東京国立近代美術館フィルムセンターで『日本の映画ポスター芸術』展が開催中(3月31日まで)だが、劇場にはスクリーンの外にも芸術がある。9枚張りのパネル、大人の身長よりも大きな立て看板……。そこにはいつだって映画ポスターが並んでいた。かつて東宝宣伝部で数多くのポスターデザインに携わった檜垣紀六氏はいう。
「映画ポスターには3原則がある。タイトルが大きいもの、役者が大きいもの、そしてコピーや監督名が大きいもの。どれを強調したいかが大事。斬新なタイトルなら全面に、花形スターなら中心に、監督で客が呼べる作品は、監督名を目立たせるんですよ」
『昭和残侠伝』なら高倉健を、タイトルにインパクトのある『日本沈没』はその文字を、というわけだ。本編を見ずに、観客をくぎ付けにする予告編を作る映像制作者がいるように、ポスター制作にも職人さながらの手練がある。
「50年前は面白かった。ポスター制作の段階ではまだフィルムすらないから、『シーン132番の3人が会話してるところがポスターにいい』とか決まる。まだ撮影開始前だと、役者を集めてスタジオでポスター撮りしたりね。
『用心棒』は思い出深いなぁ。黒澤監督のシナリオにはト書きがなく台詞のみ。制作段階で情景描写は監督にしかわからん。でも監督はポスターにはうるさくってね。上司から『六さん、ちょっと縄買って来て』と。で、対立する2組を縄で区切って表現しました」(檜垣氏)
デザインは時代と共に変わり、1964年の東京オリンピックの頃を境にモノクロからカラーへ、1970年代に入ると絵から写真に、そして現在はCGを駆使したポスターも多くなる。
「でも本質は、写真の色やCGの使用法なんかじゃない。重要なのは文字です。題字が決まった時点で半分はできたも同然。現代はパソコンが普及してタイトルのほとんどが人工活字ですが、当時は作品の個性を出すため手描き。活劇はゴシック調、青春ものや恋愛ものは明朝、文芸作品は筆文字。予算や素材がなくても、アイデアだけで作品を盛り上げようと必死でした」(同前)
映画自体とは一線を画したアートがそこにあり、観客はそのポスターに、作品とは別の世界観を感じていたのだ。
※週刊ポスト2012年3月2日号