それはあたかも印象派が主流だった世界にキュービズムやシュールレアリズムといった新しい手法が持ち込まれているような不可解さを感じさせられることがある。角交換を避け、角道を止めることが基本の第一歩だったはずの振り飛車が、最近はその手さえ必要としなくなっているのである。
もっといえば将棋の初手は何が正しいのかということが理論的に突き詰められようとしているようにさえ感じる。そして、将棋におけるそれらの進展に、やはりコンピュータ将棋の登場が大きな影響を与えてきたのではないかと考えざるをえない。
電王戦後に発表された羽生の言葉は「今回見ていて、ソフトはめちゃくちゃ強いと思った。私が出るかどうかは谷川(浩司)(将棋連盟)会長に聞いて下さい」という、ワクワクしている気持ちを隠しきれないようなものであった。
相手が強くなればなるほど、将棋が難しくなればなるほど決まって羽生は嬉しそうに見える。ではなぜ羽生は強くなる一方のコンピュータに対して何も恐れないのか。それはあるインタヴューでの答えの中にある。
将棋がコンピュータによって完全解明されてしまったら、どうするんですか。という質問に、羽生はケラケラ笑いながらこう答えた。
「そのときは桂馬が横に飛ぶとかルールを少しだけ変えればいいんです」
その瞬間に将棋は新しい命を与えられ、なにもかもが一からやり直しになる。天才の視野にはそんなことさえ映っているのである。
※週刊ポスト2014年5月2日号