──芸以上にギャラ飲みに執念を感じますが、現在の収入のなかで、ギャラ飲みの割合はどれくらいですか?
ギャラ飲みが7~8割かな。もちろん、舞台や営業もちょこちょこと入ってくるけど、あとはパチスロ。規制の影響で、昔と比べれば大きくは稼げなくなった。それでも、マイナスになることはない。『ザ・ノンフィクション』で「年間で100万円ぐらいプラス出してる」って言ったら、「あの打ち方でプラスになるわけがない」とネットで叩かれたけど、実際プラスになってるから。亡くなったカンニングの中島(忠幸)さんから教わった打ち方でね。あの人は、ジャグラー(パチスロの機種)で200万円ぐらいの借金返してるから。
──芸ではなく、打ち方を伝授されたんですね。パチスロは週に何回くらい行くんですか?
暇なときは、週に13回。1日2軒回ったりするから。ルーティン的に言うと、だいたい昼過ぎに起きて、自販機の缶コーヒー飲んで飯食ったら、ネットでパチンコ屋のイベントをチェック。もちろん、仕事やギャラ飲みが入っていたら行かないけど、なければ今住んでる草加を中心に、越谷、竹ノ塚、八潮、川口辺りまで自転車こいで行くよ。
──ギャラ飲みとパチスロで生きていけるんですね。
パチスロは命と生活をかけて打ってるよ。以前は1日中ずっと打ったりもしたけど、今は2万円ぐらい出たら、「今日の日当は出た」ってことで終了。そのまま自転車こいでサウナ行って、汗を流す。ルーティンのなかにネタ作りの時間は……まぁ、入ってこないね。そりゃ売れないよ、絶対。努力のカケラもないもん!
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小堀さんを支えているのは、ギャラ飲みとギャンブルのまさかの二刀流。さすがに生活がかかっているというパチスロも、以前は「遊び」として楽しんでいたのだとか。当時は、人気のお笑い番組にも出演し、金銭的な余裕もあった。パチスロを真剣に打つようになったのは、仕事が激減し困窮を極めたときから。いわく、人生最大のピンチに追い込まれた「第2期貧困時代」の大きなきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災だったと小堀さんは振り返る──。