では、魚谷氏はこれまでどんな軌跡を辿ってきたのか。同氏は同志社大学文学部を卒業後、一度ライオン(当時はライオン歯磨)に入社しているのだが、これは留学が目的だった。企業の留学制度活用で手っ取り早いのは当然、世界に根を張る商社だが、法・経・商の学部指定があるため、文学部出身の魚谷氏は留学制度のある企業をさらに絞り込んだ。
留学先に米国のコロンビア大学を選んだのは、ライオンの看板商品の1つ「バファリン」を日本で発売するために作った合弁会社の相手である、ブリストル・マイヤーズの本社がニューヨークにあり、大学での勉強のほか、このBM社を通じて活きた勉強もできるという考えからだった。
当然、MBA(経営学修士)も取得している。日本コカ・コーラには20年前の1994年に副社長として転じ、2001年には同社で26年ぶりの日本人社長として抜擢される。さらに2006年から2011年までは会長を務めた。社長、会長の在任期間がちょうど10年だから、原田氏が陣頭指揮した年数と同じだ。
かたや、海外留学も経験したエリート的な魚谷氏、かたや外資系を渡り歩いて鍛えられた原田氏と、一見対照的にも映るが、それぞれがトップを務めたコカ・コーラ、マクドナルドと言えば、米国の食を象徴する2大メガブランド。
そして、両氏ともに日本法人を任せられたため、自社では海外展開ができず、国内市場だけで勝負しなければいけないという点で共通点があった。