鈴木会長としては、リーグ全体を考えれば、金田には国鉄に残ってほしい。だが金田個人の権利として、巨人入りもありかなと考えていた。そこで河野を呼んで「お前はどう思う?」と質問。その時の答えは「大向こう(金田)の考え通りがいいでしょう」だった。
河野は公式記録員として30年間勤めた後、『日刊スポーツ』でイースタンリーグのコラム執筆の仕事をしていた。西武ドームでの二軍戦で、河野とバッタリと会ったことがある。その時側にいた、当時西武の二軍監督だった片平晋作が、河野の人望の厚さをこう語っている。
「河野さんは、球場から駅までよく送ってくれた。時には家に泊めてもらって、朝までというのもザラだったね。イースタンの監督だったら、必ず一緒に一晩はつき合っただろうね」
若者の指導にも余念がなかった。日本ハムの二軍球場・鎌ヶ谷スタジアムでは、若い連中に正しいスコアブックのつけ方を教える一方で、若い選手にバッティング指導までしていた。その姿を見た中田翔は、当初は「あのオッサン、誰だ?」と訝っていたが、最後には河野の言うことに聞く耳を持っていた。(文中敬称略)
【*注】FA制度の前身にあたる制度。10年間プロでプレーした選手に対して「自由移籍の権利」などを与えた。
※週刊ポスト2014年4月25日号