あまりの軍隊式というか全体主義的な体育教育ぶりで、全国新聞がうちの小学校を社会問題として連続特集するということもあった。管理教育で知られた千葉県の中でも、図抜けた存在の小学校だったようだ。
鍛えられ方がハンパじゃなかったので、うちの小学校の卒業生は中学校で体育の成績がよく、礼儀や生活態度もすばらしいとよく褒められた。たしかに平均値はそうだったと思う。けれども、そんな小学校にだって、体育が嫌いで運動が苦手な子も混じっていたわけで、彼ら彼女らの苦痛は相当なものだった。
卒業から25年後、はじめて同窓会があった。酒席で一番話題になったのは、体育の話だ。体育が嫌いだったクラスメイトが、複数人、ここぞとばかりに堆積していた恨みつらみを爆発させたのである。「もう、最悪。暗黒の日々だったよ、あの小学校は!」。体育が好きで運動が得意だった当時の花形組は、彼ら彼女らの怒りのパワーに圧倒されて小さくなっていた。
学習指導要綱は、小学校の「体育」を「心と体を一体としてとらえ、適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して、生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り、楽しく明るい生活を営む態度を育てる」と規定している。
私はこの中の「心と体を一体」というフレーズに懐疑的だ。そこには誰だって運動好きである、という前提が潜んでいる。でも、そんなことはないのだ。嫌いで苦手な子にとって、体育は抑圧にしかならないかもしれない。25年経っても消えない、恨みつらみも実在するのだから。
あの小学校では、あんなに体を動かしていたのに(動かしていたから?)、そういえば骨折などのケガは滅多になかった。たしかに体は強制的に鍛えられた。しかし、それは体育が嫌いで運動が苦手な子の心の叫びに耳をかさないことで成り立つ歪んだ教育だった。
だから私は、昔は良かった、と言えない。「体力・運動能力」については、二極化するほうがむしろ自然だぐらいに思っている。