「付け人」はどうなるのか
相撲王国・青森出身の尊富士は中学卒業後、強豪相撲部のある鳥取城北高から日大を経て、伊勢ヶ濱部屋に入門した。
「この『鳥取城北→日大』のラインには、白鵬が新弟子供給源の太いパイプを持っている。鳥取城北の相撲部総監督の息子である石浦(現・間垣親方)を弟子にしたし、多数の出身者が宮城野部屋にいる。それなのに尊富士が伊勢ヶ濱部屋に入門したのは、師匠が同じ青森出身で、小・中学時代に『つがる旭富士ジュニアクラブ』に通うなど、早くから目をかけられていたから」(ベテラン記者)
同クラブでは伊勢ヶ濱部屋の横綱・照ノ富士とも縁を持ち、その母校である鳥取城北に相撲留学した経緯があるのだ。
「白鵬は学生横綱経験者など幕下付け出しデビューの資格を持つ“即戦力”にばかり興味を示す。だから、怪我で学生時代のタイトルと無縁だった尊富士に触手を伸ばさなかったとされます」(同前)
伊勢ヶ濱親方や照ノ富士が素質を見抜き、部屋に同郷の錦富士や宝富士がいる環境で尊富士は頭角を現わしたわけだが、そこに宮城野部屋が合流すると、様々な因縁が交錯する状況に様変わりする。前出・ベテラン記者が続ける。
「そもそも、白鵬と照ノ富士の関係は最悪。同じモンゴル出身ですが、決定的な亀裂が生じたのが2017年の日馬富士暴行事件。白鵬、日馬富士、鶴竜(現・音羽山親方)という当時のモンゴル3横綱と照ノ富士ら鳥取城北OBとの食事会で、日馬富士が幕内・貴ノ岩(当時)を殴って角界を揺るがす大事件になった。白鵬を頂点としたモンゴル出身横綱たちが後輩を締め上げる構図でした」
事件当日、照ノ富士は膝の故障を抱えるなか正座で説教を受け、日馬富士に頬を張られた。
「その後、照ノ富士は膝を悪化させて序二段まで陥落。尊富士は憧れの先輩と、その仇敵との間で板挟みのような状況になってしまう」(同前)
そもそも、伊勢ヶ濱部屋と宮城野部屋にはそれぞれ約20人の力士が所属しており、合併は容易ではない。古参力士が言う。
「稽古から日常生活まで部屋ごとに慣習は大きく違うし、今回は所属力士の番付のバランスが違うのも気懸かり。伊勢ヶ濱部屋には照ノ富士、錦富士、宝富士、翠富士、熱海富士と尊富士を含めて関取が6人もいるが、宮城野部屋は十両の伯桜鵬だけ。宮城野部屋の幕下以下の力士が、伊勢ヶ濱部屋の関取の付け人として下働きするかたちになる。超スピード出世の尊富士の付け人が、“他の部屋から来た兄弟子”になるかもしれず、人間関係は複雑極まりない」