戦時中、唐突に復活した箱根駅伝
東京・大手町の読売新聞東京本社。1月2日に大歓声によって1区の選手達が送り出され、3日には10区の選手が拍手で迎えられる場所だ。ここには「箱根駅伝 絆の像」というブロンズ像が建っている。
箱根駅伝ファンや市民ランナー達の記念撮影スポットにもなっているこの場所には、歴代の箱根駅伝優勝校の名を記したモニュメントも設置されている。第1回優勝校の東京高等師範学校に始まり、第99回優勝校の駒澤大学まで、箱根駅伝の歴史が刻まれているのだ。太平洋戦争前後の優勝校の名もここにはある。
日中戦争の最中だった1940年(昭和15年)に開催された第21回大会の優勝校は日本大学だ。このあと、箱根駅伝は中止に追い込まれる。1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まっていることを考えると、当然のことのように思える。
ところが第22回大会が1943年(昭和18年)に開催され、日本大学が優勝している。真珠湾攻撃からおよそ1年。当初は日本軍優勢かと思われた戦局は様変わりし、多くの戦場で劣勢を強いられるようになった頃、唐突に箱根駅伝が復活しているのだ。
この大会が開催された10ヶ月後には、学徒出陣によって大勢の大学生が戦地へ旅立っている。
このような状況下で、どうして箱根駅伝は開催されたのか? しかも、この第22回大会の正式名称は「靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」なのだ。
現在のような、大手町をスタートして箱根・芦ノ湖を目指し、再び大手町に帰ってくるルートではない。靖国神社をスタートし、芦ノ湖の畔に建つ箱根神社を目指し、再び靖国神社へ帰ってくる──そんなコースを、選手達は走った。学徒出陣を目前に、母校のタスキを靖国神社へと運んだ。
(後編に続く)
◆額賀澪(ぬかが・みお)/1990年、茨城県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、広告代理店に勤務。2015年に『屋上のウインドノーツ』(「ウインドノーツ」を改題)で第22回松本清張賞を、『ヒトリコ』で第16回小学館文庫小説賞を受賞。2016年に駅伝を描いた小説『タスキメシ』が第62回青少年読書感想文全国コンクール高等学校部門課題図書に選出、ベストセラーに。『タスキメシ』シリーズは他に、箱根駅伝を描いた『タスキメシ箱根』その後の元ランナーを描く『タスキメシ五輪』がある。その他の著書に『風に恋う』『ウズタマ』『転職の魔王様』『青春をクビになって』など多数。近著に『タスキ彼方』がある。
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