ナポレオン3世の計画は、弱体化したメキシコに仏英西の3か国軍で出兵して首都メキシコシティを占領した後、オーストリア皇帝フランツ=ヨゼフ1世の弟でハプスブルク家のマクシミリアン(フルネームはフェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ・マリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンだが、あまりに長いのでここは「マクシミリアン」と表記する)をメキシコ皇帝に据えてメキシコ帝国を建国する、というものだった。メキシコはかつてスペインの植民地だったから、スペイン国王の家臣だった「王党派」がいる。彼らは少数ではあるが統治のノウハウを持っているエリートで、帝政には使える人材だ。
しかし、誤算が続いた。まずイギリス、次いでスペインが撤兵した。現地の独立派の抵抗が予想より激しかったからだ。おそらくイギリスは、これでは軍事的に制圧できても統治は難しいと読んだのではないか。結果的にその読みは当たっていたのだが、ナポレオン3世は手を引かず一八六三年にフランス軍は首都を占領し、翌年マクシミリアンを皇帝に推戴してメキシコ帝国の建国を宣言した。
ここまではよかったが、先住民族出身のベニート・フアレス・メキシコ合衆国大統領はこの建国を認めず、徹底抗戦の方針を取った。ナポレオン3世のさらなる誤算は、アメリカ南北戦争が長引かず思いのほか早く終結したことだ。政権を固めたリンカーン大統領は、民主主義擁護の立場からフアレス政権を物質的に援助した。それもあってフランス軍は最終的に敗北し、マクシミリアンはメキシコ合衆国によって処刑されてしまった。
惨憺たる敗北である。ナポレオン3世はあせった。この失地回復をなんとかせねばと考えたとき、彼は不覚にも罠に嵌まった。その絶妙な罠を仕掛けてきた男の名は、オットー・フォン・ビスマルクという。
(第1359号へ続く)
※週刊ポスト2022年11月4日号