これは、まさに川原の指摘どおりだと言っていいだろう。日清・日露戦争でも兵站(補給)がきわめて軽視され、それが日本軍の苦戦の最大の原因だった。そして、なぜそうなるかと言えば、日本人は最前線で「勇戦敢闘する兵士」は尊敬し万雷の拍手を送るが、その「勇戦敢闘」を可能ならしめた兵站部門はまったく評価しないからだ。それどころか、担当する輜重(輜重兵。兵站部所属)輸卒(実際に物資を輸送する兵站部所属の兵卒)をバカにする「歌」まであった。

「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ・トンボも鳥のうち」「輜重輸卒が兵隊ならば、電信柱に花が咲く」等々であり、このことは『逆説の日本史 第二十四巻 明治躍進編』ですでに紹介しておいたが、川原もこのルポで「電信柱」の歌を引用し、日本人の兵站部門への軽視いや蔑視を「實に過つた考へである」と糾弾しているのである。ひょっとしたら、川原はこの糾弾はぜひともすべきではあるが、陸軍出身の澁川にはやりにくいだろうと考えて「ワシが書く」ということになったのかもしれない。

 残念ながら、川原の指摘は生かされなかった。日本軍の、主に陸軍の最大の欠点の一つである「兵站蔑視」は大日本帝国が崩壊し日本陸軍が壊滅するまで改善されなかった。一九四一年(昭和16)から始まった大東亜戦争では、ガダルカナルの戦いでもインパール作戦でも日本軍の兵士は餓えに苦しみ、少なからずの兵士が餓死した。その最大の理由が、補給軽視による食料不足であることは否定できない事実である。

 しかし、このことは考えてみればじつに不思議な話である。日本人は昔から「裏方の苦労」というものを高く評価する民族である。たとえば、甲子園の高校野球で優勝したチームのドキュメンタリーをやれば「選手に美味しい料理を提供した寮母」「練習グラウンドを常に整備した職員」等々の努力が必ず語られるではないか。また映画館で外国映画が上映されたとき、エンドロールのスタッフ一覧表を多くの観客が最後まで見ている。じつは、世界にそんな国は他に無い。

 普通の国では本編が終わったらさっさと映画館を出るのがあたり前である。「人間は一人では生きられない。多くの人々の世話になって生きている」そのように父母から教えられた人も多いはずである。それなのに、大日本帝国陸軍においてはすでに日清戦争で「裏方の苦労の無視」が指摘されていたのに、日露戦争でも第一次世界大戦(青島の戦い)でも痛い目に遭ったにもかかわらずそれが改まらず、最終的には陸軍壊滅の最大の原因の一つになったのである。じつに不思議な話ではないか。なぜそんなことになったのか? 〈以下次号〉

(第1400回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2023年12月1日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

日米通算200勝を達成したダルビッシュ有(時事通信フォト)
《ダルビッシュ日米通算200勝》日本ハム元監督・梨田昌孝氏が語る「唐揚げの衣を食べない」「左投げで130キロ」秘話、元コーチ・佐藤義則氏は「熱心な野球談義」を証言
NEWSポストセブン
ギャンブル好きだったことでも有名
【徳光和夫が明かす『妻の認知症』】「買い物に行ってくる」と出かけたまま戻らない失踪トラブル…助け合いながら向き合う「日々の困難」
女性セブン
破局報道が出た2人(SNSより)
《井上咲楽“破局スピード報告”の意外な理由》事務所の大先輩二人に「隠し通せなかった嘘」オズワルド畠中との交際2年半でピリオド
NEWSポストセブン
河村勇輝(共同通信)と中森美琴(自身のInstagram)
《フリフリピンクコーデで観戦》バスケ・河村勇輝の「アイドル彼女」に迫る“海外生活”Xデー
NEWSポストセブン
《私の最初の晩餐》中村雅俊、慶応大学に合格した日に母が作った「人生でいちばん豪勢な“くずかけ”」
《私の最初の晩餐》中村雅俊、慶応大学に合格した日に母が作った「人生でいちばん豪勢な“くずかけ”」
女性セブン
『君の名は。』のプロデューサーだった伊藤耕一郎被告(SNSより)
《20人以上の少女が被害》不同意性交容疑の『君の名は。』プロデューサーが繰り返した買春の卑劣手口 「タワマン&スポーツカー」のド派手ライフ
NEWSポストセブン
ポジティブキャラだが涙もろい一面も
【独立から4年】手越祐也が語る涙の理由「一度離れた人も絶対にわかってくれる」「芸能界を変えていくことはずっと抱いてきた目標です」
女性セブン
生島ヒロシの次男・翔(写真左)が高橋一生にそっくりと話題に
《生島ヒロシは「“二生”だね」》次男・生島翔が高橋一生にそっくりと話題に 相撲観戦で間違われたことも、本人は直撃に「御結婚おめでとうございます!」 
NEWSポストセブン
木本慎之介
【全文公開】西城秀樹さんの長男・木本慎之介、歌手デビューへの決意 サッカー選手の夢を諦めて音楽の道へ「パパの歌い方をめちゃくちゃ研究しています」
女性セブン
大谷のサプライズに驚く少年(ドジャース公式Xより)
《元同僚の賭博疑惑も影響なし?》大谷翔平、真美子夫人との“始球式秘話”で好感度爆上がり “夫婦共演”待望論高まる
NEWSポストセブン
中村佳敬容疑者が寵愛していた元社員の秋元宙美(左)、佐武敬子(中央)。同じく社員の鍵井チエ(右)
100億円集金の裏で超エリート保険マンを「神」と崇めた女性幹部2人は「タワマンあてがわれた愛人」警視庁が無登録営業で逮捕 有名企業会長も落ちた「胸を露出し体をすり寄せ……」“夜の営業”手法
NEWSポストセブン
男装の女性、山田よねを演じる女優・土居志央梨(本人のインスタグラムより)
朝ドラ『虎に翼』で“男装のよね”を演じる土居志央梨 恩師・高橋伴明監督が語る、いい作品にするための「潔い覚悟」
週刊ポスト