1965年、長野県・松本市内にあった喫茶店の常連客らが集まって作ったサッカークラブが、ついに悲願達成。「松本山雅FC」がJ1へ昇格した。
日韓W杯の日本代表としてベスト16進出に貢献し、2011年に急性心筋梗塞で亡くなった松田直樹氏が所属していたチームでもある。長野県のサッカー熱も高まっており、昇格を決めた試合は市の体育館でパブリックビューイングが開催され、躍進に県民が沸いた。
かつて北信越リーグ所属時代はサポーターが2人だけの試合もあったというが、2010年にJFL、2012年にJ2と昇格を続けるにつれてファンが増えていった。現在ホームの観客数は平均1万2000人強でJ2トップ。J2平均のほぼ2倍だ。
人気はJ1昇格によって増す可能性が高い。かつて大分トリニータGMとして、J2からJ1への昇格を経験した溝畑宏氏がいう。
「J1とJ2ではすべてが違う。注目度も環境も大幅に変わる。ファンクラブの会員も、観戦に来てくれるサポーターも急増しました」
収益も大幅に変わる。クラブチームの主な収入はスポンサーからの広告料、入場料、リーグ分配金の3本柱だが、J2球団の平均営業収入が約10億円であるのに対して、J1は約30億円に跳ね上がるという。
だが浮かれてばかりはいられない。松本山雅は大分と同様に「親会社を持たない」、「地方のチーム」であるというハンディを持つ。
「愕然とするほどレベルが違う」(溝畑氏)というJ1でタイトルを狙えるようなチームを作るには、補強でカネがかかる。親会社を持たない市民クラブはそもそも資金面で不利なうえ、地方は企業が少なくスポンサー集めも難しい。大分も同じ悩みを抱え、債務超過に苦しんだ過去がある。
「Jのクラブにとって、費用の問題は最も頭が痛い。観客収入だけでは限界があり、広告収入を増やさないとやっていけない。ただ地方は景気が冷え切っているうえ、クラブチームが各地に誕生したので、スポンサー探しはさらに難しくなっている」(溝畑氏)
松本山雅の当面の課題は、「勝つこと」と「収入の確保」の両立になりそうだ。
松本山雅を率いるのは、2004年にはアルビレックス新潟、2010年には湘南ベルマーレをJ1昇格へ導き、北京五輪日本代表監督の経歴も持つ反町康治監督。溝畑氏は個人的な思い入れがある。
「僕が大分時代、新潟の監督として昇格を競い合った戦友。頑張ってほしいです」
Jの新たな成功例を作れるか。
※週刊ポスト2014年11月21日号