「ハイヒールが履けなくなったから」
多くの人の心を動かした金子さんが歌手活動をはじめたのは1960年頃。劇団の研究生を経て、ホテルのサロンなどで歌い、シャンソンの全盛期に銀巴里のステージに立った。「静かに、ひっそりと歌っていければそれで充分」と語っていたが、1973年のデビューアルバム『初めまして』や2作目の『めぐり逢い』が谷村や永六輔さんに絶賛され、シャンソンの愛好家だけでなく、文化人やアーティストのファンが急増した。残間さんが続ける。
「後で知ったことですが、おそらく百恵さんはいまの旦那さんに恋をしていた時期だったと思うんです。スターの恋愛がタブーとされていた時代に、悲恋の歌が多いシャンソンが彼女の心象風景と重なったのかもしれません。私の勝手な想像ですけど、そういう思いの中で百恵さんは金子さんの歌を聴いていたんじゃないでしょうか」
百恵さんは当時、金子さんのコンサートのパンフレットにこうコメントを寄せた。
《聴き終わって涙が止まらなかった春のリサイタル、とても感動的なステージでした。あの日、流した涙は、私の“歌の人生”のスタートラインのような気がしています》
百恵さんが三浦友和(71才)との交際を公表したのは1979年10月。大阪厚生年金会館のコンサートで「私が好きな人は三浦友和さんです」と宣言し、三浦も記者会見で「結婚を前提にしてつきあっています」と堂々と語った。翌1980年3月に百恵さんは、三浦との婚約と芸能界引退を発表。同年、自らの半生を綴った自叙伝『蒼い時』を上梓したが、同書の出版を手がけたのも残間さんだった。
「“芸能界での7年半を形にしたいが、本を作るなら聞き書きではなく自分で書きたい。ついては手伝ってもらえないでしょうか”という手紙をもらったのです。見覚えのある青いインクで書かれた文字でした。
百恵さんは市井の人として静かに暮らしているので、これまで『蒼い時』の話は極力封印してきましたが、クミコさんが私の“心の歌”というべき金子さんの『時は過ぎてゆく』をレコーディングすると知り、推薦文にも当時の思い出を書かせていただきました」(残間さん)