聖子は1980年、父親の反対を押し切って憧れだった芸能界デビューを果たした。その後ろ盾となり、父親を説得して娘の夢を後押ししたのが、一子さんだったのだ。デビューから4年が経つと、売れっ子になった愛娘の身の回りの世話をするために福岡県から上京。娘が輝き続けるためにと骨身を惜しまない一子さんと聖子は“一卵性母娘”とまで呼ばれるほどだった。しかしデビューから32年が経った2012年、その関係に亀裂が入る。
「聖子さんがいまの夫と結婚後も、“元恋人”の男性を専属マネジャーとして雇用し続けたことを、一子さんが叱ったのです。誤解されることは避けるべきだという一子さんと、母親の言いなりにはならないという聖子さんが対立。2人の関係は冷え込んでいきました」(芸能関係者)
あれだけ蜜月だった母娘が、他人よりも距離が遠くなった。それは、聖子と沙也加さんの間でも起きたことだ。
「聖子さんと沙也加さんも“一卵性母娘”と呼ばれるほどの仲でした。ですが沙也加さんが思春期を迎えると、交際相手を巡って激しい口論になったこともあります。沙也加さんが“独り立ち”した後は、弁護士を介さなければ“会話”が成り立たない時期もありました」(前出・芸能関係者)
そんな沙也加さんの味方が、一子さんだった。しかし2017年4月、沙也加さんが俳優の村田充(44才)と結婚(2019年に離婚)すると、今度は祖母と孫の関係が大きく変化してしまう。
間に合わないなんてない
「聖子さんがこの結婚に反対だったのは、よく知られていますが、実は一子さんも村田さんとの結婚に反対していたのです。この点では、一子さんと聖子さんの意見が一致していた。以来、沙也加さんは母だけでなく祖母とも疎遠になってしまいました」(沙也加さんを知る人物)
すると今度は、冷え切っていた聖子と一子さんの関係が修復される。沙也加さんが結婚した直後の2017年夏、それまで東京・自由が丘にあった聖子の公式ショップが表参道に移転すると、一子さんが店頭に立った。
「沙也加さんとの関係悪化もあり、聖子さんはすでに80才を超えていた母親といつまでも争うのではなく、できるだけ一緒の時間を過ごそうと考えを変えたのです。ただ、人づてにそうした変化を知った沙也加さんは、寂しそうでした」(前出・沙也加さんを知る人物)