「ただひとつ言えるとしたら、朝日新聞の記者として生きた日々は僕の誇りです」

「ただひとつ言えるとしたら、朝日新聞の記者として生きた日々は僕の誇りです」

初めて同じ歩幅で

 日常をなんとか取り戻すまでに3か月余かかりました。そんな僕たちを試練が襲いました。

 2020年1月、妻・俊美が激しいめまいを起こして救急搬送されます。よろよろする妻に手を貸して一歩ずつ歩きました。これ以上、俊美には負担をかけられない──そう心から思いました。

〈取材に同席した俊美さんはこの日のことをよく覚えていた。「自分も不自由なのに、杖をついて右手でそっと背中を支えて歩いてくれたんです。その手がとても温かった。初めて同じ歩幅で歩けた気がしました」〉

 この頃にはコロナ禍も始まり、テレワークで「素粒子」を書く毎日でした。

 2021年1月、人生の大きな転機が訪れます。アメリカの議会議事堂をトランプ前大統領の支持者が襲撃したのです。民主主義の根幹が揺らぐ大事件でしたが、当日の「素粒子」は用意していた原稿を掲載。翌日に1日遅れで書きました。記者として致命的な判断ミスです。

「素粒子」は伝統あるコラムで書き手には大きな責任がある。自分はこの責務を全うできる判断力を失ったのかもしれない。

 熟考の末、会社の希望退職に応じました。当時僕は60歳。定年まで残り5年、大好きな記者を辞めるのはつらいことですが、パーキンソン病と診断されて間もなく5年。薬の効果が出やすい発症後3~5年の「ハネムーン期」が終わりつつありました。なにより僕が仕事を続けることで、妻がさらに苦労することは避けたかった。2021年5月31日付で会社を去りました。

 最後の「素粒子」は希望を込めて書きました。

《コロナ下、2年目のGW。帰省や行楽はままならぬが、心に風を、光を。少しでも》

 今は朝5時に起きて朝食を取り、歩行器を使って散歩に出かけ、身近な野鳥の写真を撮る日々。「心と体のリハビリ」です。昼食後は昼寝やストレッチをして、夕食を食べて夜10時過ぎに就寝。薬は1日5回飲んでいます。

 体調は山あり谷あり。尿失禁して大人用おむつを着用したこともあります。幸いにも今は山の状態で、このまま体調が許せば今夏は妻や長男夫婦とクルーズ船で九州・韓国を巡る予定です。

 退社後は通信教育会社の企業向け小論文添削指導のアルバイトを始めました。書くことが好きだし、「心のリハビリ」も兼ねて。今も毎日パソコンに向かいます。

 記者生活は37年、うち13年半を論説委員として過ごしました。真実は空から降ってくるわけではない。ジャーナリストなら時に体を顧みずに突き進むこともあるでしょう。しかし、健康であってこそできる仕事でもある。ジャーナリズムと心身、その天秤がどうあるべきか、答えはまだ見つかりません。

 ただひとつ言えるとしたら、朝日新聞の記者として生きた日々は僕の誇りです。

【プロフィール】
恵村順一郎(えむら・じゅんいちろう)/ジャーナリスト、元朝日新聞論説副主幹。1961年大阪府生まれ。1984年に朝日新聞社に入社し、政治部次長を経て2013年4月から2年間、『報道ステーション』(テレビ朝日系)でコメンテーターを務めた。2015年7月に論説副主幹になり、2018~2021年まで夕刊一面コラム『素粒子』を担当。『朝日新聞Reライフ.net』で闘病生活について寄稿している。
(https://www.asahi.com/relife/series/11034493)

※週刊ポスト2023年6月9・16日号

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