以下、同紙に掲載された記事〈●ワ總督と語る ▽降伏の不可已を説く〉によれば、まずワルデック総督の健康を記者が祝すと総督は感謝の意を示し、かつて日本を訪ねたことがあるが貴国の風光明媚なところは素晴らしいと絶賛した。これは半分外交辞令だろうが、本題に入ると総督が強調したのは〈青島の防備は之を要塞と云ふべからず單に防備地帶に過ぎざりき〉ということと、〈貴國(=日本。引用者註)を敵に相戰はんとすることは予等の毫も豫期せざりし所なり〉ということである。
ワルデックは「敗軍の将」だから当然そこには負け惜しみもあり、ドイツ帝国軍人として義務を果たせなかった点についても弁明をしなければならない。見落とされがちだが、民主主義国の軍人と違って「帝国軍人」は軍務に怠慢であると見なされたら、軍法会議で死刑のような極刑を科せられる可能性もある。その点を踏まえて見ていかなければいけないが、要するに彼は、(1)青島は要塞というほど堅固な基地では無かった。しかるに、(2)英、仏、露軍では無い精強な日本軍の想定外の攻撃を受けたためにやられてしまった。だから降伏は「不可已」だった、と主張しているのである。この主張は正しいのか、それとも軍法会議で罰せられないための逃げ口上なのか。
まず(2)については、おおむねそのとおりと言っていいだろう。欧米列強による中国進出は清朝の段階で一段落しており、ドイツは膠州湾を得た。その租借権は渋々ながら中華民国も認めている。したがって、もし膠州湾が戦場となるならばそれは欧米列強同士の争乱によるものであり、本国が中国に近く軍の精鋭を派遣でき補給も心配無い日本との戦争はドイツにとっては想定外であったはずである。
(1)についても、相当程度事実である。欧米列強同士「中国の分割」については「共存」が成り立っている。したがって、そもそも中国に展開している、ヨーロッパにある各国の精鋭とはまったく違う「二軍」に攻められる可能性も少ない。それでも万一攻められたときの用心をしておけというならば、ドイツ軍も「二軍」の装備でいいことになる。
実際、ワルデックは青島の〈平常の守備兵員千八百名なりしも事實定員よりは二百名の不足〉があったため、急遽青島周辺在住の一般市民男子を徴兵して砲台の守りに就かせざるを得なかった。とくに大砲は熟練した砲兵が使用してこそ威力を発揮するが、かなりの部分素人がそれをやっていたということである。しかも肝心の大砲は、〈大部分は團匪事件の際分捕せしものと他は古き普佛戰爭の際戰利品〉だったのである。
なんと、義和団事件(1899年)や普仏戦争(1870年)の、しかも自国製で無く他国から分捕った旧式の大砲をそのまま防備に充てていたというのだ。まさに「二軍の防備」である。前半で「要塞の防備は朝日(つまり日本)が評価するほど堅固で無かった」と述べたが、根拠はこのワルデックの弁明である。
もっとも、最新鋭の大砲が無かったわけではない。要塞の中心のビスマルク砲台と灰泉角砲台には最新式の大砲が合計六十門、機関砲が百門装備されていた。しかし日本軍の攻撃は砲撃主体だったため、これら最新兵器も集中砲撃を受け〈殆ど總ては日本軍の猛烈なる射撃に逢ひ有効なるものは殘り甚だ少く〉という状態になった。
最終的に戦いは、〈日本陸軍炮兵の猛烈なる射撃はイルチス、ビスマーク及び小湛山炮壘に雨霰の如く注がれたるが其最も炮火を受けたるは中央と臺東諸炮壘にて殊に中央炮壘の損害著るしく一炮壘にて百の炮彈を受けたるものあり。されば守備兵は穴倉中に隱れたるのみにて如何にしても出る能はざりき〉という形で終わった。
おわかりだろう。もし日本軍がドイツ砲台に歩兵突撃などしたら多数の戦死者を出していたかもしれないが、神尾中将の砲台を構築し要塞を包囲し重砲を多数配備するという作戦は見事に効を奏し、ドイツ側は最新式の大砲もほとんど使えなくなり、日本砲兵の集中砲撃により戦うどころか塹壕から出てくることさえできなかったのである。
そればかりでは無い。ワルデックは、日本軍は勇敢だがそのぶん死傷者も「莫大」であると考え、〈之(=死傷者。引用者註)を凡そ五六千と推定〉していた。ところが、実際には予想よりはるかに少なかった。そこでワルデックは、〈然るに其實千七百の死傷に過ぎざりしは今更ながら戰鬪の巧なるに驚かざるを得ず〉と、日本軍を激賞しているのだ。これは同時に、総司令官神尾中将への絶賛に他ならない。
要するに、敵も味方も神尾作戦を絶賛しているのだから、それが歴史の真実として定着していいはずなのだが、不可解なことにそれとはまったく違う見解が次第に日本国内で有力になっていくのである。
(第1396回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2023年10月20日号