金田正一氏が語っていた「記録より記憶」
ただ、条件の緩和が続くことについては様々な意見がありそうだ。別の名球会メンバーはこんな言い方をする。
「藤川は(250セーブまで)5セーブ足りないので、(勝利数やホールド数といった)別の記録をセーブに“換算”して入会規定に相当するという話になったが、そうなると歴史を振り返った時に矛盾みたいなものも出てくる。通算197勝の記録を持つ長谷川良平さん(元広島)は、現役当時(1950~1963年)にセーブ制度(1974年新設)がなかったので0セーブ扱い。入団7年目でセーブ制度ができた松岡弘さん(元ヤクルト)は191勝を挙げてセーブも41ある。松岡さんは入れるけど、長谷川さんは入れないのかという議論にもなる。
2000本安打もそうだが、現役最後の力を振り絞って200勝に到達した投手も多く、名球会はプロ野球選手の目標となってきた。上原の記録は“珍記録”と評すメンバーもいたが、どうせなら200勝の基準を180勝に下げたほうがすっきりしたのではないか」
前人未踏のプロ通算400勝を達成し、長嶋茂雄氏、王貞治氏と3人で名球会を立ち上げた初代会長の金田正一氏や「人生先発完投」を座右の銘にしてきた村田兆治氏が生きていたらなんと言っただろうか──。かつて金田正一氏は本誌・週刊ポストの取材にこんな話をしていた。
「これだけ現役を長く続ける選手が出てくるとは想像もしなかった。分業制が定着したなかでの投手の200勝はまだしも、もはや2000本安打が名選手と呼ぶに相応しい記録とは言えない。2000本安打は細く長く現役を続けておれば、達成できる数字になってしまった。名球会として2000本、200勝という目標を作ってしまったばかりに、それに向けてボロボロになってもプロにしがみつこうとする選手を生み出してしまった。後悔している。
基準を作ったワシが言うのもなんだが、記録より記憶に残る選手になってもらいたいと思う。たとえば野茂英雄。日米通算で201勝だが、野球に対する姿勢、姿は素晴らしい。自己管理の行き届いた選手生活は尊敬に値する。アンダースローで284勝を挙げた山田(久志)は、記録も素晴らしいが記憶に残る選手でもある。やはり人々を感動させ、野球に対して真摯に向き合うことが何より大事。だから200勝という記録だけにこだわって、現役にしがみついて達成しようとする選手は記憶には残らない」
記憶に残る選手とはどのような選手か。金田氏はこうも話していた。
「結局、数字を残そうが、残すまいが、記憶に残る選手を目指さないといけない。ハンカチ王子(斎藤佑樹)も、プロでは活躍できないが、記憶に残る選手のひとりだ。江川(卓)も200勝できなかったが、ファンの記憶に残った。逆に菅野(智之)は今のままでは記憶に残る選手にはなれない。人の手助けなしで投げ切るようなたくましい選手でなければ、このような分業制の中では記憶には残らないということじゃ。
250セーブを名球会の入会条件に付け加えたが、長嶋が大反対していた。時代に合った数字ということで認めたが、やはり長嶋の考えが正しかった。佐々木(主浩)のように日米で活躍することで記憶に残る選手もいるが、やはり先発・完投が投手としての勲章じゃ」