鈴木会長は創業家といっても婿養子。岐阜県下呂町(現・下呂市)生まれで、講演会では冒頭に「農家の四男坊で、旧姓は松田です」といって笑いを取る。
旧制中学の途中で海軍航空隊に志願し、特攻隊として身を捧げる覚悟を決めたが、出撃を待つうちに終戦を迎えた。大学卒業後、中央相互銀行に就職。銀行員時代にスズキ2代目社長の鈴木俊三氏に見いだされて婿養子となり、入社。本社の中枢である企画室に配属されたが、「現場に行かせてほしい」と工場への配置を直訴した。
銀行出身にして現場好き。その経験は、“ケチケチ経営”となって表われる。
「一昨年に完成したタイの工場でも、できるだけ外光を採り入れて照明を節約するなど、経費削減の数字に神経を尖らせている。数字は率にするとごまかしが出るので、必ず実数で示させるほどです」(ジャーナリスト・永井隆氏)
思い立ったら即断即決。朝令暮改も日常茶飯事だというから、さながら中小企業のワンマン社長である。ついていくのは大変そうだが、その分、情にすこぶる厚い。スズキの販売店の8割ほどは町の業販店(いわゆる修理工場)だが、鈴木会長は長い間、「催促なしのある時払い」の方針を貫いてきたという。
インドの工場を訪れた時には、現地採用の労働者たちと同じ食堂で昼食をとり、ざっくばらんに会話を交わした。
「インドは厳しい身分差別が残り、幹部社員は工場労働者と同じ食堂で食事する習慣がなかったが、この日を境に一緒に食べるようになり、工場内の雰囲気が一変したそうです」(スズキ元社員)
※週刊ポスト2014年3月21日号