今年もNHK紅白歌合戦の季節がやってくる。今回は第65回だが、その第1回の歌唱第一号をご存じだろうか。ジャーナリストの石山裕氏が、トップバッターを務めた菅原都々子さんにインタビューした。
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1951年、第1回紅白歌合戦のトップバッターとして歌いました。当時はラジオのお正月企画で1月3日午後8時から1時間、新聞での紹介もラジオ欄に、ほんの数行程度でした。
場所は東京・内幸町の東京放送会館第一スタジオです。スタジオに楽団が入り、NHKの局長、リスナー代表の男女2人が審査員という小規模なものでした。
出場歌手は紅白各7人。トリは紅組が渡辺はま子さんで、白組は藤山一郎さん。最年少23歳の私は一番下っ端で、周りは大先輩ばかりだからとにかく怖くて怖くて早く家に帰りたかった。まさか、その番組がこんなに長く続くなんて思いもしませんでした。
テレビ中継は第4回(1953年)から。少し戸惑いましたね。会場もスタジオを離れて日本劇場になった。客席との間にカメラが入り、目の前にちらつくので緊張してしまいました。
先輩方は楽屋では優しい方ばかりでしたが、歌に関しては厳しくて、おっかなかった。でも、同郷・青森の先輩、淡谷のり子さんは別でした。あるとき、舞台で一緒になった時に「私はいつもすごく緊張してしまって手足が冷たくなってガタガタ震えてしまいます。変なのでしょうか」と相談すると、「ちっともおかしくないわよ。私だって、ちらちらとマイクが二つに見える時があるのよ」といって、私の手をとって先輩の胸に当ててくれた。この神技の温もりでス~ッと落ち着けました。
実は作曲家の父・陸奥明が作った私の代表曲『月がとっても青いから』(1955年)は、紅白では歌っていません。この曲がヒットした頃には紅白が大晦日開催になり、元日からの劇場公演が決まっていた私は、出られなかったんです。
今年8月、夏の紅白といわれる『思い出のメロディー』で『月が~』を歌い、10月には米寿記念コンサートを行ないました。今も毎日、自分でピアノを弾いてレッスン。歌をずっと歌っていけたらいいわと思っています。
【プロフィール】すがわら・つづこ/1927年、青森県生まれ。父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎(まるめろう)で、後に作曲家となる陸奥明。1937年、『お父さんの歌時計』でデビュー。1951年の第1回紅白歌合戦の歌唱者第一号として知られる(曲は『憧れの住む町』)。
※週刊ポスト2014年12月26日号