私は大学の文章表現法の講義で、服装の譬(たと)えを出しながら、こう教える。ラ抜き言葉は、文章では使わない。諸君は将来、人前で講演するような機会もあろうが、講演などでは文章に準じてラ抜き言葉は使わない。面接などでも、避けた方がよい。友人たちとの会話では、使ってもかまわない。これは、諸君が活躍する以後五十年間ほどの準則である。それ以後は変わるかもしれない、と。
しかし、美意識ではなく、論理に関わる言葉は常に正しく使わなければならない。なぜならば、言葉はロゴスだからである。ロゴスとは、論理とともに言葉をも意味するギリシャ語である。言葉を使うことを仕事にし、論理的であることを職業にする学者、ジャーナリスト、文筆家が正しい言葉を使わないのは、職業人として恥である。
むろん、誰でもうっかりミスはある。ないに越したことはないが、それでもミスはある。真に恥ずべきは、平易な言葉を使えばいいのに、意味を知りもしない難しい言葉を得意気に誤用する人たちである。こういう人たちは、亜インテリより悪質な似非インテリである。落語に『酸豆腐』という話がある。カビの生えた豆腐をそうとは知らず、通人ぶって「おつな味でげすな」と得意気な男の滑稽談だ。似非インテリの言葉の誤用は、これと同類である。
文■評論家:呉智英
※SAPIO2014年8月号