「副社長(宏一氏)が経営に入ってから明らかに変わりました。私もそうですが、あのころ大勢辞めたと思います」
彼自身の話として、今回の不正に関しては「なかったとは言わない」とのこと。また各地のビッグモーター店舗前の街路樹が謎の枯れ方をした件については「わからない」とのことだった。大きな会社なので営業と整備、そして板金とで知っていること、知らないことの差も大きいのでは、とのこと。筆者のもとには多数の元社員のタレコミが届くが、いったいどれだけの現場が関与したのか、闇が深すぎる。
「いま残っている社員も大変だと思う。しばらくは『元ビッグモーター』の整備士なんて人手不足でも雇わないかもしれない。私も冗談まじりにいまの会社で『お前、もしかしてやってた?』と言われることがある。自分も履歴書にこれからも『ビッグモーター』という社名が残ることは不安でならないし、消し去りたいくらいだ」
かつて重大な社会問題となり消滅した事業者金融(商工ローン)の元社員は「履歴書に入れ墨」と自嘲していた。そして小さな金融屋に勤めていた。「まともなところは無理」とも語っていた。それと同様のことが、ビッグモーターの社員の今後に待ち受けるかもしれない。
冒頭の教師は元教え子たちだけでなく、現場すべてに心を痛めているとしてこう語る。
「お客だけでなく社員のためにも、現場のためにもオーナーとして責任は負うべきです」
1997年、山一證券の自主廃業が決まった会見で当時の社長、野澤正平氏は「(経営陣の)私らが悪いんであって、社員は悪くありません。どうか社員のみなさんを応援してやってください、お願いします。善良で、能力のある、本当に私と一緒になってやろうと誓った社員のみんな、申し訳なく思っています」(当時の会見より抄出)と頭を下げた。
この社長の会見のおかげで元山一の証券マンの多くが再就職に支障をきたさなかったとされる。申し訳ないが、先の宏行氏の会見とは対照的なように思う。
車を愛していたはずの現場がなぜこのようなことを繰り返したのか、社員は「一緒になってやろうと誓った」人々のはずなのに、ビッグモーターの経営計画書には「生殺与奪」とあった。顧客に対しての裏切りだけでなく、現場の社員はもちろん、新卒や転職で送り出した学校や家族に対する裏切りもまた、ビッグモーターの「罪」である。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。