そして一週間待ったが、ドイツがおとなしく兵を引くはずが無い。それは予測されたことだったが、せっかく平和裏に物事を解決しようと最後通牒を出したのに、拒否されたのでは仕方が無いという形で参戦が正当化される。この間、大隈内閣では最大の参戦推進派であった加藤高明外相が準備を急ぐなか、大隈首相は宣戦布告を実行し、一方では得意の弁舌で「これは領土的野心の発露では無い」と言い続けた。

 もちろん、中国もその経緯については熟知している。だから『北京デーリー・ニュース』紙は、「飽迄對獨最後通牒の趣旨を恪守し、支那人の疑惑を一掃せん事を望む」と書いたのだ。この記事には、その他三紙(『北京ガゼツト』『黄鐘日報』『上海マーキユリー』)の記事も訳出紹介されているが論調はほぼ同じで、博文館の記者が〈最も冷静穩健に論じたるもの〉と評した『上海マーキュリー』紙の記事の結びは次のようになっている。

〈日本は青島を支那に還附すべしと誓約せり。吾人は、日本が必ずや、出來得る限り速かに、其約を履むに至らんことを信ずる者なり。日本が青島還附に對し、代償を求むべきは疑ひなし。若し日本にして賢明ならんには、其要求は、千八百九十七年の獨逸の夫れに比し、遙かに寛大のものならん。日本の最良の報酬は、支那の好意と、之より生ずる日支貿易の増進中に發見されん。〉
(引用前掲書)

 あらためて訳すまでも無いだろうが、あえて訳せば「日本は内外に、青島を攻める目的はそこを中国に返還させるためであり、領土的野心は無い、と表明している。われわれ中国人はそれを信じている。もちろん、日本がなんらかの代償を求めることは避けられないだろう。だが、もし日本が賢明であるならば、膠州湾返還についての代償は、一八九七年の膠州湾事件でドイツが求めたきわめて悪質なものにくらべ、はるかに寛大なものにすべきである。そうすれば日本は中国の好意を得て、そこから生じる日中貿易の多大な利益にあずかることができるだろう」というものだ。

 至極まっとうな意見であり、日本がこの後そのようにしていたら、支那事変(日中戦争)も無かったかもしれないと思わせるほどのものである。ただ注意すべきは、これらの記事が「概ね驕傲無禮」という前置きの元に紹介されていることである。ほかの二紙の記事も読んでみたが、そんなところは少なくとも私は微塵も感じられなかった。それなのにこうした「見出し」をつけざるを得ない、褒め言葉を見出しにつけると日本人が記事を読まなくなる、という傾向があったのかもしれないと危惧される。じつは、「驕傲無禮」なのは他ならぬ日本人のほうだったかもしれないのである。

 たしかに、中国だけでは無く朝鮮半島も含めて自主的な西洋近代化に失敗した。それは朱子学という亡国の哲学に毒されていたからである。これまで何度も繰り返したことだし、近著『絶対に民主化しない中国の歴史』(KADOKAWA刊)でも詳細に触れたから興味のある方はそちらを見ていただきたい。肝心なのは、朱子学という「毒」に染まると西洋近代化などというものは「悪」で決して実行してはならない、と考えることだ。

 小銃も大砲も西洋式にしなければ欧米列強には勝てない。それなのに、火縄銃や青銅砲にこだわるということになる。日本もこの朱子学の毒にやられていた。それを吉田松陰や澁沢栄一などがうまく「解毒」して近代国家になれたのだが、日本人の悪い癖で昔のことをすっかり忘れてしまい、いつまでたっても近代化できない中国人や朝鮮人をバカにするようになった。そしてその傾向は、日露戦争の勝利などでますます強くなっていたのである。

(第1398回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2023年11月10日号

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