渡辺さんと原が結婚したのは1994年。4年以上の交際期間を経てのゴールインだった。
「原さんには離婚歴があり、前夫との間に当時10才の長女がいました。渡辺さんはその長女が“新しい父”を受け入れられるようになるまで、しっかりと時間をかけて関係を築いていきました」(別の芸能関係者)
原との間には、その長女に加えて1男1女をもうけた。2001年には「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するほど、芸能界きってのおしどり夫婦だった。自宅の近隣住民が明かす。
「夫婦揃って散歩に出かけたり、買い物をしている姿をよく見かけました。ご家族思いで、自宅で開いたバーベキューに招待していただいたこともあります。芸能人らしくないというか、どんな人にも敬語で丁寧に接し、優しかったことを覚えています。近所の若い人からは『隊長』という愛称で親しまれていました。ジョギングするときには必ずビニール袋を握りしめていて、ゴミを拾いながら走っていたことが印象的でした」
「ファイト一発!」のイメージが強すぎる
渡辺さんといえば、1982年から10年以上にわたって出演したリポビタンDのCMのイメージが強い。
「ファイト一発!」
そう叫んでポーズを決めるさまは、まさに絵になった。だが、渡辺さんを芸能界の高みに押し上げたその名台詞は、一方で渡辺さんを苦しめていたのかもしれない。
渡辺さんは1955年、茨城県水戸市内で写真館を営む家庭に生まれた。小学生の頃から映画スターに憧れ、中学時代はバンド活動に熱中。二枚目のルックスで、もちろん地元では有名人。東京の大学を卒業後もバンド活動を続け、世に出るチャンスをうかがっていた。一度は家業を継ぐことも考えたが、大学時代のアルバイトのつてでモデルのマネジャーとして働きながら、自分自身の売り込みも続けた。
そうした地道な活動が実り、1980年に飲料のコマーシャルに出演。1982年に映画の主演に抜擢され、同年から、前述したリポビタンDのCMへの出演が始まった。その後は俳優業だけでなく映画の吹き替えやゴルフ番組への出演など、活躍の幅を大きく広げた。
端正な顔立ちと鍛え上げた肉体を武器に、1980年代には高木美保(59才)とのコンビが話題を呼んだ『嵐シリーズ』(フジテレビ系)などで主演を張った。2000年頃以降は、特撮映画や任侠もののVシネマなどでの活躍が目立った。
「現実には、渡辺さんのようにハンサムでスタイルのいい男性はなかなかいませんから、役も限られてしまうんです。恵まれすぎたルックスゆえに、ずっとジレンマを抱えていたようでした」(前出・テレビ局関係者)
プライベートでは金銭トラブルに見舞われたこともある。2005年、富裕層を中心に高利回りを謳っていた投資運用会社が突如、破綻。渡辺さんは約1億2000万円もの大金を投資していた。
「返ってきたのは900万円ほどで、1億円以上が溶けてしまったことになります。投資は原さんには内緒で行っていたようで、結果として大金を失い、家族をも裏切ることになってしまった」(前出・芸能関係者)