たしかに、ドイツ本国から見放され補給も期待できなかった青島守備隊の兵士たちの士気は低かった。それはそのとおりなのだが、それを見透かして余裕を持って砲撃のための包囲網を完成させ、満を持して攻撃した神尾中将の戦略があったからこそ要塞はあっという間に落ちたし、日独両軍の犠牲者も少なくて済んだ。これは神尾中将の最大の功績であるにもかかわらず、澁川はその点をまったく評価しないばかりか逆にドイツ軍の死者が少なかったことを、彼らが戦う気が無かったことの証拠だとしている。
本来なら、この攻防戦では「日本歩兵の少くとも十分の一は犠牲とならなければならなかった」はずなのに、それがきわめて少なかったのは神尾中将の功績では無く、ドイツ兵の士気喪失が原因である、という本末転倒の論理になっているわけだ。澁川は日露戦争に従軍し高い評価を得た戦場ルポも書いている。法務官とはいえ陸軍に所属し現地を自分の目で見ている人間なのに、どうしてこういう評価になるのだろう?
ひょっとしたら、乃木大将が旅順要塞攻防戦で実行した「猪突的の惡戰」のほうを「模範」と考えていたのかもしれない。朝日新聞ですら神尾の作戦は乃木の戦法を超えた見事なものであると評価しているにもかかわらず、である。そして神尾戦略を高く評価するなら、この戦争は日本陸軍にとってきわめて有意義な体験であり、今後こうした要素を作戦に取り入れていくべきだということになるのだが、澁川の評価はまるで逆である。
〈戰爭としては、青島攻圍は格別の値打はなかった、戰爭の經驗として、我が軍が獲る所のものは少なかつたとと(原文ママ)思ふ。此の戰爭が、結果に於て良好であつたに拘らず、嚴密に批評すれば、却つて日本軍の幾多の欠陷を暴露した點がある。〉
(引用前掲記事)
どうしてこんな結論になってしまったのか? 公平な評価を述べるならば、戦ったドイツ軍側も認めている神尾中将の名戦略で、要塞攻略の新しいパターンが生まれたことを強調すべきであろう。「結果に於て良好」な大勝利となったのはそのためである。それなのに、なぜ「格別の値打はなかつた」「戰爭の經驗として、我が軍が獲る所のものは少なかつた」などと言えるのか。まさかとは思うが、あえて朝日新聞とは逆の評価をして朝日に一矢報いようと思ったのか。どう考えてもよくわからない。ひょっとしたら、澁川の頭のなかは「軍神乃木大将の作戦こそ正しい」という固定観念に支配されていたのかもしれない。
輜重輸卒をバカにする「歌」
では、この戦いで示された日本軍の「幾多の欠陥」について、澁川は具体的にはなんと記しているのか? じつは、この後の記述を読んでも澁川はそれにまったく言及していないのである。これも不可解な話だが、同じ号に代議士川原茂輔の現地ルポが掲載されており、そのなかには日本軍の改良すべき点について詳細に述べた文章がある。
川原は一八五九年(安政6)生まれで、『佐賀日日新聞』を経営した後に地元から代議士に当選している。一八七二年(明治5)生まれの澁川にとってみれば、「郷土の大先輩」である。おそらく現地青島で二人は顔を合わせただろうし、その後同じ雑誌に寄稿することになれば、記述内容がダブらないように調整したこともじゅうぶんにあり得る。「澁川君、軍の改良すべき点はワシに書かせてくれ」とでも言われれば、「後輩」は譲らざるを得まい。そこで川原のルポから、そうした部分を拾ってみよう。
〈要塞を蔽うて居る鐵筋コンクリートの如きは、厚二尺四五寸(1尺は約30センチメートル。1寸は約3センチ。引用者註)にも逹し、我が二十四珊(センチメートルのこと。引用者註)二十八珊の如き巨炮も、之に對して何等の威力をも示して居ない。最も效力を奏したと認めらるゝものでも、僅々深さ一尺位の穴を穿つて居るのみで、其他は僅に或る一部分を少し許り掻き取つて居る位に過ぎない。其防備の強固なることは到底旅順などの及ぶ所ではない。余は是等の戰跡を見て切に感じたのは、我國の兵器改良の急切なることである。今後益々要塞の構築法が進歩して行つたならば、今の儘の我炮では何等の效力も示さない事になるのは明かなる事である。〉
(「青島視察によりて感じたる事共」川原茂輔 『歐洲戰爭實記 第十號』)
また川原は、こうも言っている。
〈青島一帶の道路は甚だ險惡にして、一度び雨が降れば忽ち一面の泥の海と化し、その泥土は馬の腹部に迄で逹するのである。その中を只だ歩くだけでも容易でないのに、車には莫大の兵器彈藥を滿載して居るので、其困難はとても想像の及ぶ所でない。これが爲め、多くの馬匹の中には、過勞に堪へずして、腹部まで泥中に沒した儘斃れたものも澤山ある。〉
(引用前掲記事)
だから川原の結論は当然こうなる。
〈此度の兵站部の苦難の程度は、到底日露戰爭の夫の比でなかつたといふことである。神尾將軍も『自分は敵は少しも恐れないが、一番恐ろしいのは雨である』と云はれた位だ。世人は命を棄てゝ戰陣に立つ者に對しては相當尊敬も拂ふが、後方勤務に對しては、一般に深く意を留めない。是れは實に過つた考へである。〉
(引用前掲記事)