国営メディアは放送していないが、筆者は参加した人物から演説を撮影した映像を入手。李氏は引退を控え、ほっとしたような表情を見せていた。
「人がしている事は天がしっかり見ている。蒼天には目があるからだ(中国語で『蒼天有眼』)」
一部では、演説中に発せられたこのセリフが「習氏を批判する隠語」といった分析がなされている。しかし、筆者はこの見方には同意しない。確かに、李氏が使った「蒼天有眼」は日本語で「お天道様が見ている」に近い意味がある。ただ、中国では一般的に「悪い結果を予期していたのに、天のおかげで良い結果になった」という意味で使われることが多い。李氏の発言の真意について、部下として李氏に仕えたことのある中国政府関係者に尋ねた。
「特定の人物を批判したわけではありません。経済成長が鈍化して失業率が上がるなか、後任や部下がしっかりと対処できるかどうか案じているのでしょう」
李氏の死去が発表された日、安徽省合肥市にある李氏の生家の前には多くの市民が花を手向けたほか、各地で哀悼の動きが広がっている。李氏の母校・北京大の一部の活動は中止となった。
首相を務めた周恩来、総書記だった胡耀邦。国民に愛された2人の指導者の死が、1976年と1989年の二つの天安門事件の引き金となった。
改革派だった李首相の死が、厳しい国内統制や経済減速によって国民の間に充満した不満のガスに「引火」することはないか、習近平指導部が民意を注視しているのは間違いない。
【プロフィール】
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年、長野県生まれ。ジャーナリスト。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員、北海道大学公共政策学研究センター上席研究員。朝日新聞で北京・ワシントン特派員を計9年間務める。「LINE個人情報管理問題のスクープ」で2021年度新聞協会賞受賞。中国軍の空母建造計画のスクープで「ボーン・上田記念国際記者賞」(2010年度)受賞。近著に習近平国家主席の戦略ブレーン、劉明福・中国国防大学教授が書いた著書を監訳した『中国「軍事強国」への夢』(文春新書)。
※週刊ポスト2023年11月17・24日号