まずロシア帝国が総動員令を発し、参戦の体制を整えた。この背景には、同じキリスト教徒ではあるが西欧系のゲルマン民族と、東欧系のスラブ民族の対立があったからだ。とくにロシアは多少の教えは違っても同じ東方教会系のキリスト教徒であるスラブ民族が大同団結して国家を作ればよいと考えていた。これを汎スラブ主義と言い、現在のロシア共和国のウラジーミル・プーチン大統領にもその意識が濃厚にあるが、その支持者から見れば大セルビア主義はその第一歩である。ゆえにロシア帝国はセルビアが潰されないように応援しなければならないと考えていた。だからこそ戦時体制へ移行したのである。
一方、支配階級はドイツ語を話しゲルマン民族優位のオーストリア=ハンガリー帝国やドイツ帝国にとっては、これ以上汎スラブ主義の「蔓延」を放置するわけにはいかない。ドイツはオーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国を打倒することを支持した。最良の結果は、セルビア王国がこの世から消滅しオーストリア=ハンガリー帝国の領土となることである。
もちろんロシアはそんなことになれば汎スラブ主義が決定的な打撃を受け、クリミアなど西欧側の不凍港支配をめざした自らの南下政策にも悪影響が出る。そこで七月三十日に参戦を前提に総動員令を出し、これに対しドイツが八月一日、ロシアに対して宣戦布告をした。
ところが、この戦争はオーストリア=ハンガリーおよびドイツと、セルビアおよびロシアの戦いだけに終らなかった。日本もイギリスと日英同盟を結んでいたように、各国は他の列強と軍事同盟を結んでいたからである。
(第1389回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2023年8月11日号