相次ぐ大型ショッピングセンターの開業、オシャレな居酒屋チェーンの台頭などにより、古き良き商店街や市場が「シャッター通り化」しているのは周知の事実。
だが、そんな老朽化した場所に敢えて目を付け、飲食店が軒を連ねる現代版の「横丁」へと再生させている“酒場のプロデューサー”がいる。
仕掛け人の名は浜倉好宣氏(46)。「浜倉的商店製作所・代表取締役」の肩書きを持ち、これまでに【恵比寿横丁】【品川魚介センター】【ハマ横丁】【有楽町産直飲食街】など、次々と居酒屋の集合体をプロデュース。いずれも老若男女の賑わいが絶えない繁盛街に生まれ変わらせた。浜倉氏はいう。
「僕はなにも新しいことをしているわけではなく、時代の移り変わりが速すぎて出来た世代間ギャップを埋めているだけなんです。日本はもともと祭り好きの大衆文化があり、酒場も皆が気兼ねなくワイワイできる空間のほうが、世代を超えたコミュニケーションも生まれやすいんです」
今でこそ昭和の薫りを残す酒場づくりで注目を浴びる浜倉氏だが、これまで携わってきた飲食業態を聞くと全くの正反対。その時々でトレンドの最先端をいく世界を渡り歩いてきた。
たとえば、居酒屋「ちゃんと。」や「橙家」など創作料理で一世を風靡した会社(運営元は2011年に民事再生法の適用申請)でスーパーバイザーとして出店計画を練ったり、オイスターバー「MAIMON」や「美食米門」といった新業態が人気を博したフードスコープ社(現ダイヤモンドダイニンググループ)で店舗開発に従事したりと、キレイで格好いい店づくりには自信もあった。
だが一方で、華やかな“飲食バブル”に疲れきっている自分もいたという。
「ふと僕が飲食業と出会い、24歳まで過ごした京都時代を思い出したんです。高校生のとき時給600円でも店長やお客さんにかわいがってもらった『餃子の王将』でのアルバイト。その後、就職したリゾート会社で京都駅にあった観光デパート内の汚い飲食店のリニューアルを任されたこと。
あの当時に学んだのは、素材の味を生かしたシンプルな料理、ベテラン料理人の“おやじ”や接客する“おばさん”のパワー、そして店や土地のオーナーさんとのコミュニケーションこそが大事だということ。つまりお金をかけてキレイな飲食店を一から作るより、限られた物件や人材を活かしたベタで大衆的な店こそ長続きするという商売の原点を、いつの間にか見失っていたんです」
そこで、独立後の2005年に門前仲町ではじめてプロデュースした「浜焼き酒場業態」の【深川山憲】は、代々魚屋を営み、廃業に追い込まれていた52歳男性を主役に、“魚屋さんの商売替え”をむしろアピールポイントに定めた。
店内は酒箱に見立てたイス、漁具を使った照明、壁一面にかかる大漁旗……。レトロさが漂う店内に、威勢のいい「おやじの掛け声」が見事に調和する。これぞまさに浜倉氏が目指した“泥臭さ”だった。
「仲間内だけで美味しい食事をしようと思えばいくらでもあるし、酒を飲んで歌いたくなったらあちこちにカラオケボックスがある。でも、本来、酒場は身近なコミュニティーとして人間味をさらけ出すところです。初対面のお客さん同士もスタッフも分け隔てなく絡み合って皆が元気になれる雰囲気こそ、最高の味付けだと思っています。
だから、僕がプロデュースする横丁には、活気を演出する数々のイベントを開いたり、占い師や流しのギター弾き、靴磨きの職人さんにも出張してもらったりして、場の空気感をもっとも大切にしています」