山口百恵一覧

【山口百恵】に関するニュースを集めたページです。

6月はジューンブライド 昭和、平成、令和のビッグカップルの結婚式
6月はジューンブライド 昭和、平成、令和のビッグカップルの結婚式
 6月に入り、ジューンブライドを逃すまいと結婚式を挙げるかたも多いのではないでしょうか。過去を振り返ってみると芸能界でも豪華絢爛で盛大な結婚式が開かれてきました。『女性セブン』が過去におさめてきた歴史に残る結婚式の数々を懐かしみながら、幸せを分けてもらいましょう。●神田正輝(71) 松田聖子(60)1985年 郷ひろみと婚約寸前で破局となった彼女が選んだのは11才年上の共演俳優。郷との破局から5か月での結婚は、“聖輝の結婚”と騒がれた。●三浦友和(70) 山口百恵(63)1980年「この人の妻と呼ばれることに喜びと誇りを感じます」と潔く引退を決意した百恵さん。“ゴールデンコンビ”と呼ばれたふたりの結婚を日本中が祝福。●故・内田裕也さん(享年79) 故・樹木希林さん(享年75)1973年 当時、悠木千帆の名前で活動していた彼女は、結婚後に改名して「樹木希林」という名前に。ペアルックで臨んだ仏前挙式では手には数珠を提げて臨んだ。●故・朝丘雪路さん(享年82) 故・津川雅彦さん(享年78)1973年 不倫の恋と呼ばれたふたりは、何度も結婚の噂が出るたびに、否定をしてきたが結婚。晩年は、朝丘が2018年に亡くなると、その4か月後に津川も後を追うようにこの世を去った。●吉永小百合(77) 岡田太郎さん 1973年 人気絶頂の吉永が15才年上のフジテレビディレクター(当時)と入籍したことでサユリストの間では騒動に。この結婚に関して彼女の両親は頑なに結婚を認めなかった。●桑田佳祐(66) 原由子(65)1982年 大学時代からの音楽仲間とプロになりそのまま結婚。ファン2000人を招待するという異例の式となり、会場は関係者を含めて2300人でごったがえした。●布袋寅泰(60) 今井美樹(59)1999年 ハワイで挙式後、東京・青山のウエディング会場で披露宴。「これからもよろしく!と笑顔で申し上げる次第でございます」とコメント。●五木ひろし(74) 和由布子(63)1989年 昭和天皇のご病気で延期したが、7か月後無事に挙式。着物モデルの仕事で知り合い、7年後の再会で恋に落ちた。●小室哲哉(63) KEIKO(49)2002年 招待客は700人、ウエディングケーキは2m、総額5億円のド派手式は小室にとっては再々婚。テレビ中継され、視聴率は15.5%を記録した。●郷ひろみ(66) 大根田名美さん 2000年「23時間55分は郷ひろみだけど、5分間は原武裕美」、「原武裕美は結婚しても、郷ひろみは結婚しない」との名言を残し、ニューヨークのアルマーニブティックの店員だった彼女と結婚。●小栗旬(39) 山田優(37)2012年 ドラマの共演をきっかけに急接近したふたり、結婚報告会見で山田が、何卒を“なにそつ”と読み間違えたことが話題となった。そして、今年結婚10周年を迎えた。●リン・チーリン(47) EXILE AKIRA(40)2019年 台湾の国民的女優との結婚は、現地では“格差婚”として報道された。彼女は、今年1月31日47才で第1子を出産し、ママの顔も持つこととなった。●DAIGO(44) 北川景子(35)2016年 北川が“1”が好きという理由で1月11日11時11分に入籍。結婚発表会見ではプロポーズの言葉について「“KSK”。(K=)結婚(S=)して(K=)ください」とDAI語だったことが明かされた。●杏(36) 東出昌大(34)2015年 NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』での共演をきっかけに結婚したが、東出の“匂わせ不倫”が発覚し離婚。代償の大きすぎる不倫として話題となった。●ソン・イェジン(40) ヒョンビン(39)2022年 大ヒットドラマ『愛の不時着』で恋人役を演じた後は、何度も交際報道を否定してきたふたりだが、2月に電撃結婚。世界中から祝福の声が寄せられた。●藤原紀香(50) 片岡愛之助(50)2016年 世界遺産の京都・上賀茂神社で挙式。出会いのきっかけは、藤原が主演していたミュージカルを片岡が見に行ったことから交際に発展した。写真/女性セブン写真部※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.04 16:00
女性セブン
百恵さんも愛した老舗和菓子店 消滅危機から一転、復活で三浦祐太朗も安堵
百恵さんも愛した老舗和菓子店 消滅危機から一転、復活で三浦祐太朗も安堵
《誠に勝手ながら、弊社は本日5月16日をもちまして廃業させていただくこととなりました》。70年以上にわたり、東京都西部を中心に親しまれてきた老舗の和菓子店『紀の国屋』が、昨今の和菓子離れ、コロナ禍での需要の低迷などで廃業した。いわゆるローカルニュースのはずだが、思わぬ形で全国的な話題となっている。 火付け役は、シンガーソングライターの三浦祐太朗(38才)。言わずと知れた昭和の伝説的歌手・三浦百恵さん(63才)と三浦友和(70才)の長男だ。『紀の国屋』が廃業を発表した日に、すぐにツイッターで反応した。《あまりに突然でショック もういちど、おこじゅ食べたかった…》「おこじゅ」とは『紀の国屋』の名物であるどら焼きのことだ。翌17日には閉店の事実を確かめるため、実家のある東京・国立市の店舗に行ったという。そして、《三浦家のソウルフードでした》と投稿し、“別れ”を惜しんだ。ある芸能関係者はこう語る。「国立は三浦家の“地元”です。最寄りの谷保駅前店は、42年前に三浦家に嫁いだときから百恵さんが通い続けたなじみの店。店内には3年前にバラエティー番組で、祐太朗さんがロケ撮影をしたときの写真が飾られていました」 その放送直後に『女性セブン』記者が同店を訪れた際、偶然買い物に来ていた百恵さんが、その写真を眺めながらほほえんでいる姿を見かけている。友和や次男で俳優の三浦貴大(36才)も、撮影現場の差し入れに愛用してきたようだ。まさに、三浦家の思い出が詰まった和菓子だった。「友和さんは大の甘党で好物はあんこ。こだわりが強くて、こしあんではなく、つぶあんじゃないとダメなんですって。最近も、同じ甘党の舘ひろしさん(72才)から、1980年代のドラマ『西部警察』の現場で、友和さんとアイス『あずきバー』をめぐってけんかした思い出話を明かされていました。『紀の国屋』は、そんな友和さん御用達のお店でした」(前出・芸能関係者) 思い出の味がなくなるのはつらいが、“ホワイトナイト”の登場は意外にも早かった。スイーツのインターネット販売事業社『アイ・スイーツ』が5月26日、『紀の国屋』の元従業員20名を雇用して、『匠紀の国屋』の屋号で和菓子事業を始めることを発表したのだ。 演歌歌手の北島三郎(85才)や、元SPEEDで参議院議員の今井絵理子氏(38才)らも常連で、多くの地元住民に愛された名店だけに“復活”の喜びもひとしおだろう。同社の稲垣富之代表に経緯を聞いた。「紀の国屋さんとは以前からつきあいがあり、一部だけでも社員のかたを救ってあげたかった。商標権の問題や名物の『相国最中』の金型が倒産で差し押さえられたため、まったく同じ形状では作れませんが、伝統の味に近づけられるよう努力しています」──三浦家が通った谷保駅前店は?「テナント料が高いので、すぐにとはいきませんが、いずれは再開したいです。三浦家にはよくしていただいていたと聞きます。友和さんは気さくに話してくれて紳士的。店員もみんな大ファンでした。いつも決まっておこじゅを購入していたとか。ただ、引退前の姿しか知らない百恵さんのことは、誰も気づいていなかったそうです。おこじゅは同じ味を再現できるので、期待に添えてみせます」 祐太朗は早速、《たとえ名前や形が変わったとしても、また食べられるという希望が持てただけで嬉しいです》とツイッターに投稿。三浦家に再び笑顔が戻りそうだ。※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.03 07:00
女性セブン
百恵さんと次男・貴大との関係は
百恵さん「二人の息子が受け継いだ天性の歌声」次男貴大が初披露した「衝撃の歌唱力」
 やはり偉大な遺伝子は、しっかりと受け継がれていた。 昭和の伝説的なアイドルだった三浦百恵さん(63才)と三浦友和(70才)の次男で、俳優の三浦貴大(36才)が5月24日、ライブストリーミングサービス「twich」の生配信で、ギターの弾き語りで歌声を披露した。 チャンネル名『タカミウラ』で、いつもは自宅からゲーム実況などを配信していたが、この日は序盤から「今日は昼間なのであまり見に来ないだろうってことで、ギターでも弾いちゃおっかなぁ」と切り出して、アコースティックギターを抱えると、友人だというミュージシャン川崎鷹也(27才)のラブソング『魔法の絨毯』を歌った。 視聴したある民放テレビ局関係者は「エコーをかけていましたが、透き通るような歌声が、驚くほどにきれいでした。貴大さんは『リポビタンD』のCMなど、体育会系のイメージでしたが、やっぱり百恵さんの息子さんですね。ご本人は『昼間は声出ねぇ』って照れ笑いしていましたが、視聴者からの書き込みも『最高でした』などの絶賛コメントで溢れました」と話した。「ギターを始めたのは中学3年のころなんですけど、そんなにマジメに練習していなかったからコードぐらいしか弾けないんです。僕の父と兄が弾けるので、ちょっと聞いたりして。当時は『ウルフルズ』が好きで『バンザイ』を弾きたくて始めたんです」 こんなエピソードまで明かして、のんびりと約3時間も配信した。 学生時代は、水球部・ライフセービング部。大学ではインカレで入賞するほど情熱を注いでいたが、兄でミュージシャンの三浦祐太朗(38才)とバンドを組んでいたこともあったという。ただ、2010年に俳優として芸能界デビューをしてからは、テレビやラジオでは歌を披露したことは無かった。「2017年に祐太朗さんが、百恵さんのヒット曲でカバーアルバムをリリースしたときには、やっぱり親子共々、すごいと話題になりましたが、貴大さんにもその才能は備わっていたんですね」(前出・テレビ局関係者) この日は、ほかにも優里の『かくれんぼ』、椎名林檎(43才)の『丸の内サディスティック』など何曲も披露した。弾き語りで披露された甘い歌声に驚くファンのコメントには、「たまにやってるんですよ」と返答していた。 俳優としては、順調に活動している。デビュー作の映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(2010年)で、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。その後も演技派俳優として数々の作品に出演。現在公開中で、傑作と好評価を受けている広瀬すず(23才)と松坂桃李(33才)のダブル主演映画『流浪の月』、7月公開の大作映画『キングダム2 遥かなる大地へ』などの話題作に、立て続けに出演する。 一方で、この「twich」では、YouTuberのようにゲーム実況を配信したり、お取り寄せグルメやファッションなどの雑談もしたり、さらにはカメラ撮影や料理もこなせるなど多才な素顔で知られている。このあたりも、芸能界引退後に子育ても終えて、今や著名なキルト作家として活動する百恵さん譲りなのかもしれない。「百恵さんと友和さんは、2人の息子さんに、それぞれ興味のあることを伸ばす教育をされてきたといいます。この器用さ、才能の豊かさは、お二人の遺伝子とその育て方の賜物といえるのかもしれません。いつかご兄弟でテレビの歌番組とかに出演されないかなぁ」(前出・テレビ局関係者) 三浦家の芸能DNA、恐るべしである。
2022.05.31 07:00
NEWSポストセブン
三浦百恵さんはキルトを続ける
三浦百恵さん 三浦友和とのキューピッドだった「芸能界の父」と最後の別れ
 一昨年から山口百恵の名曲がサブスクリプションサービスにより聴き放題となったのも、過去のライブ映像をテレビで見られるのも、すべては百恵さんの育ての親である彼の尽力があってこそだった。引退後も百恵さんが信頼し続けた恩師の急逝に彼女は──。 ダイナミックで美しいハワイの自然、パリのおしゃれなカフェ、海沿いでの優雅なバカンス、古代エジプトの壁画──一歩会場に足を踏み入れると、そこには世界中のさまざまな美景を表現した作品があふれていた。 5月11日から24日まで静岡駅からほど近い会場で開催されている「静岡キルトフェスティバル」。「旅と休日」をテーマに、日本のトップキルト作家の秀逸な作品を集めた本展で、会場の中でも、大きな人だかりができ、ひときわ注目を集めている作品があった。「ようこそ!」というタイトルがつけられたそのキルトの作者は、三浦百恵さん(63才)だ。 このキルトフェスでは、百恵さんのキルトの師である鷲沢玲子さんの教室の特別展示が行われており、百恵さんも数多くの弟子のなかから選ばれて作品を出展していたのだ。イベントを主催している「テレビ静岡」のホームページには、作品とともに百恵さんの近影も掲載されている。「今回出展された百恵さんの作品は、2019年に制作されたもの。新作ではないのですが、フランス出身の画家・モネの家をモチーフにした作品のため、旅のテーマに合っているということで選んだそうです。ピンクを基調にした花々のリースの周りを蝶が舞っている華やかなキルトです。モネの終の棲家となったフランス・ジヴェルニーの庭の散歩道で、モネが訪れた人を笑顔で迎えるようなイメージからこのタイトルがつけられたのだとか」(キルト専門誌編集者) 現在はキルト作家として活躍する百恵さんだが、このキルトフェスが始まる少し前、「歌手・山口百恵」をともに作り上げた人生の師を失っていた。 4月30日、前ホリプロ会長の小田信吾さんが急性心不全のため83才で亡くなった。小田さんは、1968年に大手芸能事務所のホリプロダクション(現・ホリプロ)に入社。和田アキ子(72才)や百恵さんのマネジャーを務め、同社の成長に大きく貢献し、マネジャーから社長、会長を歴任した。芸能界の重鎮といわれる人物だったが、葬儀は親族のみの密葬という形でひっそり執り行われたという。「故人の希望とご家族の意向だったそうです。混乱を避けるため、小田さんの死はしばらく伏せられており、発表されたのは葬儀が終わった後でした」(芸能関係者) しかし、親族以外にも小田さんとの最後の別れに駆けつけた人物がいた。1人が和田だ。和田は5月14日、ラジオ番組『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)で、小田さんとの関係について「10代でデビューしていままでですから。よくしてもらっていて……」と声を震わせた。「小田さんの奥様が『アッコちゃんは……』とおっしゃってくださったそうで、和田さんは、葬儀で最後のお別れができたのだとか。和田さんのショックは大きく、歴代のマネジャーらと小田さんの思い出話をしては、故人をしのんでいるそうです」(テレビ局関係者)交際、結婚も小田さんに相談 和田以外にも、最後のお別れに向かった人物がいる。それが、三浦友和(70才)夫妻だった。「小田さんの百恵さんへの思い入れは本当に強かった。暗く、笑わなかった彼女をあそこまで伝説のアイドルにしたのは、小田さんの愛があってこそです。 また彼は、ホリプロの前は友和さんの所属事務所にいたのです。友和さんと百恵さんの交際のきっかけになったとされる1974年公開の映画『伊豆の踊子』では、友和さんの事務所社長や小田さんが“百・友共演”をお膳立てしたのではないかという噂もあったほどです。そういった意味では、小田さんは三浦夫妻のキューピッド的存在でもあるんです」(別のテレビ局関係者) その小田さんがデビュー当初から才能を見抜き、手塩にかけて国民的スターに育て上げたのが百恵さんで、2人は深い信頼で結ばれていたという。『山口百恵 赤と青とイミテイション・ゴールドと』などの著書がある評論家の中川右介さんが語る。「1978年頃、百恵さんが事務所から独立するのではないかという話があったんです。そのときに相談に乗ったのも小田さんです。小田さんも一緒にホリプロをやめて独立するという噂すらありました。音楽性を追求していた百恵さんは、沢田研二さんのように自分専用のバンドを持つことを願っていました。ですが、なかなか周囲には取り合ってもらえませんでした。そんな彼女の気持ちを受け止め、説得し、独立を止めたのが小田さんでした」 百恵さんが最初に交際や結婚の相談をしたのも、やはり小田さんだったという。「1979年春の時点で、百恵さんは友和さんとの結婚の意思を固めていたのですが、まず小田さんに相談していたそうです」(前出・中川さん) 1980年に結婚、人気絶頂で引退した後も、小田さんと百恵さんは連絡を取り続けていた。「楽曲の配信を行ったり、過去のコンサートなどをテレビで放送する際には百恵さんの使用許可が必要なのですが、百恵さん側の窓口になっていたのが小田さんでした。百恵さんの強い信頼がうかがえます。小田さんは彼女の現役時代のことも、引退後の生活についても決して口外しなかった。とにかく口が固く約束を守ってくれる人だったんでしょう。引退後も変わらず、百恵さんに直接連絡できた人は小田さんくらいでしょう」(前出・芸能関係者) 当初、小田さんの弔問には、友和のみが駆けつける予定だった。しかし、百恵さんは「芸能界の父」ともいえる小田さんの急逝を耳にし、いてもたってもいられなくなったという。「父親のように慕っていた彼女のことだから、友和さんに付き添ったのでしょう。5月末に都内のホテルで小田さんのお別れ会が開催されると聞いています。彼を慕う多くのタレントさんが参列すると思いますが、百恵さんは、気遣って欠席されるのではないでしょうか。その代わり、人目につかないところでこれまでの感謝を込めて最後のお別れをしたのではないでしょうか」(前出・テレビ局関係者) 百恵さんの引退後は、プライベートな話題には踏み込まないようにしていたという小田さんだが、3月に三浦夫妻の長男・三浦祐太朗(38才)に第1子が誕生し、百恵さんに初孫ができたことは、親族のように喜んでいたという。 ここ数年は、1年に1枚のペースで新作キルトを作り上げているという百恵さん。恩人への感謝の気持ちを胸に、今日も一針一針、縫い続けていることだろう。※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.21 07:00
女性セブン
百恵さん「初孫誕生」で長男と歓喜 一方の次男は俳優として心配の声、最近は「ゲーム実況」も
百恵さん「初孫誕生」で長男と歓喜 一方の次男は俳優として心配の声、最近は「ゲーム実況」も
 3月21日、三浦友和(70才)と百恵さん(63才)に待望の初孫が誕生した。長男である三浦祐太朗(37才)の妻で声優の牧野由依(36才)が、インスタグラムで第1子となる女児の出産を報告すると、続いて祐太朗がコロナ禍での過酷な出産だったことを明かし、大きな話題となった。「祐太朗さんは自身のインスタグラムで、“コロナ禍で残念ながら立会い、面会は叶いませんでしたが、妻も娘も命懸けで頑張ってくれました。我が子の誕生にただただ感動しております”と喜びの言葉を綴りました。今はコロナの影響で、出産はお母さんが1人で挑むことが多いようです。祐太朗さんのコメントから、牧野さんが初産の不安と闘いながら、孤独の出産に挑んでいたことが伝わってきます」(芸能関係者) 祐太朗は第1子の誕生とともに、シンガーソングライターとしても節目を迎えている。3月9日にはカバーアルバム『90’s Drip- J-POP COVER ALBUM -』を発売し、13日からソロデビュー10周年のツアー「AND YOU」がスタート。さらなる活躍が期待されている。 長男に私生活や音楽家としての注目が集まる一方で、次男の俳優・三浦貴大(36才)は、ここのところ大人しい印象だ。 貴大は2010年に『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』でデビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。控えめながら丁寧な演技が評価され、次々とオファーが舞い込んだ。その後、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞した『わが母の記』(2012年)や、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『永遠の0』(2013年)など立て続けに話題作に出演してきた。「今年も、2019年に大ヒットした映画『キングダム』の続編『キングダム2 遥かなる大地へ』(2022年夏公開)への出演が決定しています。多くの監督さんから評価される演技派俳優なのですが、主役を演じることが少なく、“当たり役”と呼べるものもありません。名バイプレイヤーといったほうがいいかもしれませんね」(映画制作関係者) デビューから12年なら上々の経歴と言えるのかもしれないが、今や所属事務所の看板俳優となった立場から考えると、物足りないという声も聞こえてくる。「彼が所属する芸能事務所は、もともと浅野忠信さんが稼ぎ頭でした。しかし、昨年10月末に浅野さんが独立して業務提携に。それ以前にも、加瀬亮さんや菊地凛子さん、新井浩文さんらがいて、名俳優を抱えるやり手事務所と言われていたのですが、色んな理由で皆さんいなくなってしまい、現在は貴大さんが名実ともに事務所のトップとなりました。彼はいま、“看板俳優”として責任を背負う立場にありますね」(前出・映画制作関係者) そんななか、貴大が俳優業以外の活動にも取り組み始めた。その一つが「ゲーム実況」だという。「貴大さんは子供の頃から大のゲーム好きで、最近では『タカミウラ』という名義で、『エーペックスレジェンズ』などのバトルゲーム実況を動画配信サイト『Twitch』で行っています。プレイの解説だけでなく、お取り寄せグルメやファッションについての雑談など、幅広いトーク力が魅力です」(別の芸能関係者) さらに、趣味のカメラも仕事に繋げている。実は貴大は、中高生に絶大な人気を誇るシンガーソングライター・川崎鷹也(26才)の『ヘイコウセカイ』と『僕と僕』のミュージックビデオの制作に、スチールカメラマンとして参加していた。「浅野さんの独立を始め、他の俳優さんたちがいなくなったのは、貴大さんとしても想定外だったのではないでしょうか。友和さんと百恵さんは、貴大さんが俳優デビューする際に、“自分の力で頑張ってほしい”という思いを持っていました。友和さんの所属事務所に親子で所属しなかったのは、そういった考えがあったからだといいます。 貴大さんが事務所の看板俳優となって重圧を感じる中、百恵さんたちは母親として心配しながらも、きっと“貴大なら乗り越えられる”そんな思いで見守っていることでしょう」(前出・芸能関係者) 祖母と母親の顔を持つことになった百恵さんにとって、新たな家族の物語が始まる。
2022.04.04 16:00
NEWSポストセブン
『ザ・ベストテン』、楽曲の魅力を最大限に引き出した「一期一会のセット」
『ザ・ベストテン』、楽曲の魅力を最大限に引き出した「一期一会のセット」
 1978年から1989年にかけて、伝説の音楽番組が放送されていた。毎週、番組で集計したヒット曲ランキングを紹介し、歌手たちが生で歌を披露する、TBS系の『ザ・ベストテン』だ。1981年9月には番組史上最高となる視聴率41.9%を記録している。『ザ・ベストテン』が始まった1978年は、NHK紅白歌合戦でトリを飾ったのが沢田研二(73才)と山口百恵。歌謡曲が全盛期を迎える予兆があった。同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)は、こう話す。「あの頃、阿久悠が沢田研二の歌を作詞し、阿木耀子が山口百恵を、松本隆が松田聖子を、という感じで毎回いろんな曲が世に出てきた。それを毎週受け止めて解釈し、歌手の衣装には触らないけれど、毎回違う美術セットで新しい演出を考えたのです」 暗黙のうちに、番組美術制作者と歌い手・作詞家・作曲家の間に、いい緊張感が生まれていた。質の高い美術セットが、この番組の人気を支えた。 では、当時の『ザ・ベストテン』を彩った“名セット”を紹介する。●山口百恵『美・サイレント』 1979年3月22日放送で6位の『美・サイレント』。セットは顔が動く仕組みで、百恵はスリットの入ったスカートで登場。「山口百恵はどう撮っても"絵になる人"でした」(三原さん・以下同)。●小泉今日子『なんてったってアイドル』  1985年12月5日の初登場8位から、4週目に1位を獲得。3位だった1986年1月9日放送のセット模型。「ラスベガスなどにある看板をイメージしました。このセットはぼくの中でも代表作だと思っています」。●ピンク・レディー『UFO』 番組初回(1978年1月19日放送)の1位がこの曲。3週連続1位を記録。初回ではケイ(増田恵子、64才)が大ファンだった故・田村正和さんがお祝いに駆けつけたが、ケイ本人は「覚えていない」という。巨大な手が上下するセット。●平尾昌晃・畑中葉子『カナダからの手紙』 デュエット・ソングの定番。1978年2月23日の初登場10位から、最高順位は5位。手紙をイメージした美術セットや、長距離恋愛というシチュエーションに合わせて、2人が別々の場所で歌うこともあった。●中森明菜『ミ・アモーレ』 8週連続で3位以内(1位1回)をキープした明菜の11枚目のシングル曲。1985年4月4日放送のセット模型。「この歌って、本当にいい歌なんですよ。だから自分も乗って製作し、非常によいものができました」。●渡辺真知子『迷い道』 1977年11月に発売された渡辺真知子(65才)のデビュー曲。1978年3月16日の初登場9位から、最高順位は6位。『迷い道』をイメージしたセットのデザイン画。同年6月には『かもめが翔んだ日』もランクイン。●沢田研二『カサブランカ・ダンディ』 1979年2月22日、初登場5位。3月8日放送で1位を獲得したほか、11週連続ランクイン。アメリカ国旗と自由の女神をイメージしたセットのデザイン画。取材・文/北武司 セットデザイン/三原康博※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.17 07:00
女性セブン
父は天才ヴァイオリニストといわれた黒柳守綱氏
伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績
 さかのぼること40年。驚異の視聴率「41.9%」を記録したのが、1981年9月17日に放送された『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。同番組の第189回となったこの回は、コアなファンたちの間で「神回」と呼ばれている──。「現在のTBSの最高視聴率番組がドラマ『日本沈没 ─希望のひと─』(2021年)の約16%ですから、41.9%は目を疑うような数字。平均視聴率20~30%でしたから、いかにおばけ番組だったかがわかります」と話すのは、元TBSアナウンサーで、1986年から約2年半、同番組の司会を務めた松下賢次さん(68才)だ。こんな裏話がある。「実は『ザ・ベストテン』の第1回放送では、当時絶大な人気だった山口百恵さんが集計の結果11位で選外となった。それを知った局の上層部は、『歌番組、しかも新番組で山口百恵を登場させないなんてことがあるか。ほかの歌手と入れ替えろ』とプロデューサーの故・山田修爾さんに迫った。 しかし山田さんは頑なに『それはできません』と譲らなかった。厳正なランキング方式を貫く山田さんの姿勢に、司会の黒柳徹子さん(88才)は信頼を厚くし、『何かの都合で本当の1位じゃない人を、私に1位と紹介させないでくださいね』と微笑んだそうです」(松下さん) こうしたランキング形式の歌番組は従来にない試みで、それゆえ難儀したと語るのは、同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)だ。三原さんが述懐する。「『ザ・ベストテン』以前に『TBS歌のグランプリ』という番組があって、それにぼくも多少かかわっていました。そもそも昔の音楽番組は、所属レコード会社が異なる歌手が一緒に出演することはありませんでした。それを変えようとしたのがTBSの音楽班で作曲家でもあった故鈴木道明さん。鈴木さんの働きかけによって、レコード会社も他社の歌手との共演を徐々に承諾するようになっていきました。そうした素地が整った後、『ザ・ベストテン』が企画されたのです。 ところが、そうした流れにあっても、歌手の間で順位がつくとなるとまた大変で、出演交渉の段階からかなり難航したようです。制作陣の苦労は相当なものでした」 同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が語る。「ランクインが予想される20~30人の歌手のスケジュールを約2か月先まで調べ、所属プロダクションや歌手の移動先に前もって連絡や根回しをしました。ランキングは流動的で不確定ですから、かなりの激務でした」 紆余曲折を経て出演許諾を得た歌手たちの魅力を、番組は最大限引き出そうとした。 スタジオで歌う歌手には凝った美術セットを全力で提供する一方、スタジオ出演できない歌手のためにもバンドや音響などの環境を整えた。中継を担った地方局スタッフと綿密な連携をとりながら、10組の歌手を生放送でつないだ。「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチフレーズが生まれた陰には、全国の系列局の協力があった。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。「黒柳徹子と久米宏(77才)による漫才のような早口で軽妙な司会もよかった。トークにたくさんの情報が入っていて、歌手の近況がリアルタイムでわかる“音楽情報ドキュメンタリー番組”でした。 また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.08 07:00
女性セブン
薬師丸ひろ子と松田聖子
松田聖子と薬師丸ひろ子 再び紅白で競演「羨望と嫉妬」のライバル物語
 結婚、出産、離婚、スキャンダル……。これだけプライベートが騒々しくとも、歌手として第一線で活躍し続けられるのは彼女だけではないだろうか。人気は衰えるどころか存在感を増して、今年も紅白歌合戦に選出された。あのライバルと一緒に──。『第72回NHK紅白歌合戦』の出場者が発表された11月19日以降、芸能関係者の間である“競演”が話題になっている。 25度目の出場となる松田聖子(59才)と、7年ぶり2度目の選出となった薬師丸ひろ子(57才)の2人だ。両者の関係性を知る芸能リポーターの石川敏男さんは、この共演を「サプライズ」と位置づけてこう口にした。「聖子さんと薬師丸さんは、デビュー当時からお互い比較されることが多く、共演NGが噂されていた時代もあったほどなんです」 聖子は、1980年4月に『裸足の季節』でレコードデビューした。人気絶頂の山口百恵さん(62才)が、突然引退を発表した1か月後のことだった。百恵さんの引退発表で寂寥感が漂う芸能界のなかで、聖子はトップアイドルへの階段を一気に駆け上がっていく。 同年10月にリリースした『青い珊瑚礁』でオリコン2位を記録すると、3枚目の『風は秋色』で初めてオリコン1位を獲得。年末の『第22回日本レコード大賞』では新人賞に輝いた。「ポスト山口百恵」は聖子に託されるはずだった。 そこに現れたのが薬師丸だ。 薬師丸は1978年に、映画『野性の証明』で女優としてデビュー。その後は『翔んだカップル』(1980年)、『ねらわれた学園』(1981年)などの映画で主演を務め、若手の映画女優として注目を集めていた。 アイドルと女優──本来ならば交わることがなかった2人が比較されるようになったきっかけは、1981年12月に公開された、薬師丸の主演映画『セーラー服と機関銃』だ。「薬師丸さんの代表作になる映画ですが、薬師丸さんはこの映画で主題歌を歌い歌手デビューしたんです。歌が本業ではない女優が歌手デビューしたことでプレミア感が増し、話題性も手伝って、映画も楽曲も大ヒット。映画の舞台挨拶には、ファンが殺到して機動隊が出動する騒ぎになりました」(前出・石川さん) 主題歌は86.5万枚のセールスを記録。これは当時の聖子の最高売り上げだった『風は秋色』の79.6万枚を超える大ヒットだった。薬師丸は一気に、歌手としてもブレークし、同世代のアイドルを凌ぐ人気を獲得していった。聖子の前に、映画界から思わぬライバルが現れたのだ。薬師丸の発言が聖子に火をつけた ついに2人の“正面対決”が実現する。 1983年7月2日、聖子主演の映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』が公開され、その2週間後に薬師丸の主演映画『探偵物語』が公開された。 映画の内容が女子大生の恋愛物語である点や、聖子は中井貴一(60才)と、薬師丸は松田優作さん(享年40)とのキスシーンがあり、2人がそれぞれの主題歌を歌うなど、あまりに共通点が多かった。結果を比べられるのは当然だった。「聖子さんの『プルメリア〜』の興行収入が約20億円だったのに対して、『探偵物語』は倍以上の約51億円でした。主題歌は共にオリコン1位を獲得しましたが、年間チャートでは聖子さんの16位に対して、薬師丸さんは4位と、こちらでも大きな差がつく結果となりました」(映画関係者) この敗北は、聖子の気持ちを大きく変えたという。「主演と主題歌という同じ状況で、聖子さんはどちらも薬師丸さんに敵わなかった。これ以降、聖子さんは薬師丸さんの存在を、強く意識するようになったといわれています」(芸能関係者) それ以前にあった、薬師丸の“ある発言”も結果的に聖子のプライドを逆なですることになった。「薬師丸さんは、以前から聖子さんのファンだと公言していました。当時、アイドルが同性アイドルの名前を挙げてファンを公言するのは考えられないことでした。薬師丸さんは聖子さんへの羨望を隠さなかった。自分へのあこがれを口にする年下に、芸能活動を脅かされている。そんな状況を聖子さんのプライドが許さなかった」(前出・芸能関係者) ただ、聖子の“闘争心”は、当時のアイドル業界を考えれば当然だったのかもしれない。 1980年代はアイドル全盛期。歌番組も多く、アイドルが同じステージで切磋琢磨する機会も多かった。聖子と薬師丸も、そんな火花が飛び交う歌番組で共演したことがある。1988年の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で、こんなエピソードがある。「『夜の〜』では、オープニングで出演者がほかのアーティストの曲を歌うメドレーが定番となっていたのですが、そのメドレーで聖子さんは薬師丸さんからマイクを受け取っているんです。その様子を、当時のスタッフは見守っていました。2人の緊張関係は、スタッフも知るところだったのです」(当時を知るテレビ局関係者) その後、聖子は歌手業に重きを置き、年間4曲前後のハイペースで新曲をリリースしていく。対する薬師丸は女優業の傍ら、マイペースに年間2枚程度のリリースを続けていく。「女優でも歌手でもトップを走る薬師丸さんに、嫉妬のような感情を抱いていたアイドルも多かったと思います。ただ、薬師丸さんは1985年に角川春樹事務所から独立して以降、独自のポジションを確立し、聖子さんは王道アイドルの道を突き進んでいったので、2人はライバルというよりも、アイドルと女優でそれぞれ唯一無二の存在になっていった印象です」(前出・当時を知るテレビ局関係者) プライベートでは奇しくも結婚と離婚を共に経験。聖子は1985年に神田正輝(70才)と結婚するも1997年に離婚。その後、1998年に再婚、2012年に再々婚とプライベートでもマスコミを賑わせた。 薬師丸は1991年に玉置浩二(63才)と結婚し、1998年に離婚。現在はNHKカメラマンとの事実婚を続けている。 私生活を巡っては、聖子のリアクションは見事だった。「聖子さんはスキャンダルを肥やしにして、そのたびにステップアップしているように見えました。新しいアイドル像で、ファンをがっちり掴んでいる。それに対して薬師丸さんは、少なからず離婚で失速した流れを引き戻せなかった。その点は、聖子さんはたくましかった」(前出・石川さん) そんな2人が音楽番組で再び相まみえたのは、2014年の紅白歌合戦。聖子はアイドルの座を守り続け、同番組で大トリを務めるほどになっていた。薬師丸は前年に出演したNHK連続テレビ小説『あまちゃん』効果もあり、歌手デビューから33年を経て初めての出場だった。「リハーサルのときに2人が並んだのですが、聖子さんは控えめに後ろに下がろうとする薬師丸さんの腰に手を当てて、前に出やすいようにサポートしたのには驚きました。 2018年には、作詞家の松本隆さんを特集した番組でも共演しているので、デビュー当時のような関係性ではなくなっていたのかもしれません」(前出・当時を知るテレビ局関係者) 火花を散らし合うライバルだったのは、遠い昔のことなのだろうか。「聖子さんは今年で、デビュー41周年。薬師丸さんも歌手活動40周年の節目の年です。激動の1980年代を共に過ごし、いまもなお第一線で活躍している数少ない仲間という感覚なのかもしれません」(前出・芸能関係者) 40年目の“競演”が、いまから楽しみだ。※女性セブン2021年12月9日号
2021.11.27 07:00
女性セブン
司会者・萩本欽一氏と審査員・都倉俊一氏が対談
萩本欽一×都倉俊一『スタ誕』対談 「百恵ちゃんが泣いていた」事件
「欽ちゃん、久しぶり!」「文化庁長官だって? すごいね~」。対談は和やかな会話から始まった。『スター誕生!』(日本テレビ系)で初代司会(1971~1980年)を務めた萩本欽一氏と、審査員(1971~1981年)だった都倉俊一氏。まさにスターが誕生する瞬間に立ち会い続けた2人が番組の裏話を語ってくれた。(前後編の後編)──『スタ誕』出身で記憶に残る方のお話を教えてください。萩本:ある時、都倉っちが「大物が来た」と。レッスンで厳しいことを言うとみんな泣くんだけど、その子は一切動じないって。それが山口百恵ちゃんでした。都倉:彼女の主演映画『伊豆の踊子』(1974年)を撮った西河克己監督も言っていたけど、彼女には人の目を惹きつける不思議な力がある。今でもアップリケのついたジーンズ姿で『スタ誕』に出場した時の姿が焼き付いていますが、真のスターとはそういうものなんです。萩本:森昌子ちゃんには申し訳ないことをした。ある時「たわしみたいな頭だね」って言ったら反応してくれなくてね。それ以来、テレビで人の容姿を言うのはやめました。だから彼女は僕にとっての師匠なの。都倉:僕が作曲した『ペッパー警部』(1976年)でピンク・レディーがデビューした時、松田トシさんが「ミニスカートで脚を開く振り付けは品がない」って怒ってね。レコード会社の上層部からも「もっとオーソドックスな曲でデビューさせたい」と言われたんですが、作詞の阿久さんや振り付けの土居甫さんたちと抵抗して、押し通したんです。萩本:当時、都倉っちから「“ピンク・レディー”はカクテルの名前からつけた」と聞いて、この人らしいネーミングだなと思ったね。──番組以外でも出身タレントとの交流はあったのでしょうか。萩本:僕はあえて距離を置いていたの。岩崎宏美ちゃんはどこで会っても「欽ちゃん!!」って声をかけてくれたけど、あまり親しくすると、『スタ誕』とは関係ないタレントさんは面白くないかもしれないじゃない? だから司会をやめる時、「今まで笑顔を見せなくてごめんね」ってみんなに謝った。その時、百恵ちゃんが泣いていたという話をプロデューサーの池田文雄さんから聞いたけど、いつか本人に確かめたいな。都倉:『スタ誕』はスタッフが素晴らしかった。みんな親身になって出身タレントをかわいがっていたし、組織としても全面的にフォローしていた。まさに“スタ誕ファミリー”ですよ。そういう番組はもう出てこないんじゃないかな。【プロフィール】萩本欽一(はぎもと・きんいち)/1941年生まれ、東京都出身。1966年に結成したコント55号で一世を風靡。1980年代は“視聴率100%男”の異名をとる。現在はネットでも活動中。都倉俊一(とくら・しゅんいち)/1948年生まれ、東京都出身。作曲家としてピンク・レディー、山口百恵、山本リンダらに数々のヒット曲を提供。今年4月、文化庁長官に就任。構成/濱口英樹 撮影/黒石あみ※週刊ポスト2021年10月29日号
2021.10.22 16:00
週刊ポスト
『スター誕生!』では惜しくも不合格だったマッハ文朱
マッハ文朱『スタ誕』の思い出 一緒に出た山口百恵の驚きの発想
「歌手になりたい」出場者と「あの子を応援したい」視聴者が盛り上げた伝説的番組『スター誕生!』(日本テレビ系)が、放送開始から50年を迎えた。同番組からは数々のスターが生まれたが、残念ながら不合格になりながらも、その後、芸能界で成功したのがマッハ文朱。彼女が思い出を語る。 * * * 第5回決戦大会で同い年の山口百恵さんと一緒になりました。本番前、百恵さんが「テレビ局って、カッコいい人がいっぱいいるね。もし受からなくてもさ、この中から彼氏を見つけられるといいよね」って。そういう発想があったかと驚きました(笑)。 私は牧葉ユミさんの『回転木馬』を歌ったのですが、「バンザーイ、なしよ」組に。控室に戻ると、プロデューサーの池田さんが「君はすごくいいモノを持っている。ただ、身長が高いから、かわいい子路線で売りづらい。まだ13歳だから和田アキ子のような迫力も出せない。みんな考えあぐねたんだと思う」と説明してくれました。 帰り道、初めて自分の大きさを否定的に捉えたけど、ならばこの身体を生かそうと女子プロレスの道に進んだんです。その後、レコード会社からお話をいただき、歌手デビューしました。自分のキャラクターが認められたようで嬉しかった。 レコード大賞新人賞や紅白歌合戦の話もあったそうですが、女子プロ側が断わったとのちに聞きました。年間250試合戦っていたし、興行のほうが大切ですから仕方ないです。合格しなかったけど、私の人生は『スタ誕』から始まった。池田さんの言葉に感謝しています。【プロフィール】マッハ文朱(まっは・ふみあけ)/1959年生まれ、熊本県出身。1974年7月1日、プロレスデビュー。翌年3月、『花を咲かそう』で歌手デビュー。試合会場で毎回500枚が完売するほど売れたという。取材・文/岡野誠※週刊ポスト2021年10月29日号
2021.10.20 19:00
週刊ポスト
音楽プロデューサーの酒井政利さん(写真は酒井プロデュースオフィス提供)
追悼 酒井政利さんが語った「“異”の筒美京平と“怪物”阿久悠」
 7月16日、音楽プロデューサーの酒井政利さんが旅立った。享年85。生涯で手がけたアーティストは300組以上。類まれな発想力と、才能を見抜く眼力であまたのスターを世に送り出してきた。多年にわたる功績から昨年11月には文化功労者として顕彰。エンターテインメント業界のレジェンドと言っていいだろう。 松竹を経て、日本コロムビアに入社した酒井さんは1964年、青山和子『愛と死をみつめて』で日本レコード大賞を受賞。1968年には設立されたばかりのCBS・ソニーに入社し、朝丘雪路や金井克子ら、ベテラン歌手を再生する一方、南沙織、郷ひろみ、山口百恵などを発掘・育成し、アイドル黄金時代を築く。1979年にはジュディ・オング『魅せられて』で2度目のレコード大賞を受賞。音楽プロデューサーという存在を世に知らしめたヒットメーカーであった。 ソニー移籍後、新しいポップスを作ろうと考えた酒井さんは同時期、『ブルー・ライト・ヨコハマ』で歌謡界に新風を吹き込んだ若き作曲家・筒美京平さんに着目。南沙織『17才』(1971年)、郷ひろみ『男の子女の子』(1972年)、『よろしく哀愁』(1974年)、浅田美代子『赤い風船』(1973年)などで筒美さんを起用し、大ヒットを連発する。「それまでにない新鮮な音楽を求めていた私にとって、大学でジャズに傾倒し、レコード会社で洋楽ディレクターを務め、作曲家に転じるや洋楽テイストに溢れた曲を次々とヒットさせていた京平さんはうってつけの人物でした」 かつて酒井さんはそう語っていた。 二人が組んだ極めつきの作品は『魅せられて』だろう。酒井さんから「ジュディを大人の歌手に変貌させたい」と依頼された筒美さんはエレガントでゴージャスな楽曲を提供。難易度の高いメロディに苦労するジュディを丁寧に歌唱指導し、ミリオンヒットに導いた。酒井さんはこうも語っている。「筒美京平という天才的な才能は“異”の人だ。異国の異文化の音楽を採り入れる異能さは異彩を放ち、異質だが誰もが受け入れる。京平さんとの作品づくりは触発合戦。その緊張感が実に心地よかった」 では作詞家・阿久悠さんとの仕事はどうか。代表作としてはフォーリーブス『踊り子』(1976年)、郷ひろみ・樹木希林『林檎殺人事件』(1978年)などが挙げられるが、数はそれほど多くない。これは二人がライバル関係にあったことによる。 企画力にすぐれ、プロデューサー的な役割も担っていた阿久はピンク・レディー、沢田研二、桜田淳子らに詞を提供。同時期に酒井さんはキャンディーズ、郷ひろみ、山口百恵らを手がけていた。となれば、タッグは組みづらい。だが、この二人が互いの戦略を意識しながら英知の限りを尽くしたからこそ、歌謡曲の黄金時代が到来したのである。プライベートでは何度も旅に出かけたほど交流のあった二人だが、酒井さんは阿久さんについて、こう語っていた。「阿久さんとの仕事ではお互いにテーマをぶつけ合って本当に楽しかった。不思議な会話もいっぱいしたし、まさに怪物だと思いましたね。阿久さんの晩年にも一緒にアルバムを作る企画があったのですが、実現に至らなかったのが残念です」 おそらく今頃は筒美さんを交えたヒットメーカー3人で作品づくりを始めているに違いない。合掌。【プロフィール】酒井政利(さかい・まさとし)/1935年生まれ、和歌山県出身。日本コロムビアとCBS・ソニーでプロデューサーとして活躍。1996年、酒井プロデュースオフィスを設立し、文化・芸術・メディアの分野でも手腕を発揮。2020年、文化功労者として顕彰。取材・文/濱口英樹※週刊ポスト2021年8月13日号
2021.07.28 11:00
週刊ポスト
プロデューサー・酒井政利氏が明かす
追悼・酒井政利さん、3か月前に語った「山口百恵と桜田淳子の秘話」
 数々のスター歌手を手がけた音楽プロデューサー、酒井政利さんが7月16日、心不全で亡くなった(享年85)。本誌『週刊ポスト』は今年3月、「昭和のライバル」特集(4月16・23日号)で山口百恵と桜田淳子を取り上げた際、酒井さんに話を聞いていた。  3月29日、行きつけだという都内の喫茶店に現われた酒井さんは、アイスコーヒーを飲みながら30分以上にわたって山口百恵のデビュー当時について語ってくれた。記憶は鮮明で顔色も良かった。酒井さんのご冥福をお祈りしつつ、当時のインタビューを再録する。 * * * 日本のアイドルの先駆けとなる南沙織さんをプロデュースした後、1972年12月、日本テレビのオーディション番組(『スター誕生!』)に山口百恵という子が出場するので番組を見に来てほしいと番組の名プロデューサーだった池田文雄さんに誘われて見に行ったのが最初ですね。彼女は当時13歳で、フォークソングの『回転木馬』を歌っていたんです。それまでまともな歌唱レッスンを受けていないせいか音域が狭いのが難点かなと思いました。しかし、桜田淳子のような天真爛漫な明るさはないけれど和風な顔立ちで不思議な表情を見せる。磨けば輝くのではないかという未知数の可能性を感じさせる雰囲気はありましたね。 その当時、『スター誕生!』で最多となる25社がプラカードを挙げ、まさに彗星のごとく現われたのが桜田さんで、すでにデビューして注目の的になっていました。同じくこの番組でデビューした森昌子さんも『先生』が大ヒットしていて、その頃に出てきたのが山口百恵なんです。プロデューサーの池田さんはなんとかその年の秋までに百恵をデビューさせたいと急いでいました。今思えば、すでに桜田、森に続く百恵を「中3トリオ」で売り出したいという考えがあったのでしょう。 デビュー曲『としごろ』は地味でしたが、2曲目の『青い果実』がヒットして、彼女は桜田淳子、森昌子と同じ場所に立つことになりました。「中3トリオ」という設定があったことは、山口百恵にはラッキーなことだったと思います。私の中には、森昌子が大地、桜田淳子が大空、そして山口百恵は大海というイメージを膨らませていたんです。13~14歳の少女にはやや過激な歌詞で「性典ソング」などといわれることもありますが、私の中では少女から大人へと成長していく過程を見せようという思いがありました。それは桜田淳子のあの明るい空のようなイメージがあったからこそ、その逆を生み出せたんだと思います。 山口百恵と桜田淳子はライバルと言われながら、当人同士は仲が良かった。山口百恵が横須賀から品川中学に転校したクラスに桜田さんがいて、お互いをジュンペー、モモタローと呼び合うような仲でした。音楽番組のスタジオでも楽しそうにおしゃべりしていました。 実は中3トリオの時代、山口百恵と桜田淳子は「とてもよく似ている」と言われていたんです。同じ歌番組に出演する機会は多いですが、そんなとき現場スタッフが桜田さんに「百恵ちゃん」、山口に「淳子ちゃん」と声をかけることもありました。そんな時でも2人とも怒った表情を作って楽しんでいるような感じでした。 2人がお互いをライバルだと意識する気持ちはあったと思います。それはどっちが売れたなどというものではなくて、山口百恵にとっては桜田さんの明るさがあるがゆえに、真逆の陰りを引き出せたことへの感謝の気持ちのあるライバルだったと捉えています。
2021.07.20 07:00
NEWSポストセブン
地元の銘菓をスタッフ全員に(写真は2011年)
結婚引退の夏目三久は「令和の山口百恵」か カトパンは仕事続ける選択
 今年上半期、2人の人気女性アナウンサーの結婚が大きな話題となった。4月2日、芸人の有吉弘行との結婚を発表した夏目三久(36才)。そして6月7日に情報番組『めざましテレビ』(フジテレビ系)で「一般男性」と結婚したことを発表した加藤綾子(36才)だ。 同い年の2人だが、結婚後のキャリア選択は「引退」と「継続」で正反対だ。なぜ、彼女たちの選択は分かれたのだろうか。 夏目と有吉の結婚発表後、初めて2人揃って出演した『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)。久しぶりのツーショットに多くの視聴者の祝福の声が溢れたが、ここでの夏目の発言がネットの一部で物議を醸した。 マツコ・デラックスに「どうすんの、仕事?」とツッコまれた彼女は、「この仕事から離れようと思っています」と語り、「微力ながら(有吉の)安らげる場所を作れればいい」と発言。これに「なぜ女性だけが家庭に入るのか」という声が上がったのだ。 2011年に日本テレビを退社した夏目は、局アナ時代のイメージを刷新してフリーアナウンサーとして大活躍。メインキャスターとして、平日の朝7時は『あさチャン!』(TBS系)、日曜日は『バンキシャ!』(日本テレビ系)に出演し、そのアナウンス力の高さと持ち前の上品さで女性の支持を集めた。それゆえに、夏目の「引退宣言」は衝撃を持って受け止められ、一部でネガティブな反応を引き起こしたのだろう。 しかし、女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏は、夏目の選択を「一周回って新しいのでは」と指摘する。「夏目さんは報道番組でメインキャスターも務めましたし、女性キャスターとしてやり残したことが無いのでしょう。自分のキャリアを全うしたという充実感と共に引退し、しばらくの間は“家庭の幸せ”に集中したいと思うのは十分に理解できます。言ってみれば、夏目さんは山口百恵さんと同じなんですよね」(丸山氏・以下同) 人気の絶頂で俳優・三浦友和と結婚し、芸能界を引退した歌手・山口百恵。彼女の決断と、夏目の選択は確かに重なるものがある。夏目は「令和の山口百恵」と言えるのかもしれない。では、夏目が今後表舞台に戻ってくる可能性はないのだろうか。「その可能性もゼロではありません。確かに夏目さんはアナウンサーとしてはキャリアの頂点を極めましたが、アナウンサーの枠を超えた大仕事のオファーであれば受けることもあるかもしれません。例えば、滝川クリステルさんの東京五輪誘致のプレゼンのように、国際社会にアピールできる仕事など、本人が意義のある活動だと判断すれば、結婚生活が落ち着いたタイミングで復帰することもあるでしょう」カトパンと重なるあの人気アナ そんな夏目と対照的に、結婚後も仕事を続ける意向を示しているのが“カトパン”こと加藤綾子だ。カトパンが結婚したのは「一般男性」と言っても、年商2000億円のスーパーマーケットチェーンを経営する男性。超セレブ婚を果たしたカトパンは、いわゆる“アイドルアナウンサー”として頂点を極めたといって良い存在だろう。2011年には「好きな女子アナランキング」で1位となり、男性から絶大な人気を集めた。 フジテレビ退社後もスポーツ情報番組やバラエティに出演。また、2019年から古巣フジテレビの夕方の情報番組『Live News it!』でメインキャスターに抜擢され、着実にキャリアを築いてきた。そんなカトパンについて丸山氏は、「元テレビ朝日アナウンサーの小川彩佳さんとイメージが重なる」と語る。「カトパンと小川さんは、2代目青年実業家とベンチャー企業社長という違いはあるものの、2人とも社長とセレブ婚を果たしました。局アナからフリーになり、結婚後もキャスターを続けるという道も同じです。経営者や有名スポーツ選手とセレブ婚した女子アナの中には、仕事をやめる人もいますので、結婚後も働くのは、旦那さん的には『理解のある男性』というイメージになりますし、女性側にとっても『キャリアと家庭の両方で幸せを手に入れた』と羨ましがられる。イメージ面では夫婦ともにプラスになるんです。小川アナの場合は結局、夫の不倫が原因で離婚協議入りしたと報道されましたが…。 カトパンのこれまでの活動を振り返ってみると、アイドル的なアナウンサーというイメージから少しずつ報道キャスターの方向にシフトしているように見えます。家庭という安定した場所を手に入れて、仕事もますますキャリアアップして今後は報道の分野などで新しい挑戦をしていきたいと考えているのではないでしょうか」 夏目三久と加藤綾子。同世代で互いにキャリアの頂点を極めた2人だが、結婚後の歩みはどう分かれていくのか。女性の生き方のロールモデルとして、今後参考にされそうだ。◆取材・文/バーボン長嶋
2021.06.20 07:00
NEWSポストセブン
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祝・星野&新垣 反町&松嶋、小栗&山田…共演後に結ばれた芸能人夫婦
 日本のみならず世界が湧いた星野源(40才)と新垣結衣(32才)の結婚発表。ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)で共演したふたりは、同番組の続編で再共演したことがきっかけで交際に発展したという。このふたりのように、共演を機に結婚する芸能人夫婦を振り返ろう。●堺雅人(47才)&菅野美穂(43才) 映画『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』(2012年) 結婚=2013年●小栗旬(38才)&山田優(36才) ドラマ『貧乏男子 ボンビーメン』(2008年 日本テレビ系) 結婚=2012年●反町隆史(47才)&松嶋菜々子(47才) ドラマ『GTO』(1998年 フジテレビ系) 結婚=2001年●三浦友和(69才)&山口百恵(62才) ドラマ『赤い』シリーズ(1974年~1980年 TBS系) 結婚=1980年●長渕剛(64才)&志穂美悦子(65才) ドラマ『親子ゲーム』(1986年 TBS系) 結婚=1987年●渡辺徹(60才)&榊原郁恵(62才) ドラマ『風の中のあいつ』(1984年 日本テレビ系) 結婚=1987年●水谷豊(68才)&伊藤蘭(66才) ドラマ『事件記者チャボ!』(1983年 日本テレビ系) 結婚=1989年※女性セブン2021年6月10日号
2021.05.29 07:00
女性セブン
半田健人が選んだのは?(撮影/浅野剛)
昭和女性ポップス座談会・中編 ウィスパー系・和田アキ子の魅力
 現在、世界の音楽ファンから注目されているのが、1970~1980年代の日本のシティポップだ。竹内まりや『PLASTIC LOVE』(1984年)や松原みき『真夜中のドア~stay with me』(1979年)といった女性アーティストによる楽曲が、リバイバルブームにおいて特に人気となっている。 そこで、昭和ポップスをこよなく愛する、俳優・歌手の半田健人さん、昭和歌謡ライターの田中稲さん、ウェブサイト『昭和ポップスの世界』を運営するさにーさんに、「昭和女性ポップス・マイベスト10」をセレクトしてもらった。そのランキングを受けての座談会を開催。ここでは、5位から3位の楽曲について語り合う。■半田健人さんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:伊東ゆかり『グリーン・ジンジャー・フライング』(作詞:ジェリー伊藤、作曲・編曲:東海林修/1971年)2位:弘田三枝子『マイ・メモリィ』(作詞・作曲:弘田三枝子、編曲:鈴木宏昌/1977年)3位:いしだあゆみ『バイ・バイ・ジェット』(作詞:橋本淳、作曲:細野晴臣、編曲:萩田光雄、細野晴臣/1977年)4位:和田アキ子『私夢を見るの』(作詞・作曲:石津善之、編曲:馬飼野俊一/1973年)5位:あべ静江『長距離電話』(作詞:藤公之介、作曲:佐藤健、編曲:林哲司/1977年)6位:小川知子『別れてよかった』(作詞 : なかにし礼、作曲・編曲 : 川口真/1972年)6位:由紀さおり『ヴァリーエ』(作詞:山上路夫、作曲:S・リタルド、編曲:渋谷毅/1971年)6位:麻生よう子『逃避行』(作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野俊一/1974年)6位:岡崎友紀『グッドラック・アンド・グッドバイ』(作詞・作曲:荒井由実、編曲:萩田光雄/1976年)6位:桑江知子『Mr.Cool』(作詞:佐藤奈々子、作曲・編曲:小林泉美/1980年)【プロフィール】半田健人さん/俳優・歌手。1984(昭和59)年生まれ。『仮面ライダー555』(テレビ朝日系)で初主演。2014年に『せんちめんたる』をCD&LP同時発売。2017年全曲自宅録音『HOMEMADE』リリース。作曲家、タレントとして活動。ラジオ『林哲司・半田健人 昭和音楽堂』(SBS静岡放送、日曜21時~21時30分)に出演中。■田中稲さんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:岡田奈々『青春の坂道』(作詞原案:中司愛子、作詞:松本隆、作曲:森田公一、編曲:瀬尾一三/1976年)2位:和田アキ子『古い日記』(作詞:安井かずみ、作曲・編曲:馬飼野康二/1974年)3位:五輪真弓『恋人よ』(作詞・作曲:五輪真弓、編曲:船山基紀/1980年)4位:谷山浩子『まっくら森の歌』(作詞・作曲:谷山浩子、編曲:乾裕樹/1985年 NHK『みんなのうた』初出)5位:大貫妙子『黒のクレール』(作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一/1981年)6位:泰葉『フライディ・チャイナタウン』(作詞:荒木とよひさ、作曲:海老名泰葉、編曲:井上鑑/1981年)7位:山口百恵『絶体絶命』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄/1978年)8位:大場久美子『エトセトラ』(作詞:小林和子、作曲・編曲:萩田光雄/1978年)9位:中島みゆき『ファイト!』(作詞・作曲:中島みゆき、編曲:井上堯之/1983年)10位:高田みづえ『硝子坂』(作詞:島武実、作曲:宇崎竜童、編曲:馬飼野康二/1977年)【プロフィール】田中稲さん/昭和歌謡ライター。1969(昭和44)年生まれ。大阪を拠点に活動する昭和歌謡ライター。ほかにも、ドラマ、NHK紅白歌合戦、懐かしブームなども得意テーマとしている。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)など。CREA WEBにて『田中稲の勝手に再ブーム』、DANROにて『いつも心にぼっち曲』を連載中。■さにーさんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:和田アキ子『あの鐘を鳴らすのはあなた』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:森田公一/1972年)2位:岩崎宏美『思秋期』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし/1977年)3位:ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:都倉俊一/1973年)4位:ちあきなおみ『夜へ急ぐ人』(作詞・作曲:友川かずき、編曲:宮川泰/1977年)5位:しばたはつみ『マイ・ラグジュアリー・ナイト』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:林哲司/1977年)6位:渡辺真知子『かもめが翔んだ日』(作詞:伊藤アキラ、作曲:渡辺真知子、編曲:船山基紀/1978年)7位:大橋純子『サファリ・ナイト』(作詞:竜真知子、作曲・編曲:佐藤健/1978年)8位:原田知世『天国にいちばん近い島』(作詞:康珍化、作曲:林哲司、編曲: 萩田光雄/1984年)9位:河合奈保子『ラブレター』(作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵/1981年)10位:能瀬慶子『アテンション・プリーズ』(作詞:喜多條忠、作曲:浜田省吾、編曲:船山基紀/1979年)【プロフィール】さにーさん/1992(平成4)年生まれ。1970〜1980年代のヒット曲の情報サイト『あなたの知らない昭和ポップスの世界』を運営。昭和ポップスの魅力を伝えるため、ラジオやテレビにも出演。『らじるラボ』(NHKラジオ第1)で、『さにーのZOKKON!昭和ポップス』(毎月第2・第4金曜午前10時半~11時)を担当。──5位から3位までを見ていきましょう。半田:5位は、あべ静江さんの『長距離電話』(1977年)。フォーク路線のアルバム『TARGET』の翌年に出たシングル曲で、佐藤健さんと林哲司さんという、シティポップ派の2人がサウンド作りを担当しています。 4位は、和田アキ子さんの『私夢を見るの』(1973年)。アッコさんは日本におけるポップスの開拓者の1人で、R&B歌謡の歴史そのもの。ところがこの曲ではとてもアッコさんと思えない、ウイスパー系アッコの歌声が楽しめます。 3位がいしだあゆみさんの『バイ・バイ・ジェット』(1977年)。『アワー・コネクション』というアルバム収録曲。ティン・パン・アレイのサウンドとのマッチングを聴いてみてください。さにー:私の5位は、しばたはつみさんの『マイ・ラグジュアリー・ナイト』(1977年)。これはもう、映画音楽です。半田:来生たかおさんが認められた曲。この曲で売れてよかったと思いました。シティポップはイメージ的にはAOR(※)に近いと思いますが、作詞でAOR的なものといったら、日本では来生えつこさんの詞が、ちょっとそこに入るんじゃないかなと。【※/AORとは、1980年代の日本で用いられた音楽用語。Adult-Oriented Rock(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人向けロック)の略語。ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダン、クリストファー・クロスなどの楽曲がそれで、「ソフト&メロウ」「アダルト・コンテンポラリー」に近いニュアンスを持つ】さにー:来生えつこさんの小道具をピックアップするセンスがすごく好きです。4位は、ちあきなおみさんの『夜へ急ぐ人』(1977年)です。半田:これはまた、すごいのもってきたねー(笑い)。田中:実は私も入れようと思っていた曲です! 『NHK紅白歌合戦』で、この曲を歌ったときの映像を見ましたが、すごかったですよねー。さにー:女じゃなきゃ歌えない、妖気と情念ですよね。3位は、ペドロ&カプリシャスの『ジョニィへの伝言』(1973年)です。実は私、「登場人物が3人出てくる歌に佳曲多し!」っていう持論をもっていまして(笑い)。田中:おぉ! 『絶体絶命』(山口百恵)もそうだね(笑い)。さにー:いや~、伝言ソングって、どうしても登場人物は3人以上になると思うんですが、やっぱりいいですよね。結局、伝言する相手はいるけど、出てこないという……。半田:姿がないから伝わらない可能性も含んでいます。田中:そうなんです。それがまたロマンですね。私の5位は大貫妙子さんの『黒のクレール』(1981年)。サビを聴いて、子供ながらにびっくりした覚えがあるんです。「どこの国の曲だろ?」みたいな驚きというか……。さにー:何か神聖な感じがしますよね。田中:そう。お伽の国みたいなイメージがよかった。それは、4位に挙げた谷山浩子さんの『まっくら森の歌』(1985年)にも通じるんですよ。半田:大貫さんって、教授(坂本龍一)のプロデュースが入ってるから、垢抜けているイメージがありますね。田中:そうですね。谷山さんは私の神なんです。『オールナイトニッポン』(ニッポン放送、1982~1986年)をやっていたのですが、おしゃべりもとてもうまいんですよね。半田:そう。地声がかわいくて歌声もかわいいけど、曲は不思議っていうね(笑い)。田中:哲学的というか。なんかこう、穴にはまってグルグル落ちていくっていうか。この曲も『みんなのうた』(NHK)でハマり、アルバムを買いあさって、つらいときに聴きまくり、この曲をきっかけに、アルバムを1から10まで聴く喜びを知りました。 そして3位が五輪真弓さんの『恋人よ』(1980年)。これはもう『ザ・ベストテン』で初めて聴いたとき、家族全員止まった、みたいな(笑い)。さにー そうなんですか!半田:そういう感想っていうのが、やっぱり歌の持つ真実なんだろうと思いますね。田中:大失恋した気分を疑似体験させてくれる曲ですね。取材・文/北武司 撮影/浅野剛※女性セブン2021年5月20・28日号
2021.05.12 16:00
女性セブン

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