【7】晩年の家康が頼った阿茶局の「政治力」
安部氏が「家康の後半生で最も重要な女性だった」と指摘するのが、阿茶局だ。
「家康の側室には政治顧問、外交顧問のような働きをした人もいて、その代表が阿茶局です」 甲斐武田の家臣の家に生まれた阿茶局が側室となったのは天正7年(1579年)。家康37歳、阿茶局25歳のときだった。
阿茶局は一度結婚して2人の子供を産んだが、夫と死別していた。非常に才覚ある人物と評され、何度も戦場で家康のお伴をした。交渉能力にも長け、大坂の陣のきっかけとなった「方広寺鐘銘事件」で弁明に訪れた豊臣方の家臣と対面し、大坂冬の陣では徳川方に有利な講和をまとめた。於愛の方が亡くなった後は、秀忠の養母も務めている。
75歳まで生きた家康の没後も、阿茶局は21年間生き続けて政治の世界に関わった。家康の遺志だったとされる。
※年齢はすべて数え年で表記
【プロフィール】
安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)/1955年生まれ、福岡県出身。『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、『等伯』で直木賞受賞。代表作に『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『家康』など。新刊『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』(小学館刊)が好評発売中
取材・文/鈴木洋史
※週刊ポスト2023年2月10・17日号