自分だけの連絡ツールを持つと、人は秘密の量が増える。
当時、“恋愛より刺激的”と思い込んでギャンブルにのめり込んでいた私は、女友達のピンク色に染まった声をうらやむ半分、他人事半分で聞いていたっけ。この頃から電話で長話をする女友達がいなくなったと思う。それから、世の中からテレカ(テレホンカード)やオレカ(オレンジカード)が現れて消えて、Suicaなどの電子マネーを使い出すようになった。
そうこうするうちに、もう一段階世の中が変わったよね。実社会に加えて、目には見えないSNSの世界が現れたのよ。私だって、カラスの声を聞かない日はあってもYouTubeを見ない日はないもの。
変わるといえば人間関係もそう。最近、「60才を過ぎたら孤独になるべし」というような本やYouTube番組が目に留まるようになったんだわ。というのも、ずっと友達だと思っていた人が数年前からどんどん離れていったのよ。
たとえば、長年の友だったA子はドタキャンを2度続けてした。以前なら「どういうこと?」と詰め寄ったけど、その情熱がいまの私にはない。明らかにけんかを売ってきたB子に対してもそう。一瞬ムカッとしたけど、次の瞬間、「まあ、いいか」と戦意喪失。どうでもよくなっている。
譲るところは譲って折り合いをつけるのが人として正しい所作だと、これまで思ってきたけど、そうかな……? ひとりで生きる覚悟が私にないために、いろんな勘違いや思い違いをして、周りの人とつきあってきたんじゃないだろうか!? 体調不良で布団に潜ってじっとしていると、そんな疑問がどんどん大きくなっていくんだよね。
人や思い出にしがみついてもいいことなんか何もないもの。時代も人も消え物。もっと気楽な“友達もどき”とサラサラとつきあえばいいかな、と、もうすぐ67才のいま、そんなことを思っている。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2024年4月4日号