祖母に伝えられなかった竹内さんの死
家族が心を決めた一方で、竹内さんとの別れを逃してしまった人もいるという。
「実は結子さんの母方の祖母が昨年亡くなったんです」
こう打ち明けるのは、前出の竹内家の知人だ。
「亡くなったのは結子さんの一周忌から3か月後の昨年12月で、93才の大往生でした。数年前から具合の悪かったおばあちゃんには、結子さんが自死したことをなかなか伝えられなかったようです。お墓ができたら伝えようとしていたみたいですが……(前出・竹内家の知人)
生前の竹内さんと祖母は強い絆で結ばれていた。竹内さんは14才のときに最愛の母親が病気で他界している。その後、父親は再婚したが、再婚相手には男の子3人の連れ子がいて、3姉妹だった竹内さんはいきなり6人きょうだいになった。
新しい家庭になじめず、疎外感を深めた竹内さんは、桜井亜美さんの小説『サーフ・スプラッシュ』(1999年)の「解説」の中で、連れ子であった自分を《荷物》と表現した。そんな竹内さんの心の支えとなったのが祖母だった。
「結子さんは子供の頃からおばあちゃん子でした。母親を亡くし、父親が再婚してからは新しい家族との生活に息が詰まるような思いで、ますますおばあちゃんの家に入りびたるようになりました」(前出・竹内家の知人)
獅童と結婚していた頃は夫と連れ立って祖母宅を訪れることもあり、竹内さんの死の前年まで祖母と孫の交流は続いたという。
「晩年のおばあちゃんは介護施設に入所していましたが、再婚して次男を妊娠中の結子さんが具合を気にかけて、大きなお腹でお見舞いに来てくれたこともありましたね。おばあちゃんは、結子さんの母親と同じお墓に入りました。あれだけ親しかったのだから、結子さんも愛する母と祖母が眠るこのお墓に入るのかもしれない……。親戚の中にはそんな思いもあったようですが……」(前出・竹内家の知人)
竹内さんの所属事務所は「お墓の場所は公表しておりません」と回答した。