田中総長が1999年に『張形 江戸をんなの性』(河出書房新社)を刊行する際、資料蒐集はもちろん、細かな教示を与えたのが他ならぬ白倉氏だった。
「私は白倉氏との共著として出版するつもりでしたが、氏は固辞されました」
そのとき白倉氏は穏やかな口調でこういったという。
「江戸の女性のセックス事情に、女性研究者が真正面からぶつかることこそが、日本の文化史にとって意義あることなのです」
それでもまだ日本における春画の位置づけは不当に低いと考える専門家は多い。かつては美術館がコレクションから外すだけでなく、古美術商ですら売買を渋った時代もあった。そんな中、白倉氏が全国を丹念に回って春画の発掘に心血を注いだことで、その系譜や技法が体系的に研究され、芸術性が理解されていった点は後世に残る偉業だろう。
たびたび春画特集号を発刊し、白倉氏と仕事を共にした平凡社「別冊太陽」の竹内清乃編集長はいう。
「白倉さんは『春画は堂々と世に問えばいい。愉しいものは必ず売れるよ』とおっしゃっていました。日本人は明治維新で西欧のキリスト教的倫理観を受け入れ、せっかく庶民に浸透していた春画文化を封印してしまいました。白倉さんはパンドラの箱を開け、春画を現代に解放した人物なのです」
※週刊ポスト2014年10月31日