プロ野球はFA移籍やトライアウトの話題が盛んだが、かつて球界には、日本だけで合計8球団を渡り歩いた男がいる(プロ野球記録)。それもトレードではなくすべて自由契約になった末、テストに合格して、行く球団、球団で年俸が上がっていったという凄腕である。名前を後藤修といい、最大2年を限度に渡り歩いたことで、「ジプシー後藤」の異名がついた。一体どんな人物なのか、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
* * *
入団テストに受かる方法を尋ねたところ「2月1日に全力を出せるようにトレーニングする」というものだった。キャンプの初日に、テスト入団生がいきなり150キロ近い球を投げたらば、大概採用してくれるという。
何故、最大2年で次々とクビになるのだろうか。
「正論を言って嫌われたんだよ。当時の監督は、好き嫌いだけで選手を使ったからね」
確かに、クラシック音楽のカセットテープを持ち歩き、聖書を片手に、「体がスウェーして投球フォームを狂わせるから、試合前のノックは受けたくない」と言えば、いくら才能があっても、大概はすぐに“変人”の烙印を押されてしまうだろう。
後藤の現役を知る人に聞くと、「そりゃ、指にボールがかかった時は、素晴らしい球が行くが、コントロールがメチャクチャだった」そうだ。現役9年間で12人の監督に嫌われた左腕には、18勝31敗の記録が残っている。
「プロの世界は素質があれば、いくら変人と言われようが必ず使ってもらえる。手癖が悪いとか、男好きとかの噂が立つといっぺんにダメになるけど」
8球団も渡り歩いているからこそ言える言葉だったかもしれない。それに当時の球界の気風は、「変わったヤツ」と言われる人間ほど、自分が育ててみたいという人が多かった時代。今のように、安全に、安全にという方針とは違っていた。
何度もクビになりながら、月2万円でスタートした給料が、最後には9万円にまで上がった。それについて聞くと、「お前もプロの端くれになるのだったら、クビを怖れて自分を安く売ってはダメ。落ち目の時ほど、高く売るべきだ」と答えた。到底、凡人にはできないと思った。
※週刊ポスト2013年12月6日号