「戦下手」というコンプレックス
どんな人間でもそうだが、ナポレオン3世にも苦手な分野もあればコンプレックス(劣等感)もある。彼の場合、不幸なことにこれが結びついてしまっていた。苦手な分野とは、戦争だった。彼ははっきり言って、戦争が下手だった。伯父でもあるナポレオン1世はなぜあれだけ人気があったかというと、外国との戦争に連戦連勝したからだ。だから、一度権力を失った後も人気は衰えず百日天下を実現できたわけだが、その後継者を名乗る彼としてはそこにコンプレックスがあったことがおわかりだろう。
「伯父にくらべたら戦争はずっと下手だな」という「評価」が常にあり、彼はなんとかそれを払拭しようとしたのだ。彼には彼の「内政を充実する」という素晴らしい才能があったのだから、それに専念すればよかったのだが、なまじそれがコンプレックスであったために、なんとか戦争でも輝かしい勝利を手に入れようとした。
クリミア戦争は、すでに述べたようにロシアの強大化を防ぐためにやるべき戦争であったし、イギリスと組んだのもよかった。イギリスは負ける戦争はやらないし、負ける相手とも決して組まない。すごい国である。伯父の恨みを忘れて戦上手のイギリスと組んだときは成功している。たとえばアヘン戦争、アロー戦争(アロー号事件)と言えば、イギリスの清国への侵略の代表例として思い浮かぶが、じつはアロー戦争についてはナポレオン3世の決断で参戦しイギリスと共に戦い、多大な利権を獲得しているのだ。
また、同じ戦争でも「弱い者イジメ」なら問題無い。アフリカでは現地の抵抗勢力を弾圧してアルジェリアの植民地化を着々と進めたし、アジアではフランス語で「インドシナ」と呼ばれたインド亜大陸と支那(中国)大陸に挟まれていた半島への侵略および植民地化を粛々と進めた。具体的にはベトナム、ラオス、カンボジアの3か国に対するもので、インドシナ半島自体にはタイとビルマ(ミャンマー)両国の一部も含まれる。
ちなみに「支那」という言葉の由来だが、まずヨーロッパ側がラテン語などで中国を、最初に大陸統一をした秦にちなんでChina(ラテン語発音ではチナ)と呼ぶようになり、その後フランス語ではシナ、英語ではチャイナと呼ぶようになった。それに対して中国側でも「彼らは、わが国をそう呼んでいる」と「当て字」をしたのが「支那」である。中国人自らそうしたのだから、「邪馬台国」や「蒙古」のような悪意(同音の字はいくらもあるのに、わざわざ「邪」や「蒙」のような悪い字を選んだ)は込められていない。つまり、差別語では無い。だからいまでも、中国大陸の南にある海を「南シナ海」という。こうしたことでもデタラメをふりまくインチキ歴史家が絶えないので、これまで何度も説明してきたことだがあえて申し添えておく。
さて、ナポレオン3世は戦争下手という欠点を補うため、戦うときはイギリスと同盟し、あるいは軍備が格段に違うアジア、アフリカの諸国相手の「弱い者イジメ」の戦いだった。それだけにしておけばよかったのだが、どうしてもコンプレックスに引きずられてしまったのだろう。それらとは違う戦争を始めて大失敗した。メキシコ出兵である。
メキシコの隣国のアメリカ合衆国は、最初は大西洋側の東半分いわゆる「東海岸」だけだった。ボストンやニューヨークがある側だ。それに対して、サンフランシスコやロサンゼルスというスペイン語の地名の都市は文字どおり最初はスペインの植民地であり、後にそこから独立したメキシコの領土だった。だが太平洋岸つまり「西海岸」への進出を目論むアメリカは、メキシコに戦争を仕掛けカリフォルニアやニューメキシコを奪った。米墨戦争(1846~48)である。
アメリカは先にメキシコから攻撃を受けたと主張したがその明確な証拠は無く、当時若手の下院議員だったアブラハム・リンカーンは「確証が無い限り戦争を始めるべきでは無い」と演説したが、国民の反発を買って政界から一時身を引いた。帝国主義はアメリカにも蔓延していたのだ。その後リンカーンは、しばらく弁護士として活動する。
一方、メキシコはアメリカとの戦争で国土の半分をアメリカに取られたうえに、政情が安定していなかった。その後、アメリカも黒人奴隷制度を続けるか否かで南部と北部が分裂し内乱になった。そのきっかけは、奴隷制度に否定的な「人権派」リンカーンが大統領に当選したため、奴隷制度維持をもくろむ南部の複数の州が合衆国から独立しようと反乱を起こしたことだ。いわゆる南北戦争である。
ここで、どうしても戦争の輝かしい勝利者となってフランスの国威と自己の権威を高めようと考えていたナポレオン3世の野望に火がついた。アメリカが内戦で介入できないうちに弱体化したメキシコを乗っ取る、という計画を立てたのである。決して荒唐無稽な計画では無い。まず、イギリスとスペインを仲間に引き入れた。イギリスはアメリカの、スペインはメキシコの独立によってアメリカ大陸に持っていた広大な植民地を失った国であることに注目願いたい。