ。 だが、桜を見る会に批判が強まると、「参加したらイメージダウン」と見られるようになった。 各局の情報番組では桜を見る会に出席経験のあるタレントがまるで“針のむしろ”に座らされているように暗い顔で出演。『スッキリ』(日本テレビ系)では、お笑いコンビ「ハリセンボン」の近藤春菜が、「(招待状の)裏に安倍晋三と書かれて『すごいな』と思ったが、われわれもなんで呼んでいただいたんだろうねって思いながら……」と経緯を説明すると、父で俳優の高橋英樹とともに出席したことがあるフリーアナウンサーの高橋真麻は、「芸能人がいるエリアって食べ物も飲み物も置いていない」と明かした上で、「こっちのほうが朝から着付けして、メークしてお金がかかっている」と、苦笑い。“ボランティア”だったことを強調した。『サンデージャポン』(TBS系)でも、安倍首相主催の桜を見る会に2回出席して「懐柔された」と批判されたことがある爆笑問題の太田光がこう“ブチ切れ”て見せた。「直前に『安倍のバカヤロー』ってラジオで言ったんですよ。その時は安倍シンパの連中からギャアギャア言われて、その何日か後に桜を見る会行ってツーショットやったら、今度は安倍を許さないって方からギャアギャア言われて。オレ、本当に反社と総理大臣とだけは一緒に写真写るのはやめようと思ったくらい」◆「なぜあいつが呼ばれた」 対照的なのが桜を見る会を「欠席」したタレントだ。いまや芸能界では「安倍総理の招待を断わった」というのがステータスとなりつつある。 まだこの問題が発覚する前の今年4月、お笑いコンビ「千原兄弟」の千原ジュニアが、「桜を見る会みたいなんに今年も声かけてもうたんですけど、知らんおっさんと見たないわ、って断わったんです」と語っていたことが、ネットなどで評価され、“媚びない芸人”と株を上げた。『バイキング』(フジテレビ系)では、MCの坂上忍が一度出席したときの印象をこう語った。「これって政権与党のファンクラブの集いなの? ってちょっと思っちゃった。そうするとボクらの立ち位置って花を添える、悪く言ったら客寄せパンダみたいなもんで。(次の年は)お断わりしたんです」『おぎやはぎの「ブス」テレビ』(AbemaTV)でもこの話題に。お笑いコンビ「おぎやはぎ」の矢作兼が、「俺たち招待状来たことないよな?」と問いかけると、相方の小木博明は「一回、お断わりしてるよ」と語り、「政治家NG」と不敵に笑って見せた。 タレントの石原良純も招待状をもらったが、「仕事で行ってない」(フジテレビ系『ワイドナショー』)と明かしている。 なんとコンサートで“出席拒否”を宣言したのが歌手の松山千春だ。全国ツアーの東京公演(11月13日)で、「桜を見る会の招待状は届いてますが、一度も出席したことはありません。総理主催は構わないけど、(総理の地元の)山口県の知り合いばかり集めてもなぁ」※週刊ポスト2019年12月6日号
2019.11.25 16:00
週刊ポスト
小芝風花
次は小芝風花の「順番」、朝ドラから5年“勝負の年”に
 放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は女優・小芝風花について。 * * *「時代」ではなく、「順番」と書かせていただいた。『女性セブン』の「好きな朝ドラヒロインランキング」アンケートで見事1位に輝いた波瑠が主演した2015年度後期の連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)で、「あさ」(波瑠)の娘、「千代」を演じていた小芝風花に、ついに「順番」がやってきたのである。 元祖・キャリアウーマンと言っても過言ではなかった母・あさの生き方に反発し、ぶつかることが多かった千代を美少女・小芝が好演していたことは、“朝ドラ”ファンには周知の事実。 ◇“朝ドラ”で親友役だった吉岡里帆は大ブレイク ちなみに千代の女学校の親友役で、千代とは逆に、あさに心酔していた「宣」(のぶ=のぶちゃん)を演じていたのは吉岡里帆だった。 物語の後期、眼鏡少女として、お茶の間に顔を売った吉岡は、朝ドラ終了直後に『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)、さらに翌年は『カルテット』(TBS系)と話題作に次々出演。CMでも、眼鏡女子のまま「URであ~る。」と歌った『UR都市機構』を筆頭に、一気に契約社数を増やしていったものだ。  吉岡は小芝より4才上。売り出すには「今だ」とばかりに、関係者が一丸となり、「主演女優」「CM美女」への階段を駆け上がらせたという感がある。 つまり、小芝は吉岡に遅れをとってしまったワケだが、そこには彼女の年齢の若さや、事務所(オスカープロモーション)内での順番も関係していたのではないかと思われる。  小芝は『全日本国民的美少女コンテスト』ではなく、『イオン×オスカープロモーション ガールズオーディション2011』のグランプリ獲得者。2011年11月のことである。 そんな小芝の名前がマスコミに大きく取り上げられたのは、実写版『魔女の宅急便』で主人公のキキを演じたとき。2014年3月のことだ。特に日本テレビの情報番組での番宣の勢いがものすごかったと記憶している。  が、私が、小芝に注目をしたのは、その前年、2013年のクリスマスにオンエアされた『スケート靴の約束~名古屋女子フィギュア物語~』(テレビ愛知)だった。 小芝は、事務所の“先輩”である本田望結や本田真凛らと共に出演していた。実は小芝も幼少期からフィギュアスケートを習っていたのである。フィギュアの前は器械体操を習っていたとのこと。あのルックスだから、もしもそのまま練習を続けていたなら、日本を代表する美人アスリートになっていたに違いない。 その後、『あさが来た』により、朝ドラのメイン視聴者層(F3=50才以上の女性)に顔を売った小芝。 以前、「NHKには、自局で名前を売った“スターの卵”をしっかり育み、自局の連続ドラマに主演させて、さらに知名度を上げる“パターン”がある」と書かせていただいた。『あまちゃん』の松岡茉優の『水族館ガール』、『あさが来た』の清原果耶の『透明なゆりかご』などがその代表例。◇『トクサツガガガ』でオタク女子の心情を好演 果たして、小芝にもその順番がやってきて、今年1月期の「ドラマ10」『トクサツガガガ』は、多いに話題作となった。 原作者は、丹羽庭氏で、現在も『ビックコミックスピリッツ』で連載中。特撮オタク女子の心情や葛藤を描いている人気作だ。 共演の寺田心や倉科カナ、木南晴夏、さらに母親役の松下由樹ら、演技派たちに助けられてはいたものの、主演の小芝は、原作を読み込み、吹き出しの横に記された手書きの小さな文字を覚えてアドリブに活かすなど、懸命に取り組んだと言われている。 小芝は、4月16日の誕生日で22才になる。というワケで、『トクサツガガガ』の中でOL役をしていても全く違和感がなかったし、まだ子役感が抜けていなかった『スケート靴の約束~』や『あさが来た』の頃から、ぐんと女っぽさを増したことにも注目が集まった さらに、自身の努力によって、オタク女子のデリケートな部分や、特に母親との対立(『あさが来た』に続いて……苦笑)を見事に演じ切ったのである。この作品での彼女の演技や存在感は、テレビ界の賞に匹敵するのではないかと思う。それぐらい、素晴らしかったのである。 大阪府堺市出身なので、バラエティー番組では時折、関西弁が出る。現在、MCをつとめている『オスカル!はなきんリサーチ』(テレビ朝日系)でも、事務所の後輩でもあり年少の岡田結実や籠谷さくらを前に、“仕切り屋”の“毒舌キャラ”と受け取られることがあるのは、関西のノリと、その役割のせいだろう。 さらに、80年代のニューミュージックに詳しいという一面もあるそうだ。それは、フィギュアスケート場までの送り迎えをしてくれていた母のクルマでかかっていたのが、松山千春や甲斐バンド、長渕剛らの曲だったから。 中でも松山の大ファンだったという母が、『大空と大地の中で』で歌われている 風と花から、風花と名付けたと聞いた。 現在、事務所の先輩・上戸彩とTikTokのCMに出ているが、ここでも、ただ美少女というだけでなく、上戸と、ちゃんと“お芝居”している小芝なのである。 事務所関係者は「今年が勝負の年」と公言。3月28日から「ひかりTV」×「大阪チャンネル」で配信中の『TUNAガール』に主演しているほか、彼女が22才の誕生日を迎えたあたりから、解禁される作品情報もあるのではないかと思う。 やっと回ってきた小芝風花の順番。彼女のさまざまな取り組みに興味津々だ。
2019.04.05 07:00
NEWSポストセブン
三浦百恵さん、息子のために一肌脱ぎW介護に懸命に取り組む
三浦百恵さん、息子のために一肌脱ぎW介護に懸命に取り組む
「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」 あまりに有名なメッセージとともに、マイクを置きステージを去ってから38年。この間、芸能界と縁を切っていた三浦百恵さん(59才)の周辺がにわかに騒がしい。 大きな理由は、長男・祐太朗(34才)と次男・貴大(33才)の存在だ。「ともに芸能界のサラブレッドとして期待されたが、デビュー後に明暗が分かれました。2008年にバンドでメジャーデビューした祐太朗さんは、2012年に松山千春さんのカバーでソロ活動を始めたが、今一つ伸び悩んだ。 一方の貴大さんは、映画デビューとなった2010年の『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』でいきなり日本アカデミー賞新人俳優賞、報知映画新人賞をW受賞して脚光を浴びた。その後もコンスタントにテレビドラマや映画に出続けています」(芸能関係者) 俳優として着実に成長する次男に対し、歌手として名を上げられずにいる長男。広がる「兄弟格差」に母である百恵さんの胸中は複雑だったようだ。「祐太朗さんの歌唱力は折り紙つき。誰もが“きっかけさえあれば”と思っていたところに、百恵さんに『横須賀ストーリー』や『プレイバックPart2』などの楽曲を提供し、百恵さんの恩師ともいわれる宇崎竜童・阿木燿子夫妻が立ち上がったのです。 かつてシングルとLP合わせて68曲も提供するほど百恵さんにほれ込んでいた宇崎夫妻は、2014年に阿木さんがプロデュースする舞踊劇『Ay曽根崎心中』に祐太朗さんを出演させました。阿木さんから長男の抜擢を聞いた百恵さんは、喜んでいたそうです」(スポーツ紙記者) 2017年に祐太朗は、百恵さんのカバーアルバム『I’m HOME』をリリースした。「翌年に出た祐太朗さんの新アルバム『FLOWERS』には、宇崎夫妻が新曲『菩提樹』を提供しました。これは宇崎夫妻が作って百恵さんが歌った名曲『さよならの向う側』のアンサーソングで、大きな話題となりました。 そのほか、祐太朗さんの個人事務所の社長は、百恵さんの現役時代最後のマネジャーを務めた人。祐太朗さんは、かつて百恵さんを支えた人たちのサポートを受け、注目度をどんどん上げていったのです」(前出・芸能関係者) 2018年、祐太朗は『しゃべくり007』『嵐にしやがれ』(ともに日本テレビ系)など人気番組に相次いで出演し、それまでタブーとしていた“母親トーク”を解禁した。「特に『しゃべくり』では、『学生時代につきあっていた彼女とホテルに行ったら、母の曲が流れてきて集中できなかった』とぶっちゃけました。それまでは一切、百恵さんについて話さなかったのであまりのギャップに驚きました」(テレビ局関係者) 2018年9月に神奈川県小田原市で開いたフリーライブで、祐太朗は最後に『さよならの向う側』を熱唱した。ライブ後の握手会には百恵さん世代の女性ファンがこぞって列をなした。「祐太朗さんはデビュー当時こそ『親の力を借りたくない』と頑なに百恵さんの話題を拒んでいましたが、最近はようやく肩の力が抜けたようです。テレビ局からすれば、“伝説の存在”である百恵さんは今もドル箱級のスターであり、祐太朗さんとの母子共演が実現したら、業界がひっくり返るほどのインパクトがある」(前出・テレビ局関係者)◆もう一つの家族の物語とは 現在、祐太朗への惜しみないサポートを続けている百恵さんなら、共演の可能性は以前より高いと見て、各局が祐太朗経由でオファーを出しているという。しかし、百恵さんにはもう1つの「家族の物語」がある。「百恵さんは10年以上前から、同居する友和さんの両親を介護しています。病院にも付き添い、身の回りの世話もすべてしている。友和さんの両親は、百恵さんのことを実の娘のように慕って感謝しています」(三浦家の知人) 12月中旬の週末、自宅から出てきた百恵さんは、処方せん薬局に車を走らせて、慣れた手つきで買い物をすませて自宅へと戻っていった。「百恵さんは現在、テレビのオファーなどは全部断っています。ただ息子たちのことは誰より気にかけて、彼が出るテレビはすべてチェックしており、“母親としてできることはしたい”という思いのようです。ただし、高齢の義父母の介護もあり、たとえ一瞬だけでも芸能界に復帰する可能性は、今のところ低いと言わざるを得ないでしょう」(前出・三浦家の知人) テキパキとした姿は、高齢の親を自宅で介護する主婦そのものだった。※女性セブン2019年1月3・10日号
2018.12.30 07:00
女性セブン
激やせの松山千春、体調不安説に答える「元気ですよ」
激やせの松山千春、体調不安説に答える「元気ですよ」
「春のツアーでね、気合が入ってたからか、エネルギーが要ってなぁ。自分でもちょっとやせたなと思うよ…」 苦笑いを浮かべながら、松山千春(62才)は自分の体を労るようにさする。その手は白くやせ細っていた。 8月5日、北海道の札幌市民ホール。この約1時間前、松山は『NHKのど自慢』にゲスト出演していた。会場から盛大な拍手を浴びて登場すると、ひな壇では前かがみで出場者の歌に耳を傾け、手拍子でリズムを刻む。出場者が松山の持ち歌を歌って鐘2つの「不合格」だと、「納得いかないね~!」とステージ中央に飛び出た。 審査を待つ間には『大空と大地の中で』を歌う大サービスだったが、放送直後、視聴者からこんな声が聞こえた。「ずいぶんやせて…お年を召されたなぁ」「音程が不安定だし、高音はキツそう。何より声量がだいぶ落ちてる」「ベストな状態には見えない。体調悪いんじゃないか」 1977年のデビューから約40年、松山はこれまで体のあちこちに病を患ってきた。1991年、自律神経失調症を発症。2008年、全国ツアーの滞在先で体調不良を訴え、緊急入院。不安定狭心症と診断され、ツアー中止を余儀なくされた。 昨年8月、ラジオで自律神経失調症の再発を告白。今年1月にもラジオで、右足をくじいてしまい足の甲や指にしびれや痛みが起こる「腓骨神経麻痺」を患ったと語り、しばらく足を引きずったままステージをこなした。さらに4月には糖尿病のためインスリンを打ったところ低血糖になり、救急搬送されている。 それでも毎年行っている春の全国ツアーは今年もなんとか完走した。ファンがほっと胸をなでおろしたのもつかの間、7月16日に予定していた日比谷野外大音楽堂での『松山千春 ON THE RADIO in 野音』を4日前に急きょ中止。猛暑とゲリラ豪雨のため来場者の身の安全に考慮したのが理由だというが、「また体調が悪化したのでは」と心配する声も少なくなかった。「いちばん気がかりなのは、毎年7月下旬に発表される秋のツアーの日程が8月に入っても発表されなかったこと。千春さんはデビュー以来ほぼ毎年春秋のツアーを行っていますが、こんなに発表が遅れるなんて今までなかった。深刻な理由があるんじゃないかと心配で…」(ファンの1人) そして今回の『のど自慢』出演の裏でも、体調不安が囁かれていた。「出演OKがなかなか出ず、ギリギリまで交渉したそうです。最近、松山さんがあまりにもやせたのもあって、“大病を患っているんじゃないか”という話も出ています」(芸能関係者)『のど自慢』で見せた松山の激やせと歌の不安定さ。病との関係はあるのだろうか。「松山さんが何度か患った自律神経失調症は、心理的ストレスから交感神経と副交感神経のバランスが崩れることで、体に不快な症状が現れる病気です。味覚や嗅覚が落ち、食欲不振になってやせるかたも多い。歌手の場合は、緊張や不安を感じることで音程がわからなくなったり、高い声が出なくなり、最悪の場合失声症になることもあります」(精神科医の片田珠美さん)『のど自慢』出演後、会場から出てきた松山は、ひどく疲れた様子だった。記者が声をかけると、マネジャーが制止する中、「いいんだよ」と取材に答えた。「まあ疲れたらちょっとガクッとはなるよ。でも元気ですよ。秋のツアーもまだ発表してないけど決まってる。今回は無理して沖縄まで回る。野音を中止してすまないなぁという気持ちもあるし、ラジオを聴いてくれている人たちのところに行って、自分が元気だぞっていうところを見せたいね」 最後は「たばこは吸ってる。やめる気はありません」とニヤリと笑った。※女性セブン2018年8月23・30日号
2018.08.09 16:00
女性セブン
松山千春で話題の「機内歌唱」 北島三郎もやっていた
松山千春で話題の「機内歌唱」 北島三郎もやっていた
 言わずと知れた松山千春(61)の代表曲「大空と大地の中で」。これを本人の生歌で、「大空」へ向かう前に聞くことができたラッキーな乗客たちがいる。 8月20日、新千歳空港発伊丹空港行の全日空航空機が保安検査場の混雑で待機していたところ、たまたま地元の北海道から仕事で大阪へ向かうために乗り合わせていた松山千春が、客室乗務員から機内用マイクを借りて歌い出したのだ。このサプライズに大喜びした乗客たちはその模様をネットに上げ、瞬く間に大きな話題となった。 しかし実はこの即席コンサート、航空業界では「きわめて異例」なのだという。松山から「歌いましょうか」という提案を受けた客室乗務員は機長に伝達、機長は許可を出したが、これは前例のない“英断”だったようだ。同機を運航していた全日空広報部が言う。「明確な規定はありませんが、通常、マイクを乗客の方に渡すことはあり得ません。(ハイジャックなど)危険な行為を呼びかけたりする可能性もあるからです。ただし今回は松山様のご厚意に甘える形でマイクをお貸ししました」 しかし同様の“イベント”を、過去に堂々とやってのけた大物歌手がいた。“演歌の神様”北島三郎(80)である。 北島が「機内コンサート」を行なったのは1985年8月。アジア旅行開発(現在のJAL系列)が、成田発台北行きのフライトで、「一万メートル上空の機内ライブ・コンサート」を企画し、北島が山本譲二ら演歌歌手5人と生バンドも連れて約2時間熱唱したのだ。 19万8000円のプレミアチケットを手に入れた約60人のファンは大盛り上がりだったという。まさに空の上の「まつり」である。 北島と松山といえば、北海道が生んだ二大スター。もしかしたら松山は、大先輩の過去の偉業を知っていた?※週刊ポスト2017年9月8日号
2017.08.27 16:00
週刊ポスト
『ザ・ベストテン』秘話 井上陽水は法事で欠席した
『ザ・ベストテン』秘話 井上陽水は法事で欠席した
 久米宏と黒柳徹子の司会で、1978年1月にスタートした歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)。お茶の間に浸透し、驚異的な視聴率を叩き出した。 長きにわたって音楽シーンを牽引していく歌手たちが綺羅星のごとく並んだ1981年9月17日、番組は歴代の最高平均視聴率41.9%を記録した。その伝説の番組の、今だから言える裏話を紹介する。 ●西田敏行を入れて3人司会? 黒柳徹子と当時TBSアナウンサーだった久米宏との軽妙なやりとりが話題を呼んだが、実は番組立ち上げ時、西田敏行を加えた3人で司会をする構想があった。黒柳と西田が場を盛り上げ、久米が進行を担当する予定だった。しかし、オファーはしたものの結果的に西田のスケジュールが合わず、その話はなくなったという。 ●アルフィーのサプライズが不発 1984年に、THE ALFEEがランクインした『恋人達のペイヴメント』で出演。そのとき、ファンの自宅をサプライズで訪問する企画が進められた。「でも、当日、ファンの自宅に行ってみると、留守。仕方なく家の前で中継すると、カラオケテープがよれよれで音がうまく出ず、歌いづらくなるというダブルハプニングだったそうです」(元プロデューサー・齋藤薫さん)。 ●「法事」を理由に辞退した井上陽水 出演辞退するニューミュージックの歌手が多かったが、井上陽水は1度だけ出演している。プロデューサーだった故・山田修爾さんは以前、本誌の取材にこう語っていた。「井上さんには何度も交渉して、1984年11月に『いっそセレナーデ』でランクインした時に、ようやく出演してくれました。翌週も出てもらえると思ったら、辞退されてしまって。その理由が『法事のため』。陽水さんの真骨頂だと思いましたね」。 ●松山千春のトークで百恵歌えず 松山千春も出演したニューミュージックの歌手のひとり。『季節の中で』で“最初で最後の出演”という約束で、北海道旭川のコンサート会場から生中継での出演となった。当初の予定では冒頭3分間のMCの予定だったが、松山は8分間、しゃべり続けた。結果、その日1位だった山口百恵さんは歌を披露する時間がなくなってしまった。【データ】放送局:TBS系放送期間:1978年1月~1989年9月放送回数:603回主な司会者:黒柳徹子、久米宏、小西博之、松下賢次、渡辺正行 最高視聴率:41.9%(1981年9月17日) 【最終回のベストテン(1989年 9月28日放送)】1:黄砂に吹かれて 工藤静香2:太陽がいっぱい 光GENJI3:リゾ・ラバ 爆風スランプ4:GLORIA ZIGGY5:世界でいちばん熱い夏 プリンセス プリンセス6:淋しい熱帯魚 Wink7:ドリームラッシュ 宮沢りえ8:シングル・アゲイン 竹内まりや9:MISTY~微妙に~ 氷室京介10:VIRGIN EYES 中山美穂 ※女性セブン2016年6月16日号
2016.06.07 16:00
女性セブン
今年のNHK紅白歌合戦 乃木坂46有力、松山千春が目玉に浮上
今年のNHK紅白歌合戦 乃木坂46有力、松山千春が目玉に浮上
 毎年この時期になるとスポーツ紙の芸能面を飾るのが、大みそかに放送されるNHK紅白歌合戦の話題だ。司会は紅組が綾瀬はるか、白組がV6の井ノ原快彦、総合司会にNHKの有働由美子アナウンサーに決まったと報じられており、出場歌手にも注目が集まっている。 芸能評論家の三杉武氏はこう語る。「昨年は、中森明菜の“復活”やアナ雪ブームもあり、視聴率的には何とか及第点を取りましたが、今年は話題になったヒット曲もこれと言ってなく、フジテレビが10年ぶりに格闘技大会の中継番組をぶつけてくるなど、苦戦が予想されています」 そうした中、近年はジャニーズ事務所所属のアーティストやAKB48グループをはじめとするアイドルが多数出演。『進撃の巨人』や『妖怪ウォッチ』といった人気アニメ関連の楽曲を手掛けるアーティストも出演するなど“若者志向”が目立つが、「NHKサイドがネット世代の若い視聴者層の獲得に力を入れているのは確かでしょう。それに、今年の『紅白』を仕切るプロデューサーはアイドルやJ-POP好きな方のようなので、今年はさらにこの傾向が強くなると思います」(三杉氏)。 そうした中、今年初出場が濃厚なのがアイドルグループの乃木坂46だ。 昨年は一部スポーツ紙が“内定”と報じたものの、出場を逃したが、「CDのセールスも好調ですし、NHK大河ドラマの『花燃ゆ』に出演するなど、同局への貢献度も評価されるでしょう」(芸能リポーター)。 また、周年歌手の“復活”も取り沙汰されている。「今年は近藤真彦さんがデビュー35周年、松田聖子が35周年、河合奈保子が30周年、TUBEが30周年、今井美樹が30周年、斉藤由貴が30周年、国生さゆりが30周年と、多くの歌手がメモリアルイヤーを迎えます。昨年、大トリを務めた聖子さんの連続出場はもちろん、近藤さん、TUBEの復活も予想されますね」(前出の三杉氏) さらに、今年20年ぶりに再結成したロックバンドREBECCA(レベッカ)や8月に同局で放送された“夏の紅白”と呼ばれる音楽番組『思い出のメロディー』で北島三郎とともに司会を務め、『花燃ゆ』にも出演している松坂慶子、同局で放送された仲間由紀恵主演のドラマ『美女と男子』で一発屋歌手を演じた高橋ジョージ、同局のコント番組『LIFE!~人生に捧げるコント』から生まれたドランクドラゴンの塚地武雄扮するイカ大王などの出場も浮上している。 そうした中、目玉として業界内で噂されているのが、松山千春だ。  松山といえば、今年9月に放送された『NHKのど自慢』にゲストとして初出演し、約15年ぶりに生放送の番組で生歌を披露して話題となった。「松山さんは、テレビの歌番組にはほとんど出ないことで知られていますが、同番組への出場は自身の還暦と同番組の70周年が重なったこともあり、出場オファーにゴーサインを出したということです。 NHKサイドとしては紅白出場を見据えてのオファーだったとみられます。目下、紅白の目玉としてNHKが交渉に当たっている段階と言われています。本番で何をやるかわからない松山さんなら、視聴者の関心を集めるのは確実で、出場すれば話題性は充分です」(同芸能リポーター) 果たして、今年の大みそかのステージにはどんな顔触れが揃うのか。
2015.11.19 16:00
NEWSポストセブン
さんま郷千春まりやが今年還暦 爆笑太田江頭明菜は今年50歳
さんま郷千春まりやが今年還暦 爆笑太田江頭明菜は今年50歳
 ふとした拍子に有名人・タレントの年齢を知ると感慨深いものがある。今年、人生の区切りの年齢を迎える方たちを、大人力コラムニスト・石原壮一郎氏が紹介する。 * * * 大人ならご承知のように、年齢はその人物を知る上で重要な要素です。薄っぺらく欧米にかぶれた人の中には、「すぐに年齢を気にするのが日本人の悪い癖だ」なんて言い出す人もいます。もちろん、いきなり年齢を尋ねたり、意味もなく年上風を吹かせたりするのは感心しません。若さに嫉妬したり自分の年齢を嘆いたりするのも慎みたいものです。 そういうことではなく、この人はどんな時代に生まれたのか、自分と何歳違うのか、誰と同世代なのか……。そんな情報から人生の背景を想像するなどして、いろんな感慨に浸るのが大人の感受性であり大人の愉しみです。というわけで、年の初めだし、「あの人は今年で何歳か」をチェックしてみましょう。 2015年に60歳の還暦を迎える人たちを並べてみます(本来は数え年で祝いますが、ここでは一般的な満年齢で探しました)。伊藤蘭、所ジョージ、竹内まりや、江川卓、具志堅用高、明石家さんま、郷ひろみ、松山千春、福島瑞穂……。「えっ、あの人ってもう還暦!」と驚いたり、身近な60歳の人と比べてシミジミした気持ちになったりしてください。 50歳を迎えるのは、どういう人たちか。爆笑問題の田中裕二と太田光、南原清隆、奥田民生、江頭2:50、中森明菜、岡本夏生、古田新太、本木雅弘……。50歳といえば、いわゆる男盛り。ちなみに2014年にお亡くなりになった高倉健さんは、50歳前後の時にどんな役をしていたのか。健さんは1931年生まれ。「駅STATION」の公開が1981年、82年公開の「海峡」や83年公開の「南極物語」も、50歳ぐらいのときの撮影だったはずです。「俺も、もう50か……」なんてしょぼくれている場合じゃありません。 続いて、40歳も見てみましょう。松井稼頭央、上原浩治、高橋由伸、山田花子、神田うの、内田有紀……。みなさん、ますます意気軒昂です。健さんに続いて鬼籍に入ってしまった菅原文太さんは1943年生まれ。「仁義なき戦い」シリーズの公開は40歳になった1973年から1974年で、1975年から「トラック野郎」シリーズがスタートしました。 逆に、たくさんの年輪を重ねてらっしゃる方々で、2015年に長寿のお祝いの年齢を迎えるのはどなたか(ここも満年齢で探しました)。古希組(70歳)は、おすぎ、吉永小百合、長塚京三、セルジオ越後、タモリ、櫻井よしこ……。喜寿組(77歳)は、富士真奈美、梅宮辰夫、小林旭……。傘寿組(80歳)は、美輪明宏、野村克也、朝丘雪路、八名信夫……。みなさま、いつまでもお元気で活躍していただきたいものです。 ここにあげたのは、あくまで区切りがいい年齢の方々です。お正月気分が残っているうちに、憧れの俳優やタレントの年齢を確認したり、ネットで「有名人 ○○年生まれ」で検索して「自分と同い年の有名人」を探してみたりしましょう。対抗意識を燃やすもよし、励みにするもよし。今の自分のニーズに合わせて、大人の活用法を見つけてください。
2015.01.03 16:00
NEWSポストセブン
業界大物がハマる昭和歌謡歌手「高校時代はジュリーに夢中」
業界大物がハマる昭和歌謡歌手「高校時代はジュリーに夢中」
 合間に入るピコピコハンマーの音とともに、一度聞いたら頭から離れない「もぐらたたきのような人」を歌うシンガーソングライターの町あかり氏は、よく昭和の歌謡曲やアイドルを再現していると言われる。しかし、ももいろクローバーなどへの楽曲提供で知られる前山田健一氏や氣志團の綾小路翔氏が賞賛するのは、ただ懐かしさだけではないオリジナルの魅力があるからだ。昭和レトロと現在が合わさった、その魅力の謎の解明を試みた。 * * *――町さんの曲は、モテる上に気の多い男性への女性の嫉妬を歌った「もぐらたたきのような人」に限らず、親しみやすいメロディと明るい歌声なのに、詞を見直すと怖いような内容が多いですね。町あかり(以下、町): 怖いと思うかもしれないですが、女の子にはありがちなことを歌っていると思います。たとえば「のっぴきならない事情」という曲は、あなたに会うのが面倒くさいから「のっぴきならない」と言っておこうという曲。その事情は何かといえば、着替えるのが面倒とか他人からは些細なことです。 そんな理由で「のっぴきならない事情」と説明するなんて、女の子にはよくあることなんじゃないかなと思います。バイトも学校もない日なのに「忙しい」と返事して誘いを断る女の子って、普通にいますよね。他の曲も、友だちと話していても感じる同世代の気持ちが曲になっていると思います。――20代で町さんのように同世代の気持ちをテーマにした曲をつくっている人は、もっと抽象的な歌詞が多いように思います。でも、具体的で相手の存在がみえる曲が多いですね。 町:自分の気持ちを歌いたくて曲を書いているのではないのが大きな違いかなと思います。それに、同世代の人たちと聞いている曲が違うからだとも思います。私が好きな1970年代や1980年代に流行った曲は、シンガーソングライターではなく、作曲家や作詞家が歌手に向けて作っています。私も「町あかり」という歌手に曲や詞を書いているような感じにしたいと思って曲をつくっているんです。――1991年生まれの町さんが30~40年前の曲に触れる機会はなかなかないと思いますが、なぜ、昭和のアイドルや歌謡曲に注目したのでしょうか?町:音楽を熱心に聞き始めたのは中学生のときでした。それまでは、自分で絵本をつくって友だちに見せるなど創作することは好きでしたが、音楽への興味はそれほどなかったんです。家でも、休みの日には父がギターを弾いて歌を歌っていましたが、好きなのは松山千春さんや「黒の舟歌」が有名な長谷川きよしさんの曲で、ヒット曲というよりはギター好きな人に人気というものでした。 中学生の時、テレビの音楽番組でたまたまみたサザンオールスターズに夢中になりました。その後、古い曲へ注意が向いたのは、人と違うものを見つけたいという単純な動機だったと思います。中学生でしたから(笑)。具体的に曲に触れたのは、懐メロ番組を偶然にテレビで見たのが始まりです。その後はYouTubeですね。インターネットで探すと、本当にたくさんの情報が出てきますから。――古い曲を初めて聞いたときには、かなり驚かれたのではないでしょうか?町:驚いたことがありすぎて、例を挙げるのに困るくらいです。たとえば、沖田浩之さんの「E気持ち」などは歌詞も面白いですし、沖田さんのアクションも面白い。そのなかから一番がどれとは言いづらいですが、高校生のときはジュリー、沢田研二さんに夢中でした。 YouTubeでジュリーの昔の映像を見るたびに驚かされました。「TOKIO」の電飾がついてキラキラキラと光る衣装にも、同じフレーズの繰り返しが多い曲も衝撃的でした。覚えやすくて頭に残りますよね。沢田研二さんは曲が変わるごとに衣裳のイメージも全然、違っていた。キラキラで王子様みたいだったり、着崩していたり。――当時の歌謡曲の演出がライブ時のパフォーマンスに影響されているのでしょうか?町:沢田研二さんだけでなく、当時のアイドルからも大きな影響を受けていると思います。 たとえば小泉今日子さんがアイドルとして歌っていた頃の映像を見ると、ちょっと気だるく振りをしていて、恥ずかしそうに踊っているようにも見えて、それもまたかわいいんです。だから「町あかり」は今のアイドルのように踊りきらない。すごく頑張らない、特徴的な振りになるようにと決めているんです。――自作されている衣装も、昭和のアイドルの影響が強いのでしょうか?町:ライブ活動を始めたころは、古着などを買って組み合わせていました。一年ぐらい経ってから、着たいデザインを自分で縫っています。昔のアイドルの衣裳とまったく同じようには作れないんですが、かわいいと思った色づかいや、大きな襟を頑張って作っています。この間イベントに来てくれた3歳ぐらいの女の子は私と同じ衣装を着ていたんですよ。お母さんが作ったそうなんですが、私よりも上手に作られていました(笑)。――最近のアイドルの衣装と昔のものでは、どんな点が違うのでしょうか?町:昔はドレスやワンピースが多いですよね。ドレスなど長い丈のものを着ていたら激しく踊れないから、今のアイドルではなかなか見られません。――今の町あかりさんとしての曲には多感な世代の女の子の正直な物語を歌うものが多いですが、今後も同じテーマで作り続けるのでしょうか?町:それはしたくない、そうならないようにしたいと思います。成長や変化をしたいです。昔は歌手の成長にあわせて曲も変化させていたものが多いんです。デビューのころは16歳の女の子の気持ちを歌っていて、成長に合わせて曲の内容もお姉さんにしていた。「町あかり」も同じように、成長する歌手にしたいと思っています。 ――今後は「町あかり」以外にも曲を提供する可能性があるのでしょうか?町:お話しがあれば、今のアイドルの人に曲を書いてみたいですね。それから、俳優さんにも曲を提供してみたい。最近の俳優さんは、音楽活動をされるときはミュージシャンとして別の顔になります。でも昔は、西田敏行さんのように俳優さんのまま素朴に歌っていらっしゃることが多かったと思うんです。歌うのが専門でない俳優さんに曲を書いてみたいですね。町あかり(まち あかり):1991年5月28日生まれ。東京都出身。高校在学中に曲づくりを始め2010年8月新横浜Bell’sでライブ活動開始。2013年「MUSICるTV」(テレビ朝日)で前山田健一と綾小路翔に激賞され第1回もし売れ大賞受賞。今年3月に大学卒業&小学校教諭一種免許状取得予定。2月23日にEggman tokyo eastでワンマンライブ「町あかり被害者の会~頭から離れない」開催。好きな絵本は『こんとあき』(林明子、福音館書店)。
2014.02.22 07:00
NEWSポストセブン

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