そのせいかどうか、夢にも出てこないわ。だけどこの世から完全に消えたかというとそんなことはなくて、生前の声が耳の奥から聞こえたりして、要するにまだ私の中にいるんだよね。
だけど、弟は59才という若さで亡くなったせいか、その最期を思うとかわいそうでたまらなくなる。
自分でも意外だったのは、血縁関係のない義父の死だ。生前はちょっとしたことで怒鳴り声をあげる性格を憎んで軽蔑していたけど、時間が経つにつれて、「まぁ、あれでもいいところはあったなぁ」とほっこりした気持ちになって懐かしく思い出したりしてね。
つまり、みんな死んでも生前の声が大きくなったり小さくなったりして私の中にいるんだよね。
その点、タチが悪いのは飼い猫だ。亡くなって4年経ったいまも、死を封印したままで、思い出すと胸が痛くてたまらなくなる。
一周忌をまだ迎えていない親友はもっとダメ。ふとしたときに「いま、どうしているかな」と思い、次の瞬間、どこにもいないことに唖然。その繰り返しから抜けられないのよ。
そこでね、ひとり暮らしのわが家に小さな祭壇を作ろうかなと思いついたのよ。
母親の介護で実家で寝起きしていたときにお願いしていたヘルパーさんが、仏壇の花や団子を自費で買ってきて飾ってくれていたのよ。毎日、線香をたき、お水を替えることを、身をもって教えてくれたんだわ。
わが家は気が向いたらというスタンスだったから気づかなかったけど、実際にやってみたら、仏壇の中の死者と毎日、短い時間でも向き合うと、こんなに気持ちが落ち着くのかと思ったの。
これといった信仰を持っていないから、棚の一角に水と小花でいいかしら。で、小さなスペースを作りながら、「どうだ、母ちゃん」と心の中の母に聞いたら、「よがっぺ」という声が聞こえたようよ。
お盆は故人の霊が家に帰ってくるという。さぁ、誰でもいいから、うちにおいでよ。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2023年7月27日号