「YES」「NO」の意思だけでも、患者さんにとって大きな意味がある。寝ている身体の向きを変えたいのか変えたくないのか。部屋に飾る花はこっちがいいのか、あっちがいいのか。窓は開けたいのか閉めたいのか……。そんな他愛もない会話が、寝たきりの患者さんの生活に潤いを与えてくれる。「心語り」を導入した患者さんの息子さんから、小澤さんのところにメールが届いたこともある。
「父親と数年ぶりに会話ができました」
小澤さんは笑う。
「自分の技術が直接、人の役に立てているというのがとても嬉しい。これからも東洋大で研究チームとして取組めるので前に進めます」
2012年に日立を退職後、小澤さんは今年4月から現在の職場でさらに「心語り」の研究を続けている。「心語り」の共同研究者で生体の信号解析の専門家でもある内藤正美・元東京女子大教授も一緒だ。「伝の心」では開発だけではなく、実際に患者さんが上手く使えるようにサポートのため日本全国を飛び回っていた。「心語り」でも毎月のように患者さんの元を訪れている。
「まだまだ患者さんの役に立てていないという気持ちがあります。『心語り』にしても、使いこなせない患者さんがいますから。そういう方たちのために今後も働きたい」
--長くALS患者のために働いてきた小澤さんは、今夏のアイスバケツチャレンジのブームをどう見ていました?
「ALSに関心も寄付も集まって良かったと思います。お祭り騒ぎ的な偽善という指摘があることも知っていますが、白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫が良い猫だの精神で(笑)。ただ関心が一過性で終わらず、長く続いてほしいですね」
--そこです。「伝の心」や「心語り」のように、大企業がこういう分野の開発を持続しているところはあるんですか。
「日立で私が所属していた情報アクセシビリティ推進室の活動は2010年に社内研究所に移管されました。他の企業でも子会社に事業が移されたみたいです。景気がいいときは余裕があるんですが、やはり儲からないビジネスですから、企業でやり続けるのは難しいですね」
--では技術者はどうでしょうか。小澤さんと同じ志の若い技術者はいるのでしょうか。
「興味はある技術者はいるんですが、会社の仕事としてやりにくい状況ではあります。でも去年、技術系の学生から『福祉関係の開発がしたい』と相談のメールが来たんですよ。日本の大手企業でぴったりのところを推薦できなかったのは残念だったんですが、そういう若い人がいることは頼もしいです」
小澤さんによれば、日本のALS患者は9000人弱という。その中で「伝の心」の対象になるような人工呼吸器を付けている患者さんが30%、どの筋肉も全く動かせなくなって「心語り」の対象になるような患者さんは3%、数にして300人いるかいないかだろう。その300人のために、小澤さんは技術者として松明を灯してきた。小さな灯りだが、絶対必要としている人々がいる。松明のリレーを絶やしてはならない。