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2012.04.09 07:00  週刊ポスト

松本零士 パンツに生えたキノコをちばてつやに食べさせた

 4月を東京で、まさにページをめくるような心持ちで迎える人は今も昔も多い。「上京」という言葉には、期待と不安、志や覚悟、惜別・郷愁といった様々な感情が濃密に内包されている。物語は人の数だけある。漫画家・松本零士氏(74)の場合。

 * * *

 戦後の混乱期だったこともあって、私の家は相当な貧乏だった。大学の工学部に進みたかったのですが、高校在学中から漫画を描いて学費を稼いでいたくらいですから夢のまた夢。親父も「大学は諦めてくれ」というので、「じゃあ、俺はいい。でも弟は俺が大学に行かせてやる」と大見得を切りました。

 幸い『少女』『少女クラブ』という雑誌で連載が始まっていたので、東京に出て漫画家としてやっていこうと決意したんです。昭和32年、高校を卒業して夏を過ぎた、たしか9月頃のことです。
 
 汽車には福岡の旧小倉駅から乗り込みました。私の家はその線路際に建っていて、列車の振動で崩壊しそうなほどのボロ長屋でした。外に出てきた姉の、猫を抱きながら見送る姿が今も忘れられません。
 
 その時の私の荷物といえば、何もかも質屋にぶち込んで手に入れた片道切符と画材道具だけ。でも不安なんて欠けらもありませんでした。意気揚々、宇宙に飛び出すような昂ぶった気持ちでしたね。
 
 じつは、高校2年の修学旅行で一度東京には行ったことがありました。その時二重橋の交番の近くにある木を撫でて、〈俺はまた来るぞ〉と誓いを立てたんです。上京した時――24時間、汽車に座りっぱなしで東京駅のホームに着くと、その足で真っすぐ二重橋に向かい〈ほら来たぞ〉とその木を撫でたんです。
 
 東京で生活することになったのは、本郷三丁目の山越館という下宿屋でした。斜向かいが“漫画家カンヅメ旅館”として知られた「太陽館」で、手塚治虫さんをはじめ、横山光輝やちばてつやなどと知り合うきっかけになりました。
 
 それからは仕事が忙しくて忙しくて、面倒臭いから8、9か月も風呂に入らない日が続きました。使ったパンツも押し入れに突っ込んでいたんですが、綺麗なキノコが生えてきた(笑い)。図鑑で調べたらヒトヨタケ。さすがに自分で食べる気はしなかったので、ちばてつやのインスタントラーメンに入れたら「美味い、美味い」だって(笑い)。
 
 それにしても人生どう転ぶのかわかりません。当時インキンタムシに罹って、その体験から『男おいどん』を描いたら大ヒットしたんですからね。
 
 今振り返ると、上京した時に乗った汽車が“運命の分岐点”でした。その汽車に乗らなかったら今の私はありません。誰にでも一生に一度、運命を決める瞬間があるということです。
 
 当時、東京に行くのは今生の別れに等しいほど大変なことでした。「九州男子たるもの、志ならずんば死すとも帰らん」の気概と覚悟で故郷を後にしました。
 
 今だからこそ言えることですが、若者は若者であるということだけで羨ましいですね。前途は無限に広がり、たくさんの人との素晴らしい出会いが待っている。「若者よ、いざ旅立たん」といいたいです。

※週刊ポスト2012年4月20日号

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