もっと上昇志向があっていい
そう話していた金田氏の“愛弟子”として知られるのが、ヒジを故障からトミー・ジョン手術で復活した村田兆治氏。ケガから復帰した1985年シーズンは「サンデー兆治」として中6日で投げ、開幕から11連勝した。その姿はファンに鮮烈な印象を残し、復活後59勝して名球会入りを果たした(プロ通算215勝)。今年11月に突然の訃報となったが、生前は本誌の取材に先発・完投についてこう話していた。
「今の時代は分業化されてしまっているが、投手なら先発・完投を目指してもらいたいものです。ボクは1976年に257イニングを投げた。多く投げれば勝ち星(21勝)も増えてくるが、なによりファンを魅了していく野球ができる。今はそれをやれる投手が少ない。
先発完投という任された仕事をやることは生きがいでしたが、ボクにも中継ぎや抑えとして登板したシーズンがある。最多勝(1981年)と最多セーブ(1975年)の両タイトルを取ったことがある。だからどっちの気持ちもわかるが、先発をやりたいという思いがあったので、中継ぎしか任されない頃も先発と同じような走り込みをして体を鍛えた。それでも打たれたりすれば、中継ぎで甘んじるしかない。
昔は精神論だけでなく、打たれたら相手を研究し、打たれないように努力をしたものです。今は相手の分析もスコアラーが様々な資料を提出してくれるし、映像もある。情報化社会というなかで、それを生かしきれていないのが情けない。狙ったコースに投げ、速い球を投げるために下半身を鍛えるといったふうに、なぜ自分の欠点を補っていかないのか不思議だ。
今のプロ野球には上を目指して投げていない“もったいない投手”が何人もいる。先発完投を目指すという上昇志向を失わず、与えられた責任を果たす。選手が意欲を持ってやると、お客さんは感動する。そういった選手が結果的に袖を通すことになるのが、名球会のブレザーなんじゃないかな」
今回の特例を見て、天国のレジェンド2人はどんな話をしているだろうか。