「自分で触診した時点でがんに間違いないと思っていましたし、家族にも罹患者が多かったので、予定はしていました。
そもそもいまや2人に1人ががんになる時代。自分が例外になるわけはありません。むしろ58才でがんになったのは遅すぎたくらいで、“予定通り”と感じました」(唐澤さん)
唐澤さんのようにすぐに受け入れられるケースもある一方で、常日頃から患者と向き合っている医師であっても、「なぜ私が」という感情を強く抱くこともある。
緩和ケア医の田所園子さん(53才)は12年前に子宮頸部腺がんを患い、子宮の全摘出手術を受けた。
「12年経ったいまでも、何が原因で自分の何が悪かったのか……という気持ちはぬぐい去ることができません。当時は、信号を無視して横断歩道を渡っている人を見ただけで、“ルールを守っている私が、なぜがんになるの”なんて考えて、落ち込んでいました。
がんになったことをポジティブに捉える“キャンサーギフト”という言葉もありますが、がんにありがたさなんて感じられないですよね(苦笑)。正直、罹患しない人生の方がよかった。ですが、仕方がない、と割り切って、治療に踏み切るしかありませんでした」(田所さん)
希少がんの消化管間質腫瘍(ジスト)に罹患した海南病院緩和ケア病棟の非常勤医師・大橋洋平さん(59才)も、がんと共存する生活を受け入れるまでに時間がかかった。ジストは10万人に約1人の希少がんで、大橋さんは2018年に発症してから、現在も治療を続けている。
「薬の影響で、とにかく体がしんどい。分子標的薬のグリベックを服用したところ、副作用がひどくて吐き気や下痢、消化液の逆流、延々と止まらないしゃっくりなどに悩まされました。たかがしゃっくりと思われるかもしれませんが、延々と続けば、体力が奪われていきます。
腫瘍があった胃はほとんど摘出したので、食事は子供用スプーンに1さじ程度ずつしか食べられません。食欲もないし飲み物もまずい。以前は大好きだった食事の時間を、まるで拷問のように感じるようになってしまったのもつらかったです」(大橋さん・以下同)
あまりの苦しさに、家族にきつく当たってしまうことも。
「妻は“少しでも食べさせたい”との思いから、メニューや素材など、いろいろ工夫をして作ってくれました。しかし食べたくても食べられないし、体もつらい。『そんな持ってくんな!』と当たってしまったこともある。
患者さんがご家族に私と同じように接する現場は医師として何度も見たことがあって、“そんな言い方はしなくてもいいのに”と思ったものでした。ですが自分が患者の立場になってみたら、その気持ちを実感しています」
治療に耐えていた大橋さんだったが、手術から10か月目のCT検査で肝臓に転移が見つかる。
ジストは腫瘍が2cmくらいまでなら完治も見込まれるが、10cmを超えると手術をしても、転移や再発のリスクが高まる。大橋さんの腫瘍の大きさはちょうど10cmほどだった。