世紀を跨ぐ2000年に東京四谷で生まれ、両親の離婚後は祖父が四谷で営む真言宗の寺で育った透は、飛行機を見かけると何かに憑かれたように後を追い、漫画も読まずに視力維持に努めるような子供だった。
そして高2の春、航空機マニアの同級生〈溝口〉に誘われるまま三沢基地の航空祭へ。そこで見たF-16戦闘機の〈圧倒的な機動力〉に透は天命を思い知り、この国で戦闘機に乗るには自衛隊に入るしかないと祖父を説得するのだ。〈空の青っていうのは、空にしかない〉〈空の絶対性は疑いようがなかった〉
「三島といえば忍ぶ恋ですが、それも大抵はどんなに思っても届かない絶対性として描かれ、相手は別に金閣寺でもいいわけです。三島作品には空の描写が非常に多く、あれがアニメでよく夏空が描かれる原流じゃないかと思うんですけど、その絶対性や官能を空とか機械を通じて描けないかと。
『太陽と鉄』に三島さんは物心つくと言葉に侵食され、肉体を持たなかった自分ということを書かれていて、言葉に魅入られた三島さんにも空に魅入られた透にも、理由は元々ないんです」
作品そのものの速度を上げる
晴れて航空宇宙自衛隊のパイロットとなり、天才の名をほしいままにした透が、自重の数倍ものGと対峙し、超音速空間を切り裂く様は、まさに官能的。その天才がF-35Bを操縦中に〈透明で巨大な蛇〉を見て以来、窒息感や幻視に苦しめられ、結局は自衛隊をやめて海外を転々とするタイ編、バングラデシュ編もまた、空に取り憑かれた者の業を見るようで、目が離せない。
「空を飛ぶ以外に立つべき地上を持たない透と、あの時代にあってチャーリー・パーカーやビートルズにも触れず、音楽はワーグナーくらいだった踊れない三島さん、二人の姿が重なって。
あと、最後の担当編集者、小島千加子さんによれば、マッチョ的な発言の大半はリップサービスで、むしろ祖母の夏子さんから美輪明宏さんまで、女性的なものにはやられ放題だったと。そうした一面も投影しつつ、常に行動に関して傍観者な自分に忸怩たる思いを抱き、最期は空に飛んでいくこともできなかった三島さんが、読みながらニヤリと笑ってくれるような作品になっていればいいんですけど」
とにかく作品そのものの速度を上げ、絶対への憧れも官能美も「その戦闘機に極力近づけた形」に託したという本書は、透の人生の浮沈や脇役陣の魅力もあり、約300頁があっという間。執筆に際しても体験試乗という選択肢はあえて採らず、「空を見てました。自分が飛ぶつもりで。三島さんも超音速空間を深夜の書斎に擬えていて、確かに精神のGは凄い!」と笑う作家が想像力で追いついた世界の豊かさに改めて驚かされる、三島や戦闘機のファン以外も存分に楽しませてくれる1冊だ。
【プロフィール】
佐藤究(さとう・きわむ)/1977年福岡市生まれ。福岡大学附属大濠高校卒。2004年「サージウスの死神」が第47回群像新人文学賞優秀作となり翌年単行本デビュー。が、発表機会は徐々に減り、2015年に乱歩賞応募を開始。2016年『QJKJQ』で第62回江戸川乱歩賞を受賞し、現筆名で再デビュー後、2018年に『Ank:a mirroring ape』で第20回大藪春彦賞と第39回吉川英治文学新人賞、2021年に『テスカトリポカ』で第34回山本周五郎賞と第165回直木賞をそれぞれW受賞。177cm、66kg、B型。
構成/橋本紀子 撮影/朝岡吾郎
※週刊ポスト2023年11月17・24日号