5月18日、日本相撲協会の前理事長、放駒(はなれごま)親方(元大関・魁傑将晃)が虚血性心疾患のため急逝した(享年66)。
放駒親方は2010年8月、角界に降って湧いた野球賭博問題で辞任した武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)の後を受け、第11代理事長に就任。在任1年半は歴代最短だったが、その間に取り組んだ問題は、八百長問題、公益法人認定に向けた組織改革など重いものばかりだった。
八百長問題が発覚した2011年2月、本誌は放駒理事長を部屋前で直撃した。
「(騒動が)全部終わらないと話せない」
その時はそうして口をつぐみ、その後何度取材しても同じ言葉を繰り返す理事長だったが、処分が発表された後に取材した際に、
「(真相は)墓場まで持っていく」と言葉を変えたのが印象的だった。そして定年退職後も、
「(辞めていった者の気持ちを考えると)オレが口を開くわけにはいかない」と、一貫して沈黙を守り続け、先の言葉通り真相を話さぬまま逝ってしまった。
2012年に行なわれた理事選では、在任中に定年を迎えるため理事には立候補せず、協会員としては昨年1月場所が最後の仕事になった。
65歳の定年となった2月には、自らの放駒部屋を閉鎖、所属力士は愛弟子である元横綱・大乃国の芝田山部屋に移籍させ、静かに協会を去っていった。
「退職前の最後の場所では会見があるのが恒例ですが、放駒親方は記者クラブからの申し入れを断わり、理事長経験者の定年後の天下り先に定着している相撲博物館館長の席も元武蔵川理事長に譲り、NHKから提示された特別解説者の依頼まで固辞。とにかく、角界から綺麗さっぱり身を引きました。
これは自分が辞めさせた力士や親方に申し訳ないというのが理由だったようです。最後まで苦労に苦労を重ねた、ガチンコ大関の放駒理事長でなければ、角界史上最大の危機は乗り越えられなかったはずです」(後援会関係者)
※週刊ポスト2014年6月6日号